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子持ちの主婦が「1ヵ月インドに行く」と伝えたときの相手の反応で、その相手の価値観がわかる、という話。

想像してみてほしい。
もしあなたが、4歳の子供がいる主婦の友人から「1ヵ月インド行ってくるわ、ヨガの修行で!」と言われたら、なんて声をかけるだろうか。

・・・と、その前に。
一般的に主婦にとって子供を置いて家を出るという行為がどれほど難関なのかを共有してから話を進めたい。

子持ちの主婦にとって家を出かけるハードルがめちゃくちゃ高いことについて


子供が生まれると暗黙の了解のように、友人から夜飲みに行くお誘いがめっきりなくなってしまう。
ごくまれに誘ってもらったとしても、ほぼ断りの返事をしなければならない。
なぜ主婦にとってここまで夜のお出かけのハードルが高いのだろうか。
この文章を読んでいる人が全員主婦とは限らないので細かく説明していこうと思う。
先に伝えておきたいのが、これから話すことは我が家の話ではない。
いわゆる大多数を占める平均的な話として読んでほしい。

誰も家にいない問題

平日の飲みは不可能に近い理由の一つがこれだ。
子持ち主婦が「やったー飲みに行こう!」となったところで、母親が出かけた家に誰がいるの?という問題が起こる。
保育園や託児所、はたまた幼稚園などに子供を迎えに行くのはおおかた母親だ。(バスで家の近くまで来てくれる場合もあり)
母親は時短勤務をしているか、ほぼノー残業で仕事を切り上げるか、専業主婦かのいずれかを選択している。
父親は基本残業で、帰宅時間は遅い。
2018年と少し昔のデータだが、日本の父親の帰宅時間が20時台以降の割合は61.5%。ちなみにフィンランドでは5.5%なので、いかに多くのお父さんたちが平日仕事に時間を費やしているのかがわかるだろう。(参照:ベネッセ教育総合研究所

と、いうわけで飲みに行こうとしても、夜20時過ぎまで待っていなければ誰も子供を見ている人がいないのが現実なのである。

帰宅からのスケジュールが怒涛問題

ここが大きな問題だと個人的に思っている。
どれくらい大変か、ざっと書き記したい。

まず子供を迎えに行ったら遊びの時間をとる。
園でみんなと合わせていたのだ。子供だって自由気ままに過ごす時間が欲しい。
遊び方はその子の個性によるが、公園で思いっきり遊びたい子もいれば、お家でお気に入りのブロックや好きなお絵かきをしたり、大好きなキャラクターが出てくるDVDを観る子もいるだろう。
好きに遊んでもらって構わないのだが、ここに1つの条件が追加される。
それはお母さんと一緒ということ。
べったりくっついていたり、そうでなかったりといろんなパターンがあると思うが、とにかく【お母さんが見ているという絶対的な安心感】みたいなものを子供は求めている。一人で勝手に遊ぶわけではないのだ。
そこで、大体のお母さんはある程度遊びに付き合ったら、そこからは遊びと並行して食事の準備をする。
チャチャチャっと作ったら遊びを切り上げ子供と夜ご飯を食べる。

ご飯を食べるってすんなりと書いているが、ここも次から次へとトラブルがやってくる。
全然食べないのを促したり、食べながら歩きだしたり箸で遊ぶのを注意したり、お茶くださいとか言われてはいはいって取りに行ったらやっぱ牛乳がいいとか言われたり、めちゃくちゃ細かく切ったのにピーマンや玉ねぎをべぇっと吐き出されてこれくらい食べなさいよとか言ったりしながら、『今日はどんな1日だったの?』と会話をしつつ、自分も食事をとる。

食事が終わったらお風呂の準備だ。
机の上を片付けつつ、子供とおしゃべりしつつ、いかにスムーズに風呂まで誘導するかを考える。
おもちゃ作戦、氷作戦(湯船に氷を浮かべる遊び)バスボム作戦(入浴剤を子供に入れてもらう)など日によって作戦を変えながらなんとか子供とお風呂に入る。
湯船からすぐはみ出すのを肩まで入るよう促したり、顔が濡れるのを極端に嫌がるのをなだめすかしたりしながら自分も頭と体を洗う。
もちろんその間も子供は全力で遊んでくるのでそれの対応をしながら、だ。

風呂から出たら冷えないうちに身支度を整え、そのまま寝かしつけに入る。絵本をたくさん読まないと寝ない子もいれば、布団でマット体操のごとくゴロンゴロンと転がりもうひとはしゃぎする子もいるだろう。
あーだこーだと言いながら最後はお母さんと手をつないでやっと眠る。

ここで眠ってしまいたい、というくらいで夫が帰宅。
ここから夫のための食事を用意し、ほっと一息。
夫婦で子供のことを話したり、テレビを見たりする時間がやってくるのだ。

(ここまで読んだ未婚の方は驚かないでほしい。大丈夫、子供からの情報量の多さにはすぐ慣れる)

お迎え~寝かしつけまでノンストップで駆け抜けるのが常であり、これをすんなりとこなすには日々の経験と鍛錬が必要だ。
つまり、毎日帰りが遅いお父さんが急にやるとうまくいかないことが多いということだ。
夜出かける=夫に代行依頼を出すことを意味する。
子持ち主婦は夜の流れが1日で一番大変なことをよく理解している。
よく理解しすぎて「夫に任せるのは無理だろう(私ほど経験を積んでいないので夫にも子供にも多くの負担をかけることが安易に予想できる)」と判断。
飲みの誘いを断るという答えにたどり着くのだ。

