しんとう

そろそろ大学院生。楽天的。

しんとう

そろそろ大学院生。楽天的。

最近の記事

自分の「読み」についての観察と反省

はじめに ここでは、自分自身の「読み」についての実践を振り返ろうと思う。「読み」について現状認識することで、修士課程での生活をより豊かなものにするための大まかな方針を立てようという目論見である。したがってこのnoteは読書一般の分析でも批評でもない反省による自己診断であり、これを公開することにほとんど意味はない。  それではなぜこんなことをするのかといえば、本当に情けないぐらい暇だからである。卒論が無事終わり、タスクが全くない状態で年末年始を迎えた。なんとなくのびのびとした気

    • 救うとかふれるとか

      救うとか、助けるとか、支えるとか、ケアするとか、高校生のときはそういう言葉を無邪気に信じていた。けれども現実には、人にはどうしても出来ることと出来ないことがあって、私たちはその可能性と限界の間でしか他人と関わることができない。誰かある人を「救おう」と決意するときの重さ。高校生の自分はそれを知らなかったのだと思う。 鷲田清一が「さわる」と「ふれる」の違いについて論じていたのを思い出す。相手の表面を「さわる」のとはちがって、「ふれる」には自他の境界を乗り越える作用がある。心がふ

      • 釣りと時間の話

        夏休みが始まってすぐ友人たちと伊勢に釣りをしに行った。実をいえば釣りに対して全く良いイメージを持っていなかったので、自分が釣りを充分に楽しめるかどうか若干疑いながら釣り堀に向かったことを覚えている。釣りに対するよくない印象は、たぶん幼いころに生まれたものだと思う。むかし父と何回か川釣りに行ったことがあるが、少年時代の私にとっては釣りの待ち時間が退屈で退屈で仕方なくて、何が面白いのかあまり理解できずに途中で飽きて川に飛びこみ泳いでいた。魚を釣るよりも、水中で魚を観察したり、自由

        • 2023/07/11 倫理の人と家庭主義

          ある人から「子育ての秘訣はありますか?」という質問をされて、その人は一瞬たりとも迷うことなく、力強い眼差しでこう答えた。 「とにかく、そのまま放っておくことや」 そのあまりの痛快さと迷いのなさに、側から話半分に聞いていた私は吹き出しそうになった。きっと質問者は、学校での勉強とか、課外の習い事とかについて、親がどのようにして子どもに手を掛けるべきかを聞きたかったのだと思う。それなのに、質問者のそうした前提を根っからひっくり返すような答えが来たのだから、質問者も流石に動揺を隠

        自分の「読み」についての観察と反省

          2023/06/30、「笑い」について

          「笑い」は、すべてを肯定する。あらゆるネガティブな事柄を、すべて丸ごと肯定的に変化させてしまうような、恐るべき魔力を秘めている。仮にどうしても肯定できないようなことが起こったとして、その否定性自体をうまく笑ってしまえば、否定性それまでもが肯定されるのだ。日常生活のなかのどんな瞬間に「笑い」が成立するのかを考えてみればいい。それはいつでも、想定外なことや無意味なこと、端的にいえば「失敗」が生まれたときである。お酒で失敗したこと、恋人にフラれたこと、上司に怒られたこと、なんでもか

          2023/06/30、「笑い」について

          2023/06/03、小説を書くためのノート

          私はnoteの機能があまり好きではないんだけど、その理由のひとつは、記事にタイトルをつけなければならないからだ。タイトルをつけると、何らかの一貫性を持ってまとめないといけないのでは、というような気がして妙に焦ってしまう。これからは全部のタイトルを日付にしてしまえばいいのかな。 私たちの世界は、「他者」であふれている。他者は何を考えているか知れないし、何をしでかすかも予測がつかない。信じるに値するものかも分からないし、敵意を向けてくることすらあるだろう。私は他者を過剰に恐れて

          2023/06/03、小説を書くためのノート

          別媒体に書き溜めてる日記、公開できそうなやつをここに載っけようかな

          別媒体に書き溜めてる日記、公開できそうなやつをここに載っけようかな

          後ろめたさ

          当たり前のように生きている人々の偉大さが身につまされた。何気なく目にしていた家々は、きっと誰かが必死に働いてお金を稼ぎローンを組んでやっとの思いで建てたものだし、青々として風に揺れている稲田も、誰かが高額な重機を購入して、毎日のように世話をした結果生まれた景色なんだ。私が見ていたものは、色んな人達が歯を食いしばって獲得してきた未来の集積なんだ。そんな景色の中を、私は何も考えずに歩いてきた。 田舎の地元へと帰省したタイミングで、うっかりコロナに感染してしまった。もともと住んで

          後ろめたさ

          感性をぶん回す

          ぶっきらぼうに生きるのは気持ちがいい。「ほら、私はこういう人間なんだ!」というのを全面に出して、どっか行って誰かと話してみる。いつもより、知らない人と仲良くなるのが簡単だ。 私は地元が嫌いだ。別に家族や友人と不和があるとかではないが、魂が閉塞感にやられてしまう。田舎にある実家に居ると、「ああこうしてクソつまらないことを考えたり退屈しのぎに昼寝したりして死ねんだろうな〜」という気分になる。気分になるだけじゃなくて、実際そうなのかもしれん。地元には、私が今まで私として生きてきた

