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あなたは本当に「自由」になりたいですか?

こんばんは。もしくはおはようございます。いつも、ありがとうございます。
職業柄吐き出すところがどこにも無いので、何か胸に詰まった想いはnoteに書いて心を晴らしたいな、なんて思っています。
ブログの独立性ともまた違って、ソーシャルネットの強さが意義の中心であるこのnoteは、沢山の優秀な人々の、沢山の考えが詰まったものに触れられて、繋がることができて、
そして柔らかく温かい文化、とても画期的だなぁ、なんて思います。

世界で生きていくのには、沢山の困難がありますね。私の最近といえば、兎にも角にも休む暇を一日も作らず、がむしゃらに生きていようと、そんな無謀で愚直な生き方をしていたところ、身体の限界が来まして、
その状況の辛い気持ちも、どこかに吐き出せるものでも無く、一日完全オフを取り、身体こそ吐き気と頭痛で動けなくなり、精神的には限界で潰れる手前、薬をのみながらどうにか縋るような気持ちで、一つ前の記事を書いていました。

それは余りにも「伝える」ものでは無くとにかく「吐き出す」要素が強すぎて個人的な芯に触れるようなものになってしまったので、有料記事で見れなくしてあります。私のような病を抱えている人間が本質的にどのようなことを考えて生きているのか、どうしても知りたい方は読んでください。私は、全国で数十しかない病状を抱える者として、いつか医学の研究が捗るように医療関係者に伝わればいいな、なんて思っています。

昔にはインターネットだなんて世界は無く、匿名性だなんて文化も無く、遠いところの見知らぬ人にこうやって簡単にアクセスする方法だなんて一つもなかった、そう考えると恵まれた環境にあるなぁと、実感しています。私が大切にするべき人もそうでない人も、インターネット環境さえあれば簡単に繋がれてしまう。

言葉一つで、世界中のどこの人にでもアクセスすることが出来るという利点、けれど、言葉の一つさえも伝えられない、目の前の人達がいる、

そんな狭間の中で私は、ただ指針を持って、自分の生きる意味を持って、その軸をぶらさずに、もしくは日々構築していき、ただ生きるのみ、友人を選び、仕事を選び、生きる自分の姿を選び、

「この瞬間に何をするなら、明日死んでも後悔のない人生になるのか」と、そんな物思いに耽る時間。

さて、本題に入ってみようと思います。今日は「自由」について書いていきます。

誰かが、お釈迦様のように言いました。
「辛いのならば、逃げ出せばいい」
「人と関わりを持つから、苦しみが生まれる」「考えを持つから、そこに縛られる」
「いっそ、自分であることを辞めてしまえばいい」

そんなことは十二分にも承知の上で、私は生きています。私は、一人にはなりたくありません。いや、違う、

一人には、なれないんです。


誰も、一人にはしてくれない。

日本国民である限り、日本国憲法の元での義務と権利があり、ここで生活をしていくためには、一人になることなんて、有り得ることがない。

私は、「自由になりたい」「一人にして欲しい」と強く言う人を見ました。ですがその人ほど、他人よりももっと強く、
本当は、充実した時間が欲しくて、楽しい仲間との繋がりが欲しくて、自分を見捨てないでいてほしくて、認められていたくて、そんなことを叫んでいるように見えました。

どうしてかって、この世界は既に、ただ生きることをする、それだけで、依存でがんじがらめになっている世界なのですから。
それでも逃げ出さずに、ここで生きて、それを誰かに発信しているのですから。

本当に一人になりたいのならば、全て、
友人関係も、家族関係も、何にもアクセス出来ないところで、全ての社会的営みから疎外された場所で、自給自足の生活を既に行なっているはずでしょう。
生きることに何一つ困難のないこの、恵まれすぎた先進国へと税金を納め、居住地を構え、
電話番号を持ち、今後も生きていくことを厭わないのならば、「一人になりたい」、それはただの「一人で生きているのだという真似事をしたい」という戯言、または「周りの環境を変えてしまいたいくらい辛い」、と言った叫びであり、実質上、誰も貴方のことを自由にはしてくれなければ、貴方も本当は、それを望んではいないのではないではなかろうか。

そして、その状況というのは、実はとても幸せなことであって、
どんなに「人に頼らないよ」と強く生きる人でも、死ぬ間際には全くの赤の他人が支えてくれ、仕事をしない人には、国がセーフティネットで支えてくれる、

命の危機に晒されようならば一年中、24時間体制で国民を守る公務員がおり、民間には娯楽を喜ぶ人々へ向けて、楽しい人生の彩りのためへと汗を流すビジネスマンたちが沢山おり、
孤独の苦しさから人を救いたいまたは、自らの何らかの力で人を笑顔にしたいと願い各々の役割を請け負おうとする人間たちが沢山いる。


それらの人々は、もしくはこれを読んでいる貴方もそうかもしれません、日々、頭を抱えながら、どこかの誰かのためになろうと、必死に先人の知恵を学び、先を見つめ、今を生きている。

