グスタフの鳥33 人生の最後に何を書くべきか

　マーラーの生年は1860年から1911年まで、齢51歳だった。現在の我々から見ればとても短い人生に見えるが、人生の価値を何で測るかはかなり慎重に論じるべき事だろうな。自分がとっくにマーラーより長く生きているのを考えれば、マーラーの短さよりも、何事も成し遂げていない自分の不甲斐なさを嘆きたくなる。トホホな人生なのだ。

　つくづく作曲家を目指さなくて良かったと思う。もちろんそんな才能など持っていないのだが、これから語ろうとしている交響曲第９番を書いたマーラーは50歳だった事を考えれば、今より遥に若かった自分があんな彼岸の極地な音楽を生み出せやしない。ただこの事実一つだけで、絶対に作曲家には向いていなかったと断言できる。まず頭が【おバカ】なのだ。何か考えていると、必ず余計な事ばかりが頭に浮かぶのだ。その乱反射なメールを受け取った実弟は「まあまあ、いつまでも昭和感満載の親父ギャグで」と言いやがった。まあそれは確かだ。悔しいので「昭和感親父ギャグの令和復権を！」と叫んだら、もう返事が来なかった。みんな心が狭いなあ。

　ベートーヴェン先生が交響曲を９曲しか完成させなかったので、しかもその９番目が歴史的な大曲だったせいで、彼以後の作曲家達は残らず呪縛される。だが案外と第９番まで到達した作曲家はほとんどいないのだ。そもそもハイドンが106曲、モーツァルトが約5~60曲も書いた時代のすぐ後にたった９曲しか書かず、しかも粒揃いの名作を残す反則人間が何故出てきたのか。それは作曲家が貴族の使用人ではなくなった事を意味している。殿様の娯楽のために書かなくて良くなったのだ。だが食事しながら、あるいはお茶を楽しみながら適当に聴いていたに違いないエステルハージ侯が、「あれ？ヨーゼフ、この曲先月聴いたんとちゃうけ？」などと覚えている筈はないのだ。だからハイドン先生も10曲ぐらいを使い回しとけば良かったのだ。殿は絶対気づかない。なのに何故新作を次々書いたのか。これはもう音楽家の性（さが）であり意地だ。次々にアイデアが浮かべば書かざるを得ないのだ。殿様がそれを正く評価しようとすまいと、書きたいのだ。それが音楽家というものだ。それに、一度書き上げた音楽はその時点でもう興味を失ったんじゃなかろか。多分ね。その後登場した楽聖先生が念入りに時間をかけて、一作毎に力入れて書いてしまった。これは高度な審美眼がなければ不可能だが、隅々まで吟味して胸をはれる作品として世に出そうとすれば、それまでの方々のように無反省に書き散らすことなどできなかったのだ。それがベートーヴェンだ。おっと、ハイドンやモーツァルトが無反省だったのではありませんよ。

　月日が流れ楽聖の音楽が知れ渡ると、人々は音楽に対する新たな価値基準を手にしてしまった。おいそれとは新作を発表できなくなっただろう。生涯かけても９曲書き上げるのすら大変になったのだ。９曲に届かなかった巨匠達は悔しかったのだろうか。シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、プロコフィエフ・・・彼らが「９曲書いたら死ぬぞ」と口にした記録はない。ついでにさっさと９曲通り越したショスタコーヴィチも、死ぬかもしれないとは微塵も思っていなかったようだ。この方の場合〈おちゃらけ病〉があって、無理矢理笑わされているという笑えない政治体制で生きてきたから、人々が大いに期待した第９番を徹底的におちゃらけてお上に散々非難されている。まあこれも言わば第９病の一症状と言える。ただ彼の場合正真正銘命がかかっていたのだから怖い。

　とうとう第９番を迎えたマーラー。既に書いたが『大地の歌』に第９番と書けば良かったのだ。死のジンクスに自分からはまりに行っているようなものだ。『大地の歌』を書き上げた後で「これでもう大丈夫だ。本当はこれが第９だからね。」と言ったらしいが、死神を騙したつもりでまんまとその術中にはまっていたのだ。かわいいと言うか、哀れなと言うか・・・。第９番まで書き上げたドヴォルザークやブルックナー（未完だが）を見れば、それは立派な集大成的威厳を醸し出している。規模も巨大でそれまでとは一線を画す高みにある。だがマーラーは既に最も巨大な音楽を書いてしまっている。あれ以上デカくするには競技場で演奏するしかない。だからマーラーは形ではなく精神の極に挑んだ。これまでになく荒れ狂い、これまで書いたこともない静謐を描く。この交響曲の最後に見せる熱い静寂（そうしか表現できない）は、それまでマーラーが手をつけなかった世界だ。

　例によってマーラーは、前作から続いて発想している。冒頭のチェロとホルンの不整脈（マーラーは心臓病だからね）のような呟きは、『大地の歌』の最後で執拗に繰り返し遠ざかる''Ewig! 永遠に''から繋がっているように感じる。

　グスタフ、永遠に何だと言うんだい？どうやら言い残した事が大量にありそうだね。