          感性をぶん回す

          文体性格診断

          小説とかエッセイを書くとき、文体に書き手の人となりが表れるというのはまさにその通り。人によってしっくり来る書き方というのがあるんだろうし、そこにはそのままその人の頭の中の整理の仕方がそっくり映し出されているものだと思う。そうなると自分の文体とか文章の癖がどんな風なのか、気になってくる。 そこである親しい人に日記とか書評とかを読んでもらって、「俺の文章ってどんな特徴があるの?」と聞いたら、「感情を表す表現が簡潔で、心情を客観的に表現する癖があるね」と言われて確かに〜!!って思

          文体性格診断

          感情は「喜び」とか「悲しみ」みたいな型にはめられて本来の繊細さを失うことがあるらしいけど、人間関係も「友人」とか「恋人」とか、型があることで窮屈になってる気がする。人間に対する感情は色んなグラデーションの中にあるのに、関係に強いて名前をつけなきゃいけないのがたまに鬱陶しいのよね。

          感情は「喜び」とか「悲しみ」みたいな型にはめられて本来の繊細さを失うことがあるらしいけど、人間関係も「友人」とか「恋人」とか、型があることで窮屈になってる気がする。人間に対する感情は色んなグラデーションの中にあるのに、関係に強いて名前をつけなきゃいけないのがたまに鬱陶しいのよね。

          DMの返事が急にそっけなくなる人

          経験則から、僕の信用する人には妙な共通点があることが分かった。それこそが表題にある通り「DMの返事が急にそっけなくなる」ことである。つまり、 みたいなことだ。なんというか、通常の人であれば、会話を終わらせるにしてもスタンプの前に「そうでしょー!」みたいな一言を挟むのだが、ある種の人々は決まって即スタンプだ。あるいは、インスタであれば即DMいいねだ。 大方の人にとってこれはかなり冷たく見えるようだが、僕にとっては、まあまあありがたい。そもそも簡潔に済む内容を冗長に続けること

          DMの返事が急にそっけなくなる人

          井の中の幸福コンプレックス

          なんだか怖くて、書いて即非公開にしてしまった文章を、いまさら公開します。(2022.06.25) 何をしていても、ふと立ち止まった瞬間に現れる、僕の胸の中にこびりついて離れない言葉があります。それが「幸福コンプレックス」です。幸福であるのにコンプレックスだなんて、かなり倒錯した感情だと思われるかもしれません。一見すると訳も分からぬこの観念を、あれかこれかと模索した末に何とか説明しうるレベルまで分解できた気がするので、ここに記しておきます。 「井の中の蛙」は幸福でしょうか。

          井の中の幸福コンプレックス

          家を訪問する

          昔と今とでは、「家を訪ねること」の意味も重みも変わったんじゃないかと思う。 例えば少し古めの小説や随筆なんかを読んでいると、旅行の準備をしているうちに近所の隠居さんが「面白い煙草があるよ」と尋ねてきて、そのまま1〜2時間雑談、みたいな話や、仕事の依頼に来た雑誌の編集者とたまたま話し込んでしまい、そのまま意気投合して、すっかり友人になってしまった、みたいな話を見かける。 最初のうちはふむふむと流し読んでいたこの類のエピソードだけど、最近ふと考えてみると、自分の実家では不意に

          家を訪問する

          夢中第二次妖怪大戦前夜

          この前不思議な夢を見ました。 そこは物の怪の世界で、大まかには日本妖怪と西洋妖怪の2種類がいる。2つの種族は表面上友好的であるが、腹の底では否みあっている。 自分は日本妖怪の側で、自分自身の姿は確認していなかったが、日本妖怪は生活用品を象った姿をしている。大方付喪神の類だろう。 ある日不自然に西洋妖怪の中でも有力な4匹に誘われて、学校をサボり誰かの家に行ったのだが、やはり不穏な空気を感じる。虎のような姿をした1匹が菓子や茶を出してくれたが、それにもかかわらず、安らかな心

          夢中第二次妖怪大戦前夜

          小さな火でも火傷はするのだ

          夏のある日、一人暮らしをしている友人のところへ遊びに行った。初めて行ったそいつの部屋は想像よりも広く、落ち着く程度にモノにあふれていて、「いい部屋だな」と思った。 晩飯はその場の思いつきで餃子を選んだけど、料理に不慣れだったからか、買い出し含めて準備に4時間くらいかかった。今思い返しても何にそこまで時間がかかったのか分からない。タネに濃く味付けをしていたから、やっとの思いでありついた餃子には酢と黒胡椒を合わせて食べた。やたら空腹の状態だったからかその時の餃子はめちゃくちゃ美

          小さな火でも火傷はするのだ