しんとう

院生。エリート青年の精神史を社会学的に考察したい。楽天的。

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最近の記事

古東哲明『瞬間を生きる哲学ーー〈今ここ〉に佇む技法』を読んで(2024,05,14)

今日の3限目にO先生の講義に出席した。 現象学の講義で、訳文と原文を照らし合わせながら、テクストをゆっくり丁寧に読み解いていく。重要なのは、単にテクストの内容を読み解くことではなくて、文体のきめの細かさ、つまりテクスチュアにも気を配ることだ。 受講生は私含めて2名で、進行がゆったりだから、そこまで予習に時間を取られることもない。大学院に入ってからは以前よりもあくせく動き回る生活になってしまった。古い英語の論文や難解な本を急いで読まなければならなかったり、研究発表の資料作りや

    • 健やかでいるための問い(2024,04,20)

       この世界には、焦燥に駆られていたり、何かに飢えていたり、消えない過去に囚われたり、生きる意味を見失ったりする様々な人がいて、その各々が個性と環境との相互作用のなかで物を考え生きている。その直中にいると人は時々、自暴自棄になって過激なことを言いたくなったり、やたらに強く在ろうとしたり、暗く淀んだ場所に留まりたくなったり、逃げ出したくなったりする。時には命を絶ちたくなることすらある。  しかし坂口安吾が自殺を「生きたい手段の一つ」と語ったように、暴力衝動、被虐衝動、希死念慮です

      • 洗練と都市性について(2024,03,02)

         インド第二の大都市ムンバイに、洗練という文字は似合わない。極端なまでに進んだ大気汚染、差し出された物乞いの手のひら、見るに耐えぬバラック街、鳴り止まぬクラクションの音、突き刺すような日差し、そのどれもが私たちの感覚器官を逆撫でにしてくるようだった。そこは「都市」といわれて想像しうるものからは程遠い、生きたカオスだった。  もちろん場所によっては十分に都会的なセンスを感じることもできる。ビジネス街にある最新の巨大なショッピングモールは、東京でも滅多にお目にかかれないほど立派な

        • 雑記について

           数年前から、ときどきインスタグラム上(@greenchillylover)に簡単な雑記を書いて投稿する習慣がある。最初はなんとなく恥ずかしかったので非公開アカウントにして細々とやっていたが、やがてそんなに内向的なままでいるわけにもいかないなぁと思い、公開アカウントにしてみた。どうせ公開アカウントにするのだから、せっかくなのでnoteにもあげてみることにした。  雑記は大体、そのとき自分が考えたことや感じたことについて、その感性や思考のニュアンスを書き留めるために書くことが多

        古東哲明『瞬間を生きる哲学ーー〈今ここ〉に佇む技法』を読んで(2024,05,14)

          自分の「読み」についての観察と反省

          はじめに ここでは、自分自身の「読み」についての実践を振り返ろうと思う。「読み」について現状認識することで、修士課程での生活をより豊かなものにするための大まかな方針を立てようという目論見である。したがってこのnoteは読書一般の分析でも批評でもない反省による自己診断であり、これを公開することにほとんど意味はない。  それではなぜこんなことをするのかといえば、本当に情けないぐらい暇だからである。卒論が無事終わり、タスクが全くない状態で年末年始を迎えた。なんとなくのびのびとした気

          自分の「読み」についての観察と反省

          救うとかふれるとか

          救うとか、助けるとか、支えるとか、ケアするとか、高校生のときはそういう言葉を無邪気に信じていた。けれども現実には、人にはどうしても出来ることと出来ないことがあって、私たちはその可能性と限界の間でしか他人と関わることができない。誰かある人を「救おう」と決意するときの重さ。高校生の自分はそれを知らなかったのだと思う。 鷲田清一が「さわる」と「ふれる」の違いについて論じていたのを思い出す。相手の表面を「さわる」のとはちがって、「ふれる」には自他の境界を乗り越える作用がある。心がふ

          救うとかふれるとか

          釣りと時間について

          夏休みが始まってすぐ友人たちと伊勢に釣りをしに行った。実をいえば釣りに対して全く良いイメージを持っていなかったので、自分が釣りを充分に楽しめるかどうか若干疑いながら釣り堀に向かったことを覚えている。釣りに対するよくない印象は、たぶん幼いころに生まれたものだと思う。むかし父と何回か川釣りに行ったことがあるが、少年時代の私にとっては釣りの待ち時間が退屈で退屈で仕方なくて、何が面白いのかあまり理解できずに途中で飽きて川に飛びこみ泳いでいた。魚を釣るよりも、水中で魚を観察したり、自由

          釣りと時間について

          2023/07/11 倫理の人と家庭主義

          「子育ての秘訣はありますか?」という質問をされて、その人は一瞬たりとも迷うことなく、力強い眼差しでこう答えた。 「とにかく、そのまま放っておくことや」 そのあまりの痛快さと迷いのなさに、側から話半分に聞いていた私は吹き出しそうになった。きっと質問者は、学校での勉強とか、課外の習い事とかについて、親がどのようにして子どもに手を掛けるべきかを聞きたかったのだと思う。それなのに、質問者のそうした前提を根っからひっくり返すような答えが来たのだから、質問者も流石に動揺を隠すことがで

