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私の不登校体験②

中学2年の6月頃から、学校を休みがちになりました
・抑うつ
・不眠
・処方薬の副作用
当時の私には、耐えられない症状や心身状態

自分に合う薬がなく、診察のたびに処方薬を変更し
服用しては、副作用に見舞われました
効果なんて、一度も感じなかった
処方薬の変更→副作用→また変更
この繰り返しです

薬の服用関わらず
・抑うつ
・不安感
・希死念慮
現在も続く、この症状
強く出ていた時期は、中学2年〜27歳頃でした

・倦怠感
・胃痛、吐き気、胃のムカムカ
・動機、めまい・頭痛 etc…
体の症状は、たくさんありました

✽  ✽  ✽


通院に付き添う母をはじめ、家族や周囲から
理解得られることは、全くありませんでした

これには理由があります
通常、心療内科で子どもが患者だと
保護者と一緒に診察を受けるか
子どもの診察後、医師が保護者から話を聴き
子どもの状態を、説明すると思います
(一概には言えないかもしれない)

しかし初診時、医師は私の状況を
母から聞きそびれてしまうという
初歩的ミスをしてしまいました

つまり、母をはじめ、私の家族は
私が、学校に行けない心身状態であることを
知らないし、知ろうともしませんでした

✽  ✽  ✽

学校を欠席した日の夕方は、憂うつでした
担任から必ず、電話がかかってくるから
『どうして今日は休んだのか?』
『勉強しているのか?』
電話に出ない選択肢を、家族に与えてもらえせん

家庭訪問もありました
来てほしいなんて、言ってない
担任の顔も見たくない
担任は、クラスの時間割を見せ
時間割通りの科目で勉強するよう、私に言いました

当時の私は、勉強どころではありません
布団から起き上がることもできません
教科書を見る気力も湧かない
紙媒体の文字や内容が、頭の中に入らない
テレビの内容は何一つ、頭の中に入ってきません

つらい記憶しか残っていません

✽  ✽  ✽


当時の家族構成は
両親と弟
祖父母(母の両親)

『学校に行きなさい』
『勉強について行けなくなる』
『内申点が下がるから、高校に進学できないよ』
母に言われました

父は、私のことに関心を示しません
かんしゃく持ち、些細な事で、怒鳴る人間
暴力こそ振るわなかったものの(たぶん)
どんな事で、怒鳴りだすか分からないため
母や私、弟は、いつも怯えていました

祖母からは『家から出るな』と言われました
私の住む地域は、小さな田舎
どんな些細な内容も、すぐに知れ渡る
当時は〘日中、子どもは学校に行くもの〙という
考え方が根強くあったため
祖母は私のことを
近所に知られないようにしていました

✽  ✽  ✽


私が心身状態が崩れるとともに
家族関係も、少しずつ崩壊していきました

母はパート勤務の合間に
私を診察に連れて行ってくれました
ですが、私が心療内科に通院していることを
母は、家族に隠しているようでした
私が、精神科や心療内科の通院に対し
差別や偏見、後ろめたさがあったのかもしれません

母の心身状態も、日に日に悪くなっていく
寝込む日や、食事が摂れない日が、増えていきました
祖母は毎日、呪いのように、私に言い続けます
『お母さんの具合が悪くなったのはあんたのせい』

この言葉は、今も私の心に刻み込まれています
毒のような言葉を、祖母は毎日、吐き続けました

祖母が放つ言葉
悪化する心身状態
学校を休みがちになり、湧いてきた願望

『死にたい』
『家族を殺して、自分も死ぬ』
毎日、思っていました


読んでいただき、ありがとうございます🙇
③に続きます




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