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ガン終末期の方の最後のお風呂のこと。

人生最後の場面において、

口からご飯を食べたい、
自分でトイレに行きたい、
家のお風呂に入りたい、
っていう思い、願いを持っておられたりします。

自分で決めて行動するという
”自律”であり、生きているという自分の存在の証明にもなると捉えています。
これまで何も思わずできていたことが出来なくなったとき、自分の存在の柱が失ってしまうような感覚のようです(トータルペインという4つの痛みの中のスピリチュアルペインと言われています。4つの痛みとは①身体的②精神的③社会的④スピリチュアルな痛みをいいます)。

今回は、カリタスプロセス6.7に関連する内容として私の経験を書いてみようと思いました。

カリタスプロセス6
ケアを行うにあたっては、創造的・科学的問題解決方法を使用すること。(その方法は、自分自身を用いて、知識や寄り添い・行うこと・成長すること全てにおいて芸術的なケアリングヒーリングの実践を使ったケアリングプロセスを通して追求される。)

カリタスプロセス7
個々それぞれの必要とするものや理解の様式を教え学び合うこと。(ケアリングの関係にあるトランスパーソナルな学び合いの中で、それぞれの枠組みを超え、健康と気づきを拡げていくようにコーチングする。)

その方は肝臓がんの末期の方でした。60代男性でがっちりした体格の方で、逆に奥様は小柄でした。治療が効かなくなり、退院して自宅での療養がはじまりました。良くなれば治療の再開を期待しながら、ホスピスの予約をしながら、在宅でのお看取りも視野に入れている状態でした。お風呂がお好きで自宅のお風呂に入りたいということで、看護師は入浴のお手伝いをさせていただくことになりました。お風呂に入られるととても喜ばれて、それから2度ほど入りましたが、残念ながら病状は進んでいき腹水や足の浮腫み、黄疸が出てきました。体の怠さもあります。お風呂場まで行けてもベッドに戻ってこれるか、、という状態でした。しかし、このときそれでも入浴を希望されました。

そして、そのときの私の判断は、
「お風呂に入ってもらう」でした。

わたしはその方に納得できる生き方をしてほしいと思いました。人にダメと言われて渋々、、ではなくて、自分で決定することを支援したいと思いました。
がんの末期の方というのは、亡くなられる約1週間前に急にガタッと悪くなることが多いです。自分の体を自分で支えられないっていうような感じ。そのような状態になったとき、その方は自身の体重の重みを自覚されます。わたしはその瞬間がとても大事なように思っています。生まれてからずっと一緒に生きてきた自分の体と対話するような。
だから、より安全な方法でできるだけ負担なくお風呂に入ってもらうように考えました。家族には、最後のお風呂になると思うことを伝えました。動けなくなった場合のヘルプと、寒くないように多めのタオルなどの準備をして入りました。結果、途中立ち上がれず難儀しました。途中で動けなくなるかもしれないけど入ることを話して決めていたので、「大変だったねぇ。がんばったねぇ。」など言いながらその日は終え、そして、それから数日した頃、息を引き取られました。

お亡くなりになられてお悔やみにお家に伺ったときに、ご家族から「あのときお風呂に入れてもらってありがとうございました。」と言っていただけたことが看護師として嬉しかったです。

そのような状態の方をお風呂に入れるなんてって思われるかもしれません。けれど迷いはなかったです。フィジカル、メンタル、スピリチュアルなどトータルアセスメントをする看護師だからできる仕事やと思います。危険を顧みず行ったのとは違います🙂これまで何度か訪問する中で、この方に必要なことを見出していったのかなと思います。

カリタスプロセス6.7。このあたりになると、より実践的な内容になってきますね。

久しぶりの更新でした。
読んでくださった方ありがとうございますm(_ _)m

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