Mamita(大澤真美)/まみーたという<いのち>

まみーたという<いのち> / ことばをあいするひと / すべてが然るべきように【著作】…

Mamita(大澤真美)/まみーたという<いのち>

まみーたという<いのち> / ことばをあいするひと / すべてが然るべきように【著作】 対話の本「ことばの焚き火」・バイオグラフィ「草稿 生成しゆく表現としてのわたし(我他史)」 https://mamita.base.shop

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どうも、わたしは身体的狩猟採集民らしい。

どうも、わたしは身体的狩猟採集民らしい。「どうも」「らしい」というのは、何か確定的なことがあるというより、たまたま狩猟採集民の話を聞いたり、本を読んだりすると、「そうそう」と腑に落ちることが多く、自分の行動に納得感が出てくるからだ。 日々感じる狩猟採集民的性質 例えば、ブリコラージュ的に手持ちのものでなんとかするのが得意なこと。レシピがある料理をつくるのは正直面倒くさくて苦手だが、冷蔵庫に頭を突っ込んで、あるものでなんとかするのは、めちゃくちゃ楽しい。 例えば、先が見通

    • はじめに〜草稿 生成しゆく表現としてのわたし(我他史)〜

      2023年11月11日にライフストーリー「草稿 生成しゆく表現としてのわたし(我他史)」を出版しました。「はじめに」の部分を読みたいという声をもらったので、noteに出してみます。 ✂︎ーーーーーーーーーーーーーー はじめに  こんにちは、はじめまして、まみーたです。本名は大澤真美ですが、ドミニカ共和国に住んでいた時に、Mamitaと呼ばれていたことで、ある時から、まみーたと名乗るようになりました。  わたしは、いわゆるロスジェネ世代の46歳。身長150センチ、体重4X

      • 対話は〈いのち〉のドラマか?/「〈いのち〉の自己組織」 X 「ことばの焚き火」

        先月、友人との話の中で、生命科学者であり、場の研究をされてきた清水博先生のことを知り、著書「<いのち>の自己組織」を手に取った。読み進めれば、読み進めるほど、自分の活動である対話や自著「ことばの焚き火」とも重なる部分が多いように感じられる。 この本で、清水先生は、多方面での行き詰まりが見られる現代社会において、科学とも宗教とも異なる新しい地の出発点として、<いのち>の活(はたら)き、を提案している。 これを読んだ時、自分が書いたこの感覚とすごく重なる気がした。 そして、

        • 自分の<ことば>をつくる〜自分を表現することは、他者と共に生きること〜

          私が対話に出会ったのは2020年のこと。それから対話の本を書き、対話の場をつくり続けているが、その原動力は「自分のことばで話す」ことの手応えを感じたことだ。それまで、割と自由に生きていたつもりだったが、それでも、空気を読んで、自己検閲して、(自分が思う)「社会のことば」に自分を寄せていたと思う。だから、「自分のことば」で自分の考えや思いを率直に話し、それが仲間に受け止められた時、率直な自分のことばが、誰かの何かに響いたとき、「世界と関わって生きている」そんな体感を持ったのだ。

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        • 湧き上がる思考のカケラ
          49本
        • 対話あれこれマガジン
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        • ひとから観える葉山シリーズ
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        • ヌエボ葉山丸航海日誌(町制100周年記念出版に向けて)
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        • 大澤真美基金〜自分から「共有地」をつくる
          5本
        • 葉山日記(旧葉山のハマり方)
          4本

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          ことばは依り代(よりしろ)

          ことばは依り代 わたしたちは ことばを通して その前に、奥に、向こうにあるものを 伝え合う ことばは そのものではないけれど ことばがないと 触ることがむつかしい 人が祈るとき その依り代を必要としたように 弓の道も的を必要とするように ことばは依り代 でも ことばはそのものではない だから 意味に磔(はりつけ)にならなくていい ひとや社会がつくることばの意味に ことばにはもっとある 音がある、響きがある、振動がある ことばを意味から

