道具というより、セットとセッティング〜全ては、人を表す鏡〜
AI、Chat GPTがあちこちで話題になっている。いわゆるマスコミでは、リスクみたいな、不安がベースになっている記事が多い気がするが、最近対話会に来てくれた小学生はChat GPTとのやりとりを楽しんでいたし、私の周囲にはポジティブというか、ニュートラルな意見の方が多い。
そして、今朝、読売新聞のこの記事を見て、改めて、道具の問題っていうか、それを使う人間の問題であるのに、道具が危ないみたいな議論って、本質的じゃないなって思った。どんなものだってそう。武器だって、お金だって、人助けだってそうだ。
世界の先住民族には、幻覚剤を使う人たちが多い。先日、太田光海監督をお招きして観た映画「カナルタ 螺旋状の夢」のシュアール族(エクアドル)もそうだ。
映画の中で、主人公的な立ち位置のセバスチャンが幻覚剤を摂取する時に、「場所が大切」「正装をする必要がある」みたいなことと、「ポジティブなヴィジョンがやってくる」という話をしていて、大学生時代に読んだ「チョコレートからヘロインまで」を思い出した。タバコも、コーヒーも、アルコールも、ヘロインも、みんなある種の精神作用を及ぼすものは、セットとセッティングが大切だという内容がすごく腑に落ちるものだった。
同じ物質を摂取しても、その人のマインドセットと、環境によって、体験が全く違うというのだ。つまりは、その「人と場」の気の流れによって、生成されることが決まってしまう。そのものに良い悪いはなく、良い悪いを生じさせるのは、「人と場」側の問題なのだ。
とすると、別にAIであろうが、これから生み出されるなんであろうが、別に恐れる必要はないし、そもそも「恐れ」というセットがあると、バッドトリップを生み出す原因になってしまう。
といって別に、恐れてはいけないというわけではない。無理にポジティブになろうとすることも、変な力が働いて、体験がねじ曲がる。ただ、「恐れ」は道具によってもたらされるのではなく、自分側の問題だと気付ければいい。気づけば、自ずと「恐れ」は消えていく。
幻覚剤も、AIも、お金も、ただ私たちの内面に起こっていることを映し出してくれる通路にしか過ぎない。そこで巻き起こっていることが、なんだかおかしければ、こちらのセットとセッティングが曲がっているので、それを修正すればいいってわけだ。
そいう目で世界を見てみると、あらゆることにサイン、ヒントがある。ありがたし。
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