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私は、大空に飛び立つ自由より、鎖のない自由を求めてきたのかもしれない

「自由」であることに、熱がある。
これは、子どもの頃からある。

しかし、私が求めてきた自由とは、大空に向かって飛び立つ自由というより、飛んでも飛ばなくてもいい自由なんじゃないかと、最近思う。

親からの自由、
学歴からの自由、
キャリアからの自由、
ジェンダーからの自由、
お金からの自由...

そして、それは、成長過程において、つながれてきた鎖、さらには、知らないうちに、自分の中に内在化した鎖からの自由である。

つまりは、自分で自分の内在化した鎖から自由になることを求めてきたんだと思う。

その鎖を断ち切っていけば、今ここにいながら、自由になれる。

大空に飛び立っても、飛び立たなくても、そんなことはどうだってよくなるくらい自由に。

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