          わたしのねだん

          わたしのねだん わたしはたいした価値がなく わたしはたいした価値がある わたしはひどくちっぽけで わたしは限りなく偉大だ わたしは取るに足らないもので わたしはかけがえのないものだ だから じぶんに ねだんが つけられない 千円でももらいすぎと思えば 1億円でも足りないわと思う いくらでも高すぎて いくらでも安すぎる かりそめにつけてみても それはかりそめ それはかりそめ それはかりそめ かりそめに わたしが乗っ取られぬよう いっと

          制限こそが自分固有の生をつくる足場(とっかかり)である

          「何をしてる人なんですか?」と聞かれると、「生きてます。」と答える。はたから見たら、自由に生きているように見えるかもしれない。いわゆるライスワークを手放しても、なんとかやって行っていることを書くと、「私もそうしたいけど、持ち家じゃないから稼がないと」「子どもが小さいから、なかなか自由にはできない」「まみーただからできるんでしょ」という声も聞こえてくる。 いや、いや、そういうことじゃないんだよな〜。そもそも私にだって制限はある。17歳の娘と、70歳の母親と一緒に住んでいる。ま

          制限こそが自分固有の生をつくる足場(とっかかり)である

          「社会からこぼれ落ちそうな人々」の中に生きるヒントがある:存在そのものが教えてくれること

          先日、友人(フードデザイナーの横田美宝子さん)に誘われて、逗子の就労継続支援B型事業"mai!えるしい"に行ってきた。美宝子さんは、10年以上う前から、障害者の就労訓練を行うこの施設に関わり、「福祉の商品」ではなく、純粋に商品として手に取りたくなるお菓子を試行錯誤しながら、事業者や利用者さんと共につくってきた。実際、可愛くて、すごく美味しい。 作業場に入ると、みんな真剣に、でも楽しそうに自分の仕事に向かっている空気が伝わってくる。ここでの作業は、工程が細分化され、細分化され

          「社会からこぼれ落ちそうな人々」の中に生きるヒントがある:存在そのものが教えてくれること

          何でもかんでもお金が関わるのって疲れるから、ちょっとその分量を減らしたいだけなんだよね。別にお金は嫌いじゃないよ。

          noteの記事、「まみーたってどうやってお金を回してるの?」って聞いても、たぶん、なんの参考にもなりませんよ。にも書いたが、今、いわゆるライスワークを手放している。働かないで、生きていけるのか?と思われるかもしれませんが、持ち家で、自営をしている母の仕事をちょっと手伝ってお小遣い程度の報酬をもらったり、でも、基本は、単に貯金を崩しています。何のカラクリもありません(笑)。 ライスワークを手放しているからって、何も活動していないわけではありません。結構動いています。対話の本を

          何でもかんでもお金が関わるのって疲れるから、ちょっとその分量を減らしたいだけなんだよね。別にお金は嫌いじゃないよ。

          私は、大空に飛び立つ自由より、鎖のない自由を求めてきたのかもしれない

          「自由」であることに、熱がある。 これは、子どもの頃からある。 しかし、私が求めてきた自由とは、大空に向かって飛び立つ自由というより、飛んでも飛ばなくてもいい自由なんじゃないかと、最近思う。 親からの自由、 学歴からの自由、 キャリアからの自由、 ジェンダーからの自由、 お金からの自由... そして、それは、成長過程において、つながれてきた鎖、さらには、知らないうちに、自分の中に内在化した鎖からの自由である。 つまりは、自分で自分の内在化した鎖から自由になることを求め

          私は、大空に飛び立つ自由より、鎖のない自由を求めてきたのかもしれない

          自分の価値創造のために、他者を使いたくない

          セカンドキャリアで大学に行き、看護師と保健師の勉強をしていた時のことだ。 保健師は、個人ではなく集団、地域を見る、公衆衛生を扱う看護師。しかし、高齢者が多くなったり、昨今の医療の状況で、訪問看護など、看護師も病院から地域に出て行く人も多くなった。 そこで、何やらアイデンティティ危機感を感じたらしい先生方が、「最近は、看護師も地域のことを見ているから、保健師の存在意義を考えないと」のようなことを言っていて、何か違和感を感じたことを、時々思い出す。 別に、看護師、保健師って

