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好きなもの、嫌いなものの独り言

 「若い頃はマーラーとか好きだったけどねえ、もう今はしんどいわ。モーツァルトが一番だなあ」と言っていた知人がいた。

 〈モーツァルトが一番〉に異論はないが、私には今でもマーラーがベスト・オブ・作曲家だ。人の好みは何故変わっていくのだろう。と同時に私は何故マーラーを嫌いにならないのだろう。先日ふとそんな事を考えた。

 大病してから生活のあらゆる嗜好が変わり、食の好みも変化した。見向きもしなかったドライフルーツを美味しいと思うようになり、逆に大好きだった鶏の唐揚げは見向きもしなくなった。怠惰な生活を改めよく運動をするようになった。壊した肩で仕事をし続けられるよう、腕と肩のストレッチは欠かさないし、長年苦しむ腰痛に効くとなると、どんな些細な事も試してみる。最近使い捨てカイロで腰を温め始めたらすこぶる調子が良い。もしやと思い腹巻きも試してみたら、これまた調子が良い。こうした痛みは血流の滞りがもたらすようだから、仕事後も以前のようなアイシングをやめ、ストレッチに時間をかけてほぐすようにしたら治りが早い。これは健康番組でも紹介していた。冷やすと痛みは取れるが、逆に筋肉は固まってしまい戻るのに時間がかかるらしい。氷の冷たさで痛みが紛れてるだけなのだろう。最近ではアスリートもなるべく冷やさず、温めながらストレッチをするとか。これには異論のある方も大勢いらっしゃるだろうな。少なくとも私には効果があった。と言う訳で最近私は腹巻き姿のバカボンパパなのだ。

 食の好みは自分でも驚く変化だ。葡萄は大好きだが干し葡萄は天敵だった。なのに今はレーズンとはなんて美味しいんだ、と思うようになった。葡萄を皮ごと(皮に最もポリフェノールがあるらしいよ)食べる習慣が高じて、キウイもあの美味くなさそうな皮ごと食べるようになった。コーヒー一辺倒だったのに、紅茶の美味しさに目覚め、旅先には沢山のティーバッグを持参するようになった。何より紅茶は飲んだ後の口の清涼感がいい。まだ味で銘柄は当てられないが、こんなに香りが良かったんだと最近になって理解した。コーヒーはあい変わらずアイスコーヒーのホットが好きだ。酸味は禁物!だがお酢は平気だ。最近はあまり美味しくない豆乳ヨーグルトにリンゴ酢を合わせたものが好きだ。

 またある日を境に突然タバコが吸えなくなった。ある朝ふと「吸いたくない」と思い、そのまま今日に至っている。だから禁煙の苦しみを知らない。これは大病する前の話。今では煙が嫌いで喫煙スペースは避けて通る。こんなにも世間様に迷惑をかけてたのかと猛省した。こうして振り返ると、どうやら私には徐々に変化すると言う事がない。ある時突然目覚めてそれ一辺倒になる。根っからのはまり症だから目覚めるとトコトンやる。こういうと勉強ができそうに見えるが、そうなったのは通知表から解放されてからだから、成績は惨憺たるサンタルチアだった。

 生きていれば日々新しい事に出会う。同じ日は二度とないのだ。毎日が同じだと思っている人は、ただボーッと生きているだけです。チコちゃんに叱られなさい。肉体も精神も時間は同じように経過するのだ。だから好きだったものが嫌いになっても、その逆も、なんでもありうる。もちろん好きなものをずっと好きでもいい。年齢を重ねてようやくモーツァルトの美に目覚めるように、マーラー音楽の隠れた深みにも気づく。大音量で錯綜するマーラーも、簡素で芳醇なモーツァルトも、私には何も違わない。マーラーに飽きたと思う人は、本当はそれほど好きではなかったのだろう。私はマーラーに飽きるどころかますます好きになる。

 そう言えば、最近ショパンがいいなあ、と思うようになった。シベリウスやショスタコーヴィチの両氏も歳と共に心にまとわりつく。コロナのせいで音楽の美と喜びを改めて学んだのかもしれない。以前より心が柔軟になった気がする。おかげで以前好きでなかった音楽に魅力を感じるようになった。あるベテラン奏者に昔こう言われた。「つまらん音楽なんてないで。つまらん演奏があるんや。」確かに!つまらないマーラーはあるもんなあ。あ、でもやはりリストとグラズノフは縁遠いままだ。・・・二人はこっちに来なくていいからね。 

 

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