見出し画像

学ばない人達への独り言

 もしも誰かに頬を張られたら、あなたはやり返しますか?それとも黙って我慢しますか?仮にやり返そうとして、相手に「お前は暴力を使う権利はないから全てを放棄しなさい」と言われたらどうしますか?隣にいるこの友人は長年お前に苦しめられてきたのだから、その友を守るための暴力は正義である、と言い放つ。私が与えた苦しみとやらを具体的に示すこともなく、友人を長年苦しめてきたとんでもない奴だから俺が守るのは正義だと大声で喧伝し、正義は我にありとばかりに何度も暴力を振るう。周囲の友人達や近所の方々は、暴力はおやめなさいと口々に諌めるが、そいつは聞く耳を持たない。でも自分が近寄って痛い思いをしたくないから、そいつはとうとう飛び道具を使い始める。「俺はあいつが仕返しできないように、あいつの腕しか狙わないぜ」と言いながら、ヘタクソな技術でたまたま近くにいた親子も巻き込んでしまうが、やめようとはしない。

 大義のためには小さな犠牲は致し方ない、と言う欺瞞を口にする。

 つまりそんなことがウクライナで起きている。そりゃ言い分はあろう。長年隣に住んでいたらいつもいつも笑顔という訳にはいくまい。つい先日うちの近所の隣同士の住人たちが大声で喧嘩をしていた。しかしだからと言って暴力が許される道理はない。最初の質問に戻り、もしも理不尽に頬を張られたらどうしますか?カッとしてとった行動が正しいことは稀だと、大抵の人は知っている。問題があるなら意を尽くして話し合うのが大人だ。暴力を振るった側の人間でなくてよかった、と私は思いたい。基本的に短気な私でも、それぐらいの知恵はある。こじれて収拾がつかなくなる前に槍を収め、少しの冷却期間を設けて、何をどうすべきかを話し合う。それが人の道というものだ。何故わからないのだろう。

 残骸になった戦車が煙を上げる。瓦礫とかした建物から炎が上がる。負傷した兵士達が苦痛に顔を歪める。どこかで絶えず爆発音や銃の音がする。

 いつの話だ。一体今はいつの時代なんだ。先の大戦で学んだことは何だったのだ。いつまでこんな実りのない憎悪を煮えたぎらせて行動するのだ。しかも経済的に疲弊した社会こそ破壊の暴力で傷つけあっている。時には、誰も会ったこともない太古の昔の誰かの、信憑性も定かではない言葉を理由に戦争しているのだ。

 戦争には勝者はいない、とよく言う。原子力爆弾は既に地球を何百回も何千回も壊すだけあるという。一度核のボタンを押せば、それで全てはおしまいだ。そこには勝者などいないのだ。先の大戦の戦勝国が国連の常任理事国だ。改めて指摘するまでもなく、やはりそいつらは戦争をしている。戦勝国とはどうやらまた戦争をする権利を持った国のことらしい。「俺らは核持ってんだぞ」と口にする酷く愚かしい人間が国を代表しているのだ。・・・恥ずかしい。情けない。

 でも諦める訳にはいかない。銃を置け。憎悪を口にするな。暴力に暴力で応えてはいけない。責任のない子供達を被害者としないために、笑顔を取り戻せ。問題は大抵簡単なことなのだ。

 笑顔を取り戻せ!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?