あなたは、本当に、「自由になりたい」ですか。それは、今、周りにある全てのものから、あなたは切り離される、ということです。


人と繋がる苦しさから逃れるというのならば、その代わりに、誰に愛されることもないことを受け入れ無ければならない、人に笑顔を届けることを拒むとなれば、人の笑顔や感動を感じることを拒まなければならない、そして、ただ自ら一人で、己との対話をし、人々の領域を侵さない場所で、他社会ルールを侵さないような生き方で、生きる。
加えて、身の危険に晒されないような、安全に生きるように整備された土地は、既に誰かの所有場所になっているかもしれません。


私がいくら「死にたい」と叫んでも、警察は「絶対にあなたを殺すことはしない」と足掻くでしょう。殺人は、最大級の罪だからです。私は良く知っています、自由というのは、そうそう簡単には得られるものではありません。自由というのは、

人々の培ってきた、安全かつ健康的選択肢の残された環境の上で選ぶことの出来る、国民として得られる権利の中での生き方の一つ、なのです。

そして、日本国民である貴方はもう既に、その自由を持っています。

本当の孤独を知っている私は、「自由になりたい」と聞くと、複雑な気持ちになります。
それは私には大変、贅沢に感じられることであって、不自由であることがどれだけ幸せなことであるか、

自身含む、置かれている環境、全ての記憶が無い中に放り出され、それでもどうにか必死になって生きるという、
誰かに頼ったら見捨てられるのでは無いか、認められなくなったら安全に生きられる場所は無くなってしまうのでは無いか、
人に伝えたら、皆が全て私を否定してくるのではないか、そのような孤独を、感じたことはあるのだろうか、と、聞きたくなってしまうのです。

それでも、私が何をどう言おうとも、貴方の自由は今も担保されています。恵まれた周りを投げ打って、「自由になりたい」という言葉を使い、環境の有り難さに気付いていない方を見つけたら、私はその環境と人生を取り替えて欲しい、と願うかもしれません。


かつ、その「自由」を求めるならば、今持つ周りの全てを敵に回すことになるでしょう、全てを捨てることにもなるでしょう、それでも生きていられる人ならば、全てから外れた「自由」を求めても良いのだろう、と思います。


ここまで来たとするならば、私はそれこそ出家したお釈迦様のような、真理を悟った方なのではないのかなと思いますが、そうでもなければ、寂しくもあり、どうしてなのだろうとも思ってしまいます。

何度も言います、あなたはそう簡単に「自由」にはなれません。その理由は、もう既に、必要以上の自由が担保されている世界に、あなたは生きているからです。先人たちが今の安全かつ豊かな環境を作るために積み上げてくる過程には、ある一定の「不自由さ」が必要であり、これからの発展についても、過去と同じであるのです。

あなたは、もう十二分に、自由を確保されています。ここから先、自由を求めるのならば、誰一人にも守られない依存が皆無の世界に行こうと、どうにか足掻くか、

もしくはこの既存の自由を使って、この国の中での権利と義務を果たしつつ、幸せを目指して生きていくか、のどちらかでしょう。


皆さんは「自由」という言葉をどのように使っていますか。今、何かに対して、不自由を感じていますか。
この記事を読んで、不思議に感じた方がいるかもしれません。確かに、私も生きることに不自由を感じている一人だからです。人が、それが大変優秀な医師だったとしても、私の病を理解することは、困難です。カウンセリングは勧められませんでした、カウンセラーそのものが私の状態を全く理解が出来ないため、むしろ悪化を招く可能性もあるためです。

私の持つものは、全国でも数少ない報告例しか無く、臨床で出会う医師はほぼおらず、簡単な病ではありません。下手な治療をすると、お金だけが飛んでいき、最悪命を落とす可能性も無論、あります。
カウンセラー側に治療不可能だと拒否をされるような人々は、一体誰に相談すればいいのでしょう。そのくらいのことはとっくの前に、諦めきっています。


ですが、私は知っています。私のことを理解することが不可能であろうとも、社会は、私の命を護ろうとしてくれている。
ここに辿り着くまで、きっと複雑な要素が絡んで、それも長い間培われた上でやっと、私は今、恩恵を受けたんだな、と。そんな国や社会に、感謝をしています。

福祉や医学は確かに、行き届いていないところがあります、福祉を行っている人も、一人の人間です。私の病気も、原因は解明されていません。ですが世の中は仮説や、試行錯誤で回っていることだらけです。地球は青く、丸くない時代が来るかもしれません。そこには長い間の時間が必要であり、人との繋がりと学びが必ず必要であるのです。そして今に至るそれらの積み重ねは、人々が生きるために、行われてきたものなのです。

今、辛い思いをしている方、
世界はどうにか、貴方を救おうと必死に頑張っています。少しでもそこに目を向けて、どうか生きていてください。そして周りの方々は、少しでも同じ社会内で苦しむ人に、寄り添ってあげてください。

あなたの果たした義務は確実に生きています、巡り巡って、不自由な人への支えがあるから、貴方の自由は担保されているということを、知ってください。

自由とは、孤独の正反対にあるものです。


少しでも何か、心に残ってくださったら大変嬉しく思います。

今日も読んでくださって、ありがとうございました。


舞美

不束者ですが、少しでも気になって頂けた方はサポートしてください。大変、励みになります。