子持ち主婦が1ヵ月家を空けることに対する周りの声

ずいぶん遠回りしたが、話を戻そう。
このように一晩家から出るだけでもハードルが高い子持ち主婦が1ヵ月も家を空けるとなったら…。
あなたならなんて声をかけるか決まっただろうか。

ここからは実際に私が言われたことを並べてみる。

・『ご飯は?家のことは?子供は??誰が面倒見るの?誰が家のことをするの??』

・『(全く理解できないという顔を1分ほどしたのち)旦那さんはなんて言ってる?』

・『帰ってきて息子が死んでても文句言えないよ?!』

・『かっこいい!自慢のママですね!!』

・『宇宙人。理解不能。』

・『羨ましいな、夫がいい人でよかったね』

・『子供のこと考えてるの?好きなことをするってそんなに大事なこと?』

・(夫が1ヶ月家を開けることを許可したという事は)『嫁と距離をとりたかったんじゃない?』

・『夫が1ヵ月子供みるの?すごすぎない!?』

あなたと同じ意見の人はいただろうか。
大体3パターンに分かれる傾向がある。
・家のこと(夫婦仲)を心配するパターン
・極端に褒められるか、極端に怒られるかのパターン
・夫をほめるパターン
のいずれかだ。

投げかけた言葉はそのまま自分に返ってくる

私に投げかけた言葉が3パターンに分かれるところまで解説した。
ここからは分析していきたいと思う。

まず、家のこと(夫婦仲)を心配するパターンと、夫をほめるパターンは実はよく似ている。
つまり自分は夫に任せられない、もしくは自分に任せられたら困る、という気持ちがこの返答に込められているのではないかと推測できる。

「私だったら無理。家のことは私がやらないと!
「早く帰れるような仕事でもないし、嫁がインド行くからと言って融通してくれるような会社ではない。くたくたになって帰ってきたところで慣れていない夜の一連の流れなんて無理!
という本音が聞こえてくる。
夫をほめるのもこの気持ちとほぼ一緒だ。
「いいね、あなたの旦那は任せられるタイプの人で」
「いいな、仕事が融通が利くんだろうな」
そんな気持ちがあるから夫のことをほめるのであろう。
夫婦間や、自分の役割を固定してしまい、そこから動こうという意思がないという無意識が働いているのではないかと考えられる。

次に極端に褒められるか、極端に怒られるかのパターン。
どちらも自分では社会的にやってはいけない、できないと思っていることをやろうとしている私がうらやましいor妬ましい
という感情が含まれていると推測できる。
「子供は母親と離れたくないものだ。だから離れてはいけないのだ。」
「妻は夫の身の回りの世話をすべきだ。」
「母親になったのであれば好きなことを我慢すべきだ。」
「対して収入にならないことで夫に負担をかけてはいけない。」
ざっとこんな感情が入り乱れて私を絶賛したり、叱ったりするのだろう。

これらの発想は至極当然だと思う。私たちの親は上記のような価値観の中で生活してきたからだ。
昭和ギリギリ世代の私たちにもしっかりと潜在意識として組み込まれている。子供のころの親の刷り込みほど強烈なものはないからだ。
令和になったからといって急に潜在意識が変化することはない。
価値観が親からもらったものから変化していない、ということに気が付くだろう。

じゃあ私は?

私はまるであらゆる固定概念から脱却している人間ですよ、みたいな顔して分析しているが、実際はありとあらゆる概念にガンジガラメに縛り付けられていた。
「母親がいなくなったら子供がかわいそうだ。」
「夫の稼ぎを当てにして1か月も家のことを何もしないなんて、妻としての役割失格だ」
「やりたいことをするのはそんなに大事なのだろうか」
といった自分を責める言葉が次から次へとあふれ出してくる。かと思えば
「ふらっとインドに行っちゃう私は実はかっこいいのでは?」
「チャレンジをやめない自分ってすごいのでは?」
といったチャレンジする自分に酔うようなナルシズムがちらりと顔をのぞかせてくることもあった。
私自身、インドに行くということが、もう行く前からとっても心揺さぶられる出来事だったのだ。

逆の立場で考えてみる

さて、このように多種多様の意見をもらったわけだが、これが夫の場合で考えてみよう。私がインドに行っても家計にたいした影響を与えないという視点から、夫が1ヵ月間海外出張に行くと仮定する。

その場合の返答はほぼこうだ。
『へー、ワンオペ頑張ってね』

…おしまい。
男女差で、つまり『父と母』でこんなに周りの反応が違うのは事実だ。
これも、社会全体にある無意識が大いに関係しているだろう。

最後に

男女差について話しだしたらもう終わりが見えないのでそれについてはまた今度書きたいが、とにかくいろんな人からいろんなことを言われて、私自身もかなり揺れた。
先ほど伝えた通り、ただでさえ情緒不安定だったからなおさらだ。
いくらマインドフルに過ごしていたとしても、そこはやっぱり人間だもの。褒められればうれしくて、怒られれば悲しくなる。

でも、自分の小さいな行動が、私自身の心の縛りをほどくきっかけになったように、友人たちの無意識に気付くきっかけになってほしいと願う。
だからこうやってnoteを使って発信しようと決めたのだ。

あなたの心は、どう動いただろうか。
ぜひ聞かせてほしいです。




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