プログラミング教育の行く末

 プログラミング教育が何を目指しているか。どこに行こうとしているのか。突き詰めていけば突き詰めていくほどに,伸びていく枝は結局いつもと同じところに行き着く。学校教育に新しい課題は尽きないかと思いきや,その実どれもこれも「教育」を母とする存在でしかなかった。私たちはそういう世界の中に生きている。どこまで行っても誰かの掌の上だ。

 今年度から本格的に始まったプログラミング教育。話を聞くのと実際にやってみようとその渦中に飛び込んでみるのとでは,大きな差があった。その差がくれたものは「実感」である。プログラミング教育が,手触りと温度のある物として私の体に降りてきたのだ。
 私は夏くらいから「プログラミング教育には大きな可能性が秘められているのではないか」と思うようになる。そう思うことは祈りに似ていた。どことなく閉塞感のある日本の学校教育に,何かしらの風穴を開けてほしいという祈りだ。新しい風に吹かれたいという願いだ。

 これまでに幾度となく現れてきた「〇〇教育」「〇〇授業」「〇〇学び」エトセトラ,エトセトラ。これらをずうっと遡っていけば「自分の頭と手を使ってうんと考えようぜ。一生懸命考えようぜ」になる。そしてそこにはきっと祈りが隠されている。
 「一生懸命考えることは楽しいんだと,気づいてほしい」

 私はまだ,こんなぼんやりとした自分の主観と感覚でしかプログラミング教育を語れない。Twitterでずっと「プログラミング教育全然分からん」と言っている。誰かご教示してくれと言っている。彷徨える子羊である。いつか霧が晴れたらいいなと願っている。