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DMの返事が急にそっけなくなる人

経験則から、僕の信用する人には妙な共通点があることが分かった。それこそが表題にある通り「DMの返事が急にそっけなくなる」ことである。つまり、

「これは〇〇ですね」
「うん、××みたいなのもあるよ」
「あ、そうなんだ!それ面白そうです」
「(スタンプ)」

─────会話終了


みたいなことだ。なんというか、通常の人であれば、会話を終わらせるにしてもスタンプの前に「そうでしょー!」みたいな一言を挟むのだが、ある種の人々は決まって即スタンプだ。あるいは、インスタであれば即DMいいねだ。

大方の人にとってこれはかなり冷たく見えるようだが、僕にとっては、まあまあありがたい。そもそも簡潔に済む内容を冗長に続けることは嫌いで、中学高校で「講演会の感想を書きなさい」みたいな紙が配られた時も、大体誰よりも短く書いた。先生に「短すぎるだろう」と言われることも全然あったが、「それなら無闇に引き伸ばせばいい、ってもんでもないでしょう?」とか言ってゆるりと躱していた。なんて可愛くない子供だろうか。

話を戻す。長すぎるやり取りが嫌いなのもあるが、僕にはその淡白さが、温度感的に丁度いい。これはよく人にする話なのだが、自分に対して適度に無関心な友人先輩の類は、本当に心地が良いのだ。

これといって無理に詮索しない礼儀正しさというのがあって、何でもかんでも下手に探りを入れてくる人は、ちょっと下品だ。そして、それ以上に自分が自由に振る舞えるという理由で、好ましい。僕はいわゆるズブズブの関係みたいなのが嫌で、誘われたら行きたくなくても行かなくてはならないとか、そういう強制を最高に嫌う。仮にそうなった時は、僕は発作的に全てを投げ捨ててしまうから、良くないのだけれど。その点「適度に無関心な人」は放っておいてくれるし、それでいて親密さも両立するから、とても良い。

つまり、「DMの返事が急にそっけなくなる人」は、大体の場合自分に対して「適度に無関心」でいてくれる人なのだ。しかも、そういう人は決まって精神的に自立していて、個性的な「自分の生活」というのがある。だから、話を聞いていても面白いし、僕の知らない豊かな世界を教えてくれる。そして、頻繁で冗長なやり取りが親密さと信頼の証とはならないことを知っているから聡い。

僕の考えがこんな感じだから、僕自身、時折自分でも驚くほど返事が簡素になる。ただ、される分には良いが、自分がする側になると不都合かもしれない。少し気になっている女の子とDMで会話していて、

「期末ピンチだから図書館に閉じこもるか!」
「私も覚悟決めて図書館行こうかな。そしたら、また図書館で会えるかもね〜」

これ、完全に何かの波が来ているではないか。要約すれば、気になる女の子から「図書館に行けばまたあなたと会えるかもね」と言われたことになる。冷静に考えて、ここには少なくともネガティブな要素はない。むしろ、多少の好意を読み取っても不思議な判断ではない。ここで、次の返信で少し踏み入った伏線を張るのが当然の流れ!さて、気になる僕の返信を見てみよう!

「そだね」

─────会話終了

↑????????????
なんということだ。我ながら、よくこんな淡白な返事をしたな。意味が分からないぞ。これでは、「そんな余計な好意要らん笑」と言っているようなものだ。気狂いなのか、俺は。余計だとしても好意なんて貰い得だろ。いや、第一気になってる女の子からのものなんだから余計ですらない。これは完全に病気だ。病だ。

僕は、DMに失敗した。気になる相手とはいえかなりリラックスして会話していたのだが、それゆえのミスだ。僕なりに普通の返事をしたのだが、後から考えてみれば淡白極まりない。オーマイゴッシュ。多分相手もそんな気にするタイプの人間じゃないから良いが、ミスはミスだ。

「DMの返事が急にそっけなくなる」タイプの諸君、その心意気や素晴らしいが、一応TPO(Time,Place,Occasion)を気にした方がいいようです。
「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」
「己の欲するところを人に施せ」
どちらも正しいが、
「己の欲するところも無闇に人に施すことなかれ」
だね。

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