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しらいさんちの子育て事情②:「私たち夫婦のこれまで―授かれない私達―」

2024/5/29(水):子育て日記

 今日も読みに来て下さってありがとうございます。
 不妊治療の結果、この度第一子を迎えた私たち夫婦。
 今日の投稿はこの日を迎えるまでの私達の経緯を書いていきたいと思います。


夫婦の始まり

 2016年の初めに結婚した私達。
 結婚を機に関西から沖縄へ拠点を移して家族をスタートさせました。
 結婚当初私は33歳、夫は27歳…夫にプロポーズしてもらうまでの私の人生は、それまで結婚願望は皆無で仕事の夢が叶う一歩手前まで来ているところでした。
 もともと保育士・幼稚園教諭を経験し、プロポーズ当時保育士養成校で講師をしていたのですが、彼との結婚によってもう一つ蓋をしていた「お母さんになりたい、自分で子どもを育てたい」という夢を見るようになりました。
 そして私達夫婦は、当たり前に子どもの話をし「夫婦の将来には子どもがいるものだ」と思い込んで未来を思い描いていました。

芽吹いた不安と一つの悲しみ

 夫は「いつか子どもができることを何となく想像」。対して私は夫よりも少し現実的に子どもができることを望み、毎月の生理に落ち込む日々を過ごしていました。毎月一さじずつの悲しみを積み重ね、それらはいつの間にか大きな不安と焦りに形を変えていきました。
 そんな不安の日々の中、生理が遅れた日。フライング検査で検査薬を使うと陽性…しかし、夫に告げて喜んだのも束の間…レディースクリニックに受診できるタイミングで再度検査をすると、結果は陰性に変わっていました。
 …「化学流産」でした。この流産を経験したことで私の「授かれないかもしれない」という不安は、私達夫婦に大きな影を落とすことになりました。

選択したい未来の違い

 それまで何となく口に出しにくかった「授かる為に努力をする?」「子どものこと、どう考えてる?」的な話題を、私から口にするようになりました。
 この話題を口にする時の私は、何処かで「授かる為に何か手立てを考えよう」という流れになることを期待していたのですが、夫から帰ってきた答えは
「子どもは作るのではなくて授かりたい。子どもがいたら、それも楽しいだろうけどできなかったらできなかったで夫婦で歩んでいけばいいと思っている」
という、妊活に消極的なものでした。
 私の本音としては「不妊治療などの努力をしてでも授かりたい」という思いと同様に「努力しても授かるか分からないから怖い」という思いがあり、夫の思いを受け入れる形になりました。 
 でも、母になることは諦めきれず、夫が「俺と結婚したことで仕事を諦めて欲しくない、やりたい仕事をやって欲しい」と話してくれた時にも
「今の私に一番叶えたいことは、『お母さんになりたい』ってことだけなんよ…」なんて返事をしてしまい、夫に困った顔をさせてしまっていました。
 夫の考えに納得した振りをしながら、どこかで私は
「この人と一緒にいる限り、私は母親になる努力さえできないのか…」
と幻滅してもいました。

 そして私たちはこの後、妊娠、流産、不妊治療、妊娠、出産の経緯をたどることになります。
 時にはケンカをしながら(ケンカというよりも我が家の場合は、私が一方的にキレる…そして夫が困る…というシステムをとっていますが)、
「よく別れずにここまで夫婦で来られたなあ」
と思うほどしんどい時期もありましたが、今はとっても幸せです✨

 ではでは、流産の過去の話はまた明日!
 良かったら明日も覗きに来てくださいね。

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