          自分の価値創造のために、他者を使いたくない

          「風をとおすレッスン」✖️「ことばの焚き火」

          昨日、大手町で対話会を開催したとき、留学帰りの高校生が参加してくれた。そして、「帰って来て、日本の社会は息苦しいなと思う」と。なんとなく息が詰まる感じ、うまく吐くことも、吸うこともできない感覚。体が硬くなる感じ。それは、私が子どもの頃から変わってないような気もする。だから、「風をとおすレッスン」が必要なのかもしれない。 共通の知り合いのFacebookの投稿で、田中真知さんの「風をとおすレッスン」のことを知った。10代以上すべての人のための人文書シリーズ「あいだで考える」の

          「風をとおすレッスン」✖️「ことばの焚き火」

          連載:アルケミストの旅 #0 (出発前)

          **これは、2023年5月22日〜6月20日に渡り、17歳の娘とスペイン〜モロッコ+福岡・山口を旅した記録です。パウロ・コエーリョの「アルケミスト」を携えて、主人公のサンチャゴの足跡を思い浮かべながらの旅。本の内容とシンクロしたり、前兆が現れたり、自分なりの「アルケミスト」に出会った時間を言葉にしておこうと思いました。** 旅をスタートしたのは、2023年5月22日だが、話は2月の後半に遡る。その当時、なんとなくの自分のあり様が良くも悪くも安定してしまっている気がして、揺さ

          連載:アルケミストの旅 #0 (出発前)

          「まみーたってどうやってお金を回してるの?」って聞いても、たぶん、なんの参考にもなりませんよ。

          「まみーたってどうやってお金を回してるの?」ってよく聞かれる。と言っても直接聞いてくる人は少なくて、私の友人に間接的に聞くケースが多いけんども。 2年前の春分から、いわゆるライスワークは一切手放した。最初は、「自分の仕事をつくる!」と思っていたけれど、「自分の仕事をつくる」を考える時に「どうやってお金を回すか」という思考がくっついてきて、どうにも、考えが小さくなる。表面的にライスワークを手放してみても、マインドセットと構造を手放してなければ、同じこっちゃ。 とは言え、その

          「まみーたってどうやってお金を回してるの?」って聞いても、たぶん、なんの参考にもなりませんよ。

          道具というより、セットとセッティング〜全ては、人を表す鏡〜

          AI、Chat GPTがあちこちで話題になっている。いわゆるマスコミでは、リスクみたいな、不安がベースになっている記事が多い気がするが、最近対話会に来てくれた小学生はChat GPTとのやりとりを楽しんでいたし、私の周囲にはポジティブというか、ニュートラルな意見の方が多い。 そして、今朝、読売新聞のこの記事を見て、改めて、道具の問題っていうか、それを使う人間の問題であるのに、道具が危ないみたいな議論って、本質的じゃないなって思った。どんなものだってそう。武器だって、お金だっ

          道具というより、セットとセッティング〜全ては、人を表す鏡〜

          もし、ひーちゃん(母)が、幕末に生まれたら吉田松陰だったかもしれない件

          「マーク・パンサーに手紙を書く!」朝起きて来たら、母ひーちゃんが、目をキラキラさせている。マーク・パンサー。そう、わたしら世代(1977年生まれです)が若かりし頃、一斉を風靡したあのglobeのマーク・パンサーである。 ひーちゃんの手元には、「湘南よみうり」。マーク・パンサーがその一面を笑顔で飾っていた。わたしは、知らなんだが、鎌倉にお店を構えているそうな。 「マーク・パンサーさん、花粉症なんだって。ベルコロンを紹介しなくちゃ。」ひーちゃんは、自分が乳酸菌と花粉症について

          もし、ひーちゃん(母)が、幕末に生まれたら吉田松陰だったかもしれない件