末廣誠

空見人。グスタフ人、ヴォルフガング人。趣味物書き人。そして指揮者。マエストロ・ペン。

末廣誠

空見人。グスタフ人、ヴォルフガング人。趣味物書き人。そして指揮者。マエストロ・ペン。

マガジン

  • 独り言

    不定期に、独り言をつぶやきます。音楽から政治まで、なんでも好き勝手にやりだまにあげるのだ!

  • ヴォルフガング、かく語りき

    大量に残された書簡集は、モーツァルトの珠玉の宝庫。様々なエピソードに垣間見せる彼の真実の姿を取り上げます。

  • マーラー音楽に巣食う、グスタフの鳥

    マーラー音楽にはあちこちに鳥がいる。鳥探しはマーラーの交響曲を身近に理解する大切な要素だ。名付けてその《グスタフの鳥》を追いかけ続けたい。

  • モーツァルト沈思

    垣間見せるモーツァルトの心の闇、彼が生きるために耐えねばならなかった日々、そんな姿に私達は惹かれる。様々な角度からモーツァルト愛を見つけたい。

最近の記事

学ばない人達への独り言

 もしも誰かに頬を張られたら、あなたはやり返しますか?それとも黙って我慢しますか?仮にやり返そうとして、相手に「お前は暴力を使う権利はないから全てを放棄しなさい」と言われたらどうしますか?隣にいるこの友人は長年お前に苦しめられてきたのだから、その友を守るための暴力は正義である、と言い放つ。私が与えた苦しみとやらを具体的に示すこともなく、友人を長年苦しめてきたとんでもない奴だから俺が守るのは正義だと大声で喧伝し、正義は我にありとばかりに何度も暴力を振るう。周囲の友人達や近所の方

    • 好きなもの、嫌いなものの独り言

       「若い頃はマーラーとか好きだったけどねえ、もう今はしんどいわ。モーツァルトが一番だなあ」と言っていた知人がいた。  〈モーツァルトが一番〉に異論はないが、私には今でもマーラーがベスト・オブ・作曲家だ。人の好みは何故変わっていくのだろう。と同時に私は何故マーラーを嫌いにならないのだろう。先日ふとそんな事を考えた。  大病してから生活のあらゆる嗜好が変わり、食の好みも変化した。見向きもしなかったドライフルーツを美味しいと思うようになり、逆に大好きだった鶏の唐揚げは見向きもし

      • とうとうやっちまった、の独り言

         最初に申し上げますが、結構下らない話であります。  いつかやるかもしれない、とは思っていたが、とうとうやっちまった。新幹線の座席下に携帯を落としたまま下車してしまったのだ。気づいたのは改札横のコンビニで呑気に缶ビールを買っている最中だった。この手の失敗は、意外でしょうが、滅多にやらない。その日は演奏会を済ませてからの乗車で、そもそも乗るのが遅く、しかも遠距離(約4時間)だった。こんな時は缶ビールをゴクゴク飲み干し、さっさと眠れば良いのだが、演奏会後は身体は疲労しているのに

        • 少し世間が落ち着いたので、改めて追悼する独り言

           昨年のコロナ騒ぎが始まってすぐに、あの偉大なエンターテイナーが身罷られた。あまりに衝撃的なそのニュースは、多くの方々に無力さと無念さの混じった陰をもたらした。あんなに多くの笑いを届けた天才の最後は、開いた口が塞がらない呆気なさだった。もう一年が過ぎたのにその空虚感は埋まらない。そしてまた一人、長年慕い続けた俳優がこの世を去った。  先に申し上げるが、コロナで亡くなられた方々の悲しみは誰一人変わらない。わざわざ私ごときが口を開かずとも、多くの接した方々の言葉が「なるほどそん

        学ばない人達への独り言

        マガジン

        • 独り言
          11本
        • ヴォルフガング、かく語りき
          17本
        • マーラー音楽に巣食う、グスタフの鳥
          37本
        • モーツァルト沈思
          8本

