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プログラミング教育の今

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記事一覧

さらばプログラミング教育

 遅かれ早かれこんな日が来るような気がしたが,思っていた以上に早かった。楽観的というか楽天的なので,こんな日が来ることにとても新鮮に驚いてしまう。どでかい衝撃を受けてしまう。ちょっと悲しくなってしまう。あんなに鳴り物入りで始まったはずなのに。たくさんの人と予算が動いたのに。そういう私の個人的な悔恨とは別の場所で,今もプログラミング教育(以下「プロ教」)は動き続けているのだろうけど,一生懸命に動かし

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私的記録:プログラミング教育の1年

 新型コロナ感染症が猛威を奮い始めるちょっと前。まさしくタイミング的にギリギリの時期に東京に行って,それからもう1年以上が経過した。東京に行ったのはアカデミー賞ノミネートの「フォードvsフェラーリ」を観るためでも,美味いウイスキーを飲むためでもなくて,プログラミング教育の最前線を観るためだったのだが,さてはてこの1年で何ができたのやら。ちゃんと整理しておかないとな,という感じである。現場レベルの1

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年の瀬のプログラミング教育あれこれ

 4月から校内のプログラミング教育推進担当のポジションを命ぜれられて,もう12月になった。牛のような,亀のような,そんな歩みの末に行き着いたのは,結局「プログラミング教育全然わからん」だった。わからんもんはわからんのだ。わからんなりの何某かは得たが,それが日本全国の小学校教員の皆々様にとって有益かどうか,それさえもわからんままだ。誰かご教示してほしい。

 プログラミング教育をプログラミングという

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渓谷の町の確かな授業

 雪がちらつく中,渓谷の町へ行ってきた。「プログラミング教育ってどんなことをしたらいいのか,教えてください」そんな依頼を受けたからだ。日頃からプログラミング教育全然わからん,と言っている人間の話を聞きたいとは,などと卑屈になっても仕方ない。二重に失礼である。今自分が持っているものをちゃんと話すこと。誠実とはそういうものだろう。そう考えながら,片道2時間半のドライブである。

 無理を言って,授業も

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プログラミング教育の根本的な話

 「根本的な話でアレなんですけど……」と初任の先生は周囲に目を配りながら言うのだが,そういう話が実は求められていた,ということは往々にしてある。
「これってプログラミングの要素と言うか,パソコン使わせる必然性があったのかなって」
 私は一気に前のめりになる。ずばり私が授業を作るために頭を悩ませていた部分であり,そこに突っ込める人は案外少ないから。

 もちろん私なりに,その質問への答えは持っている

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プログラミング教育 またわからなくなった

 何回同じことを繰り返せば気が済むのだろうか,ぼくというヤツは。教師というヤツは。もっというと人類というヤツは。主語を大きくしてみたが,結局のところまた私は「プログラミング教育」というものがわからなくなってしまった。わかったような顔をしていろいろ喋ったり授業をしたりしているが,わかったような顔をしておかないと自重で潰れそうなのである。巨大な水棲生物が陸上では何もできなくなるのと同じように。

 プ

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プログラミング教育 ようやく見えてきた

 とある方に,私(と私を含めた何名かの先生たち)なりのプログラミング教育についてお話する機会を得た。自分なりに,それなりの量をインプットし,授業のプランという形でアウトプット(その1)し,その概要や意図を話すという形でアウトプット(その2)し,然るべきタイミングで授業の形でアウトプット(その3)する。その過程を経ることでようやく私の身体に,プログラミング教育が質量と温度をもった「実体」として降りて

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プログラミング教育が抱える矛盾2

 プログラミング教育はいろいろな矛盾を抱えている。矛盾というか,おぼろげな部分というか,はっきり断言できない部分が多い。断言すればするほどに,例外が生じ,曖昧な領域が発生し,白かったものがどんどん薄暗い灰色になっていく。
 だから「プログラミング教育,難しくないですよ,さあやってみましょう!」というテンションで語っても,多くの人はその例外を,曖昧な領域を,グレーな部分を敏感に嗅ぎ取って「本当に簡単

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プログラミング教育が抱える矛盾

 単純なプログラミング教育批判はたいていの人ができてしまう。やれ現場の教員がコードなんか書けるのか,やれ学校現場に入っているパソコンのスペックを考えろ,これ以上は学校現場が完全に飽和状態に陥るだろうよ,と。学校教育というのは日本国民のほとんどが経験しているため,批判,時に感情に任せた非難の対象になりやすい。正直,宿命でさえあると考えている。そして,世のプログラマと呼ばれる人たちは,あの難しいコード

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プログラミング教育の行く末

 プログラミング教育が何を目指しているか。どこに行こうとしているのか。突き詰めていけば突き詰めていくほどに,伸びていく枝は結局いつもと同じところに行き着く。学校教育に新しい課題は尽きないかと思いきや,その実どれもこれも「教育」を母とする存在でしかなかった。私たちはそういう世界の中に生きている。どこまで行っても誰かの掌の上だ。

 今年度から本格的に始まったプログラミング教育。話を聞くのと実際にやっ

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プログラミング教育 必修化されてた

 「誰だよプログラミング教育が必修化されてるとか言ってるやつ」と書いたはいいが,実際に「必修化」という言葉が踊るスライド資料を見つけてしまい(見落としていたとも言う)振り上げた拳はとりあえず虚空を突いたままになっている。
 文部科学省が主催した,市町村教委向けのセミナーで使用されたスライド資料のPDFで検索をかけると,十数ページほどの資料に3〜4回,「小学校プログラミング教育必修化」のフレーズがあ

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プログラミング教育って必修化されたの?

 最近,ようやく気がついたのは「プログラミング教育は言ったもの勝ちになっている」ということ。これが,最初から「言ったもの勝ちだった」のか,「言ったもの勝ちの状況になってきた」のかは分からない。分からないけど,そうなっているんだろうな,と感じる。これはもう,とてつもなくまずい状況だ。

 言ったもの勝ち,ということは,声がデカい人が勝つ。声がデカい人は,勝ち続けたいので声がどんどんデカくなる。その結

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プログラミング教育の先端と根っこ

 学校教育では結構いろいろな流行りがあって,思い出されるところでは「アクティブラーニング」「単元を貫く言語活動」「教えて考えさせる授業」「主体的・対話的で深い学び」あたりがあったが,最近はもっぱら「プログラミング教育」と「GIGAスクール構想」だ。
 面白いのが,いろいろな流行りがあったとしても,根っこの部分が全くといっていいほど同じであること・その根っこがめちゃくちゃにどでかいものであること・故

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