私的記録:プログラミング教育の1年

 新型コロナ感染症が猛威を奮い始めるちょっと前。まさしくタイミング的にギリギリの時期に東京に行って,それからもう1年以上が経過した。東京に行ったのはアカデミー賞ノミネートの「フォードvsフェラーリ」を観るためでも,美味いウイスