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後ろめたさ

当たり前のように生きている人々の偉大さが身につまされた。何気なく目にしていた家々は、きっと誰かが必死に働いてお金を稼ぎローンを組んでやっとの思いで建てたものだし、青々として風に揺れている稲田も、誰かが高額な重機を購入して、毎日のように世話をした結果生まれた景色なんだ。私が見ていたものは、色んな人達が歯を食いしばって獲得してきた未来の集積なんだ。そんな景色の中を、私は何も考えずに歩いてきた。

田舎の地元へと帰省したタイミングで、うっかりコロナに感染してしまった。もともと住んでいた場所が京都で、そこから田舎へ戻ったんだからコロナに感染する心配はまずないだろうと高を括っていたのがダメだった。感染して二日間はとにかく高熱が辛くて、その後数日は倦怠感とか諸々でまともに動けやしなかった。私の場合は地元で感染したのが不幸中の幸いで、自室に隔離されながらも家族が身の回りの面倒を見てくれた。

一人暮らしを始めて以降、私は家族に対してなんとなく精神的に距離を取って生きてきた。LINEとかは極力しないし、家族旅行にもめんどくさいから参加しない。私はとにかく、何からも「自由」でいたくて、文化の街京都の微熱に浮かされてプチブル気取りの生活を送っていた。家族の存在は、視界に入れたくなかった。今回の帰省も、半年以上ぶりなのにたった5日間だけにするつもりだった。

けれども今回の療養生活で、自分がどうしようもなく「支えられて」生きているということを、強く実感した。私は文系なのに大学院進学を考えているのだが、発熱等が落ち着いてきたある晩、まともに動けずベッドに埋もれながら、急に身体が引き裂かれるほど未来が不安になって、自分は食っていけるんだろうかとか、ちゃんと手に職をつけることができるんだろうかとか、そういうことばかり考えていた。そうして叫び散らかしたいほど不安に包まれているなかで、急に友達や恋人に電話をかけて泣き言を聞いてもらった。母親は毎日、仕事に出掛けて帰ってきた後でも料理を運んできてくれている。私はただ何もせずに寝転んでいる。私は大学の学費を払ってもらっている。少なくはない額の仕送りももらっている。ずっと昔から子供の大学進学を見越して貯蓄していたらしい。それでも嫌味一つ吐かずに、「なにか欲しいデザートとかない?」とか聞いてくる。

私は帰省が嫌いだった。帰省してはほんのりと病んで、また京都の街に戻って元気になることの繰り返しだった。暗い部屋で一人、20歳にもなってようやく気づいたことは、田舎のちっぽけな町はただ単に私を暗い気持ちにさせていたのではなくて、ありのまま身の丈をまじまじと見せつけてきていたのだということ。田舎の町が見せつけてくる景色こそ現実で、京都はただの現実逃避先だった。私は一切自立なんてしていなくて、大人たちにしっかりと守られていたんだ。私が家族に対してこっそりと感じていたのは、守られていることへのすごく大きな感謝と、そこから生まれる「後ろめたさ」だった。「なんでそんなに優しいの?」「なんで不自由なく生活させてくれるの?」そんな思いの裏腹に妙に居心地悪いような気がして、どこかで家族のことを避けていたのだろうと思う。でも、事実として、両親はものすごくちゃんとお金を稼いで私を育て、私はどうしようもなく甘ったれて支えられて生きているんだ。自分のなかでやっと受け入れることができた瞬間、少し涙が溢れてきた。

症状が殆どなくなって、療養期間も終わりかけた頃合い、自分の体力を確認するために数十分の散歩にでかけた。よく見るとド田舎にもたくさん家は建っていて、時々は子供も見かける。あの家も、あの家も、不満を抱えながらそれでも耐えて何十年もお金を稼ぎながら、子供を立派に育てようと頑張っているんだろう。別に田舎でなくても、あのアパートの光ひとつひとつにそうした苦闘の人生があって、みんな各々の生を営んでいる。

コロナはかなり苦しかったが、そのおかげで、人生という営みをより適切なスケールで捉えられるようになったような気がする。

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