マガジンのカバー画像

ヴォルフガング、かく語りき

17
大量に残された書簡集は、モーツァルトの珠玉の宝庫。様々なエピソードに垣間見せる彼の真実の姿を取り上げます。
運営しているクリエイター

記事一覧

ヴォルフガング、かく語りき⑰

ヴォルフガング、かく語りき⑰

 せっせと訪問して、と言いますが、それは無理です。歩いて行くにはどこも遠すぎて、何より泥んこ道なのです。何しろパリときたら、言いようのないくらいぬかるみの街です。・・・ここにいる人でなければ、どんなに嫌な所か信じられないでしょう。パリは変わってしまいました。フランス人はとっくに15年前ほどの礼儀をわきまえていません。今では粗野と言ってもいいくらいで、厭になるほど傲慢です。(1778年5月1日 パリ

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき⑯

ヴォルフガング、かく語りき⑯

 我々の富は僕たちが死ぬと同時に無くなってしまうのだから、金持ちの妻は必要ない訳です。僕たちの富は頭の中にあるのですからね。そしてその富は、僕たちの頭を切り落とさない限り、誰も僕らから奪う事はできません。そして切り落とされたら、その時はもう何も手に入らなくなります。(1778年2月7日 マンハイム)

 金持ちの妻はありがたいと思うけどね(笑)。芸術に携わる人間の気概と言うか、最後の砦・・それは自

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき⑮

ヴォルフガング、かく語りき⑮

 「ヴォルフガングちゃんは手紙を書く暇がありません。何もする事がないからです。蚤のたかった犬のように、部屋をぐるぐる歩き回っています。」(1773年9月8日ヴィーン)

 ん?何を言っているのだ?と思ったあなたは、まだまだヴォルフガング初級である。この時モーツァルトは17歳。もう立派な青年だ。日本ならすでに元服を過ぎ家督を継ごうかという歳だ。なのにまだヴォルフガング《ちゃん》なのだ。故郷の姉と母に

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき⑭

ヴォルフガング、かく語りき⑭

 「昨日と同じぐらい具合が悪く、今日はひどいものです。痛みで一晩中眠れませんでした。・・・病気で、それに心配事でいっぱいです。」(1790年8月14日 友人プフベルクへの手紙)

 モーツァルトがどのように亡くなったのか、たくさんの資料を読み直している。この手紙は以前紹介したお金の無心をする手紙の一部だ。死の直前のモーツァルトがどのようであったのか、毒殺は本当だったのか、死の様子はどうだったのか。

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき⑬

ヴォルフガング、かく語りき⑬

 「私はすぐに時計屋の為にアダージョを即座に書き上げて、それで可愛い我が奥さんの手元に何ドゥカーデンかの金を遊ばせようと決心し、事実書き始めたのだ。ところが、それは僕には嫌な仕事だったので、最後まで仕上げられないのが酷く惨めになってきた。毎日書いてはいるけど、退屈していつも中断してしまうんだ。」(1790年10月3日 フランクフルトより妻への手紙)

 時計屋のためのアダージョとは、K.594と分

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき⑫

ヴォルフガング、かく語りき⑫

『・・楽譜を読むという技術とはどんな事でしょうか?それは、作品をあるべき正いテンポで演奏する事にほかなりません。全ての音符、前打音その他を、書かれてある通りの適切な表情と味わいを持って表現し、それを作曲した人自身が弾いているかのように思わせることです。』(1778年1月17日 マンハイム)

 現代の我々は、先人によって長年培われてきた演奏法、読譜法、表現法を学んできた。レッスンの度に無数の「ダメ

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき ⑪

ヴォルフガング、かく語りき ⑪

 『僕は詩のようには書けません、詩人ではないから。言葉をうまく配置して、影と光が生じるようにはできません、画家ではないから。手振りや身振りで、気持ちや考えを表すこともできません、舞踊家ではないから。でも僕は、音をもってならそれができます。僕は音楽家だからです。』(1777年11月8日 マンハイム)