          2023/07/11 倫理の人と家庭主義

          2023/06/30、「笑い」について

          「笑い」は、すべてを肯定する。あらゆるネガティブな事柄を、すべて丸ごと肯定的に変化させてしまうような、恐るべき魔力を秘めている。仮にどうしても肯定できないようなことが起こったとして、その否定性自体をうまく笑ってしまえば、否定性それまでもが肯定されるのだ。日常生活のなかのどんな瞬間に「笑い」が成立するのかを考えてみればいい。それはいつでも、想定外なことや無意味なこと、端的にいえば「失敗」が生まれたときである。お酒で失敗したこと、恋人にフラれたこと、上司に怒られたこと、なんでもか

          2023/06/30、「笑い」について

          2023/06/03、小説を書くためのノート

          私はnoteの機能があまり好きではないんだけど、その理由のひとつは、記事にタイトルをつけなければならないからだ。タイトルをつけると、何らかの一貫性を持ってまとめないといけないのでは、というような気がして妙に焦ってしまう。これからは全部のタイトルを日付にしてしまえばいいのかな。 私たちの世界は、「他者」であふれている。他者は何を考えているか知れないし、何をしでかすかも予測がつかない。信じるに値するものかも分からないし、敵意を向けてくることすらあるだろう。私は他者を過剰に恐れて

          2023/06/03、小説を書くためのノート

          別媒体に書き溜めてる日記、公開できそうなやつをここに載っけようかな

          別媒体に書き溜めてる日記、公開できそうなやつをここに載っけようかな

          後ろめたさ

          当たり前のように生きている人々の偉大さが身につまされた。何気なく目にしていた家々は、きっと誰かが必死に働いてお金を稼ぎローンを組んでやっとの思いで建てたものだし、青々として風に揺れている稲田も、誰かが高額な重機を購入して、毎日のように世話をした結果生まれた景色なんだ。私が見ていたものは、色んな人達が歯を食いしばって獲得してきた未来の集積なんだ。そんな景色の中を、私は何も考えずに歩いてきた。 田舎の地元へと帰省したタイミングで、うっかりコロナに感染してしまった。もともと住んで

          後ろめたさ

          感性をぶん回す

          ぶっきらぼうに生きるのは気持ちがいい。「ほら、私はこういう人間なんだ!」というのを全面に出して、どっか行って誰かと話してみる。いつもより、知らない人と仲良くなるのが簡単だ。 私は地元が嫌いだ。別に家族や友人と不和があるとかではないが、魂が閉塞感にやられてしまう。田舎にある実家に居ると、「ああこうしてクソつまらないことを考えたり退屈しのぎに昼寝したりして死ねんだろうな〜」という気分になる。気分になるだけじゃなくて、実際そうなのかもしれん。地元には、私が今まで私として生きてきた

          感性をぶん回す

          文体性格診断

          小説とかエッセイを書くとき、文体に書き手の人となりが表れるというのはまさにその通り。人によってしっくり来る書き方というのがあるんだろうし、そこにはそのままその人の頭の中の整理の仕方がそっくり映し出されているものだと思う。そうなると自分の文体とか文章の癖がどんな風なのか、気になってくる。 そこである親しい人に日記とか書評とかを読んでもらって、「俺の文章ってどんな特徴があるの?」と聞いたら、「感情を表す表現が簡潔で、心情を客観的に表現する癖があるね」と言われて確かに〜!!って思

          文体性格診断

          感情は「喜び」とか「悲しみ」みたいな型にはめられて本来の繊細さを失うことがあるらしいけど、人間関係も「友人」とか「恋人」とか、型があることで窮屈になってる気がする。人間に対する感情は色んなグラデーションの中にあるのに、関係に強いて名前をつけなきゃいけないのがたまに鬱陶しいのよね。

          感情は「喜び」とか「悲しみ」みたいな型にはめられて本来の繊細さを失うことがあるらしいけど、人間関係も「友人」とか「恋人」とか、型があることで窮屈になってる気がする。人間に対する感情は色んなグラデーションの中にあるのに、関係に強いて名前をつけなきゃいけないのがたまに鬱陶しいのよね。

          DMの返事が急にそっけなくなる人

          経験則から、僕の信用する人には妙な共通点があることが分かった。それこそが表題にある通り「DMの返事が急にそっけなくなる」ことである。つまり、 みたいなことだ。なんというか、通常の人であれば、会話を終わらせるにしてもスタンプの前に「そうでしょー!」みたいな一言を挟むのだが、ある種の人々は決まって即スタンプだ。あるいは、インスタであれば即DMいいねだ。 大方の人にとってこれはかなり冷たく見えるようだが、僕にとっては、まあまあありがたい。そもそも簡潔に済む内容を冗長に続けること

          DMの返事が急にそっけなくなる人