ショートショート「豊かな世界」

「私たちは、互いに持っている財産を分かち合って生きているの。自然溢れる環境の中で、”そこに在るもの”だけで日々を暮らしているわ」
「では、やはり物々交換で取引をしている……と、独自の通貨はないのですか?」
「そんなものは知らないわ」

 山に囲まれた小さな村。雲ひとつない晴天の下、私は大変、貴重な機会を得ていた。異なる時代の住人から話を聞くことは滅多にない。この者たちがどのような理念で生きているのか、私たちは学ぶ必要があった。

「豊かに暮らしたいとは思いませんか?」
「十分、豊かだわ」
「便利な道具は作らないのですか?」
「”ここ”とこの体があれば問題ないわ」

 そう言うと、彼女は土で汚れていながらも細く美しい人差し指で、小さな頭をトントンとつついてみせた。仕草と笑顔が、私たちの時代にはない”解放感”を感じさせる。覗けば縦横無尽に泳ぎ回る魚の群れが見えるように、彼女と村人たちの心はとても澄んでいた。

「あなたの時代はどうなの?」
「息苦しい世の中です。お金に支配され、権威に支配され、欲望に支配され、物質にすら支配されています。私は自分の時代を救うために、あなた方にヒントをいただきにきました」
「そうなのね。ヒントと言っても、私たちの暮らしは既に、あなたたちが経験してきたものだから。大切なのは、手放す勇気を持つことだと思うわ」
「やはり、そうですか」
「ええ、不安は拭えないかしら?」

 聳え立つ山々は悠然と役割を果たす。まるで私たちに審判を下しているようだった。

「いえ、少し、希望を持てました」
「そう? それはなぜ?」
「未来の暮らしを、この目で見ることができたからです」
「そう……じゃあ後は、あなたたち次第ね」

 絶えず囁き続ける草原が私を助長し安堵させた。

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