 この世で最も恥ずかしい行為は、知ったかぶりかもしれない。いつの頃からかそれだけはするまいと決意し

もっとみる
ヴォルフガング  かく語りき⑩

ヴォルフガング かく語りき⑩

「恐らく今後の手紙で、パパに取っては非常に良いが、僕にとってはちょっと良いだけの事とか、パパの目には非常に悪いが、僕にとってはまあまあの事とか、ひょっとしてパパにはまあまあだが、僕にとっては非常に良く、好ましく、ありがたい事を書いて差し上げるでしょう。」(1777年11月22日 マンハイムより父へ)

 謎かけのようだ(笑)。私達にとっての謎の一つは、あれほどの才能を持っていたモーツァルトは何宮廷

もっとみる
ヴォルフガング かく語りき⑨

ヴォルフガング かく語りき⑨

 「私、ヨハンネス・クリソストムス・アマデウス・ヴォルフガングス・シギスムンドゥス・モーツァルトは、一昨日および昨日(以前にもたびたび)夜12時にようやく帰宅いたしました事、そして10時から上記の時間まで○○、○○(注 : 友人の名前の羅列)等の面前で、また彼らとともに、しばしば、生真面目ではなく、全く気楽に、しかもただただ不潔なもの、つまり汚物とか、脱糞とか、尻舐めとかについて、語呂合わせしまし

もっとみる
ヴォルフガング かく語りき⑧

ヴォルフガング かく語りき⑧

 「僕達の上の部屋にはヴァイオリニスト、下の部屋にも一人、隣の部屋では歌の先生がレッスンしているし、向こう側の突き当たりにはオーボイストがいる。そんな訳で作曲をするには面白い!どんどん考えが湧いてきます。」(1771年8月24日 ミラノより姉への手紙)

 この日15歳のモーツァルトと父は二度目のミラノにいる。15ヶ月に及ぶ最初のイタリア旅行(父子はこの3月に帰郷したばかりなのだ)は、モーツァルト

もっとみる
ヴォルフガング かく語りき⑦

ヴォルフガング かく語りき⑦

「・・・ある種の空虚、それが僕には辛いのだ。ある種の憧れーそれは決して満たされず、したがって止む事なく絶えず続いていて、日に日に嵩じてくる。僕達(注:コンスタンツェとヴォルフガング)がバーデンで一緒にいると、どんなに子供っぽくはしゃいでいたか。そしてここではどんなに退屈で悲しい時間を過ごしているかを考えると、自分の仕事も僕を楽しませてはくれない。(1791年7月7日 ヴィーン)

 晩年を迎えたモ

もっとみる
ヴォルフガング かく語りき⑥

ヴォルフガング かく語りき⑥

 「死は(厳密に考えて)我々の一生の真の最終目標なのですから、私は数年この方、人間のこの真の最善の友ととても親しくなって、その姿が私にとってもう何の恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!」 (1787年4月4日 ヴィーンより 父レオポルトへの手紙)

 これはモーツァルトの手紙の中でも一二を争う有名な文章だ。常に死を見つめていた彼の内面性の証しだと言われてい

もっとみる
ヴォルフガング かく語りき⑤

ヴォルフガング かく語りき⑤

 「お前を1095060437082回(ここで発音の練習ができるだろう)キッスし、抱きしめる。いつまでもお前の最も誠実な夫かつ友人のW.A.モーツァルト。」   (1789年4月16日 ドレスデンより、妻コンスタンツェへ)

 こんなにも貴方の事を思っていますよ、という意味の表現は人それぞれだ。モーツァルトはよくそれを数字で表す。「お父さんの手に千度の口づけを」とか、姉さんに千度の心からのご挨拶を

もっとみる
ヴォルフガング、かく語りき④

ヴォルフガング、かく語りき④

 「最愛、最善、最美の、金をかぶせ、銀をかぶせ、砂糖を振りかけた、最も親愛な、最も尊敬すべき、恵み深い奥方様、男爵夫人!」(1782年10月2日ヴィーン)

 オヤジギャグとは、言った本人が最初に笑う、もしくは話す前からニヤニヤしてるそうな。オヤジギャグが詰まらないのは、それほど面白くもないのに、本人だけが受けていると思っている点。反省せねば(汗)。しかしこれも、そのオヤジがどんな存在かで変わるも

もっとみる