        記事

          ヴォルフガング、かく語りき⑰

           せっせと訪問して、と言いますが、それは無理です。歩いて行くにはどこも遠すぎて、何より泥んこ道なのです。何しろパリときたら、言いようのないくらいぬかるみの街です。・・・ここにいる人でなければ、どんなに嫌な所か信じられないでしょう。パリは変わってしまいました。フランス人はとっくに15年前ほどの礼儀をわきまえていません。今では粗野と言ってもいいくらいで、厭になるほど傲慢です。(1778年5月1日 パリ)  石畳と高さを揃えた街並み、聳え立つ教会の尖塔、響き渡る鐘の音、カフェのテ

          ヴォルフガング、かく語りき⑰

          ヴォルフガング、かく語りき⑯

           我々の富は僕たちが死ぬと同時に無くなってしまうのだから、金持ちの妻は必要ない訳です。僕たちの富は頭の中にあるのですからね。そしてその富は、僕たちの頭を切り落とさない限り、誰も僕らから奪う事はできません。そして切り落とされたら、その時はもう何も手に入らなくなります。(1778年2月7日 マンハイム)  金持ちの妻はありがたいと思うけどね(笑)。芸術に携わる人間の気概と言うか、最後の砦・・それは自分の芸術的な価値を自らどうアピールできるか・・は他人様には見せる事の叶わない自分

          ヴォルフガング、かく語りき⑯

          楽語に関する独り言

           和製英語というものがある。明治維新以来の欧米への強い憧れは、アチラの言葉を日本語に取り込むという形で根付いた。日本人がいつまで経っても英語を流暢に話せない原因の一つがカタカナ言葉だと言われるが、もう今更排除はできない。アメリカ社会から銃を無くすのと同じぐらい不可能領域にある。それになかなか便利に使い分けられてもいる。その良い例がバレーとバレエだ。あの球技はどの国もバレーなんて発音しないし、後者は実はフランス語の〈バレ〉なのだが、立派に定着している。バレエという表記はかつての

          楽語に関する独り言

          グスタフの鳥37 《第9番》その4

           1877年17歳のマーラーはブルックナーの交響曲第3番の初演を聴き、その翌年この交響曲を4手ピアノ用に編曲し巨匠に献呈している。ブルックナーは「これでシャルクはもうお払い箱だ」と言って喜んだらしい。シャルクとはブルックナーの弟子のヨーゼフ、フランツの兄弟で、ブルックナーを語る時欠かせない存在だ。師匠が謙虚で引っ込み思案なのをいい事に、作品を好き勝手に改悪したという不名誉話がつきまとう二人だが、その話はまたいつか。マーラーとブルックナーはよく並べ論じられるが、実際は師弟ほどの

          グスタフの鳥37 《第9番》その4

          グスタフの鳥36 『第9番』その3

           マーラーは続く二つの楽章でこれまでの中間楽章の総括をしているように見える。古くから交響曲に必ず登場する舞踊楽章、その大半がメヌエットだったが時代と共に加速し、快速なメヌエットが増える。続くベートーヴェンはとうとうスケルツォと名を変え急速な音楽を定着させた。(それでも彼の第1番ではぶっ速いのにメヌエットと書かれている。『メヌエット』が交響曲の定型だった証だ。)だがスケルツォが速いテンポの音楽だと決まっている訳ではない。スケルツォとは〈諧謔的な〉と辞書には書かれているがもはや死

          グスタフの鳥36 『第9番』その3

          君の話、僕の話

           自宅に缶詰の日々が増え、今まで手をつけなかった多くの事をやり始めると同時に、今まで素通りしていた多くの映画や海外ドラマを観た。そんな中に世界的ヒットとなった英国ドラマ『ダウントン・アビー』があった。これに超ハマった。19世紀から20世紀にかけてイギリスの片田舎ダウントンに城を構える伯爵一族のドラマだ。朝食はベッドで摂り、午餐や晩餐は必ず正装で迎える人々の物語だ。彼らは時代の波に翻弄されながら、新たな時代の息吹を取り入れ、考え方を進歩(あるいは退歩?)させ、貴族と平民の垣根で

          君の話、僕の話

          グスタフの鳥35 《第9番》その2

           この音楽の始まり方はマーラーの作品の中で唯一無二のものだ。第1楽章の最初の主要主題が登場するまでの6小節は、この楽章を支配する4つの重要な要素が散りばめられるが、彼の音楽の中で最も刹那的だ。この〈刹那的〉という発想は、そのまま新ヴィーン楽派を予見させる。  ①チェロとホルンが受け継ぐ不整脈のようなリズム(1~2小節)。セレナーデ風行進曲の4拍子の中で、1小節内に3音を刻むという変則を見せる。一見無表情なこのリズムはこの楽章の重要なポイントで登場する。それらは概して感情的な

          グスタフの鳥35 《第9番》その2

          グスタフの鳥34 《第9番》その1

           どの作曲家も晩年の音楽は生涯の集大成と位置付けられる。これは考えてみれば当然だ。楽想は人生の積み重ねを経てより深く高貴になり、それを音符にする手法も卓越してくる。若い頃に傑作を残した作曲家もいるが、その後の作品が演奏されないからと言って駄作だとは限らない。まあ、稀だが。楽聖ベートーヴェンは第9だけでなく《禁断の森》と呼ばれる、安易に立ち入る事を許さない神聖な弦楽四重奏世界を生み出している。いくら室内楽に不案内な私でも、その神秘的な精神世界の恐ろしき魅力は知っている。楽聖は完

          グスタフの鳥34 《第9番》その1

          地球規模の危機に改めて驚いた独り言

           地球表面の70%は海。陸地は30%しかない。その陸地の25%は砂漠で、砂漠化はじわじわ進行している。熱帯雨林の締める割合は陸地のわずか6%で、その6%の中になんと870万種類の生物が生きているという。・・・少し理解が追いつかないのは、その生物の中で確認されているのは175万種。ん?確認されていないのにどうして870万種の生物がいると分かったんだろ?詳しい方ご教授を!・・・未確認の生物はなんと80%に及ぶ。  二億年前、その生物の中から種が絶滅する割合は、一千年に一種類だっ

          地球規模の危機に改めて驚いた独り言

          グスタフの鳥33 人生の最後に何を書くべきか

           マーラーの生年は1860年から1911年まで、齢51歳だった。現在の我々から見ればとても短い人生に見えるが、人生の価値を何で測るかはかなり慎重に論じるべき事だろうな。自分がとっくにマーラーより長く生きているのを考えれば、マーラーの短さよりも、何事も成し遂げていない自分の不甲斐なさを嘆きたくなる。トホホな人生なのだ。  つくづく作曲家を目指さなくて良かったと思う。もちろんそんな才能など持っていないのだが、これから語ろうとしている交響曲第9番を書いたマーラーは50歳だった事を

          グスタフの鳥33 人生の最後に何を書くべきか

          ドラマに見るリアリティへの独り言

           「私失敗しないので。」と女医が言うドラマが流行った。もしも診察台の自分の傍の医者がそんな事を口にしたら不安だろうな。こいつ大丈夫か?てね。カテーテル手術が主流になり、ありがたい事に術後驚くべき早さで回復するが(私もその一人だ)、逆にメスで切れない医者が増えたという話も耳にする。外科医の資質を大いに危惧する時代なのかもしれない。だがテレビニンゲンの私には医療ドラマはとても面白い。特に欧米の医療ドラマは欠かさず見ている。医師から見れば沢山の嘘が渦巻いているのだろうな。友人の医師

          ドラマに見るリアリティへの独り言

          ヴォルフガング、かく語りき⑮

           「ヴォルフガングちゃんは手紙を書く暇がありません。何もする事がないからです。蚤のたかった犬のように、部屋をぐるぐる歩き回っています。」(1773年9月8日ヴィーン)  ん?何を言っているのだ?と思ったあなたは、まだまだヴォルフガング初級である。この時モーツァルトは17歳。もう立派な青年だ。日本ならすでに元服を過ぎ家督を継ごうかという歳だ。なのにまだヴォルフガング《ちゃん》なのだ。故郷の姉と母に宛てた手紙は、殊更な話題がない限り甘えん坊の少年の顔を隠そうとしない。この前後の

          ヴォルフガング、かく語りき⑮