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がん終末期のお風呂のことパート2。
お風呂に入りたいがん終末期の患者さん。
70代後半の男性で、病気を患う前は社長さんでした。外では厳しく、家の中では優しい方だったと聞いていました。最後のときはご自宅で過ごす、トイレも最後まで自分で行くという意思をお持ちでした。
カリタスプロセス9
敬意をもって神聖な行為を通して、身体的・心理的・霊的な人間の全人的な基本的ニーズを支援する。に関連したことを書きます。
(排便についても書いていますの
ガン終末期の方の最後のお風呂のこと。
人生最後の場面において、
口からご飯を食べたい、
自分でトイレに行きたい、
家のお風呂に入りたい、
っていう思い、願いを持っておられたりします。
自分で決めて行動するという
”自律”であり、生きているという自分の存在の証明にもなると捉えています。
これまで何も思わずできていたことが出来なくなったとき、自分の存在の柱が失ってしまうような感覚のようです(トータルペインという4つの痛みの中のスピリチ
「奇跡」は「軌跡」なんだ、と言ってた従姉妹の言葉思い出してます。
心の隅っこっていうか、頭の隅っこっていうかなんかそこらへんにある言葉ってありませんか?
わたしにとって、この表題もその1つです。
奇跡みたいなことが起こってるんだけど、それって、これまでの結果なんだきっと。
動かされてるような気もするんだけど、心の奥底のものが動いてるのかも。
先日アートセラピーの講演を聞いたことを書いたんですけど、
今度はアートセラピーをわたしが企画することになりそうです。
信じること(外科病棟より)
外科病棟で働いていたときのことです。
外科病棟というのは、手術を受ける前や手術後のケアをする病棟なんですけど、わたしが働いていたところは、主に消化器のがんや乳がんを扱っていました。手術は、腫瘍や臓器をとって、また縫い合わせるっていうようなことをするわけですが、もちろんリスクを伴います。手術前には、どういった手術をするのか、どのくらい時間がかかるものなのか、手術をした後にはどんな状態になるのか、また
アートセラピーについて
アートセラピーの講演を聴かせていただきました。娘が通っている保育園で、先生方と一緒にお話をきけるのはほんとに幸せなことだと思っています。
アートセラピーをはじめられたのは、阪神淡路大震災のときからだそうです。今は災害後の心のケアの必要性は普通だけど、当時はなく、心の専門家たちは子どもたちの心のケアや話を聞くことについて強く求めていたみたいだけど、実際自ら被災した大人たちに子どもたちの話を聴く余裕
ヒューマンケアリングとは①
さて本題に入ります。
ヒューマンケアリングを語る上で、自分のセンスを使っていくことは、とても重要なことではないかと考えています。(ここに至るまでに約12年かかってしまいました。)
まず、私の体験について書こうと思います。
あれは今から15年くらい前、
インドに1人で旅行に行ったときの食堂での出来事。わたしはターリー(いわゆるカレーの定食みたいなの)を注文した。他にお客さんはほとんどいない。定食
看護は観察からはじまる
「看護は観察からはじまる」
この言葉をいつも言っていたのは、看護学校の先生。背の高いナースキャップをかぶった(時代を感じる。。)凛とした佇まいの先生でした。
もとを辿れば、
これはナイチンゲールの言葉。
看護師にとって重要なことは、
観察とはなにか、どのように観察するかについて、記しています。
経験上、観察のためには、
”愛”が必要であると思っています。
関心を持つことで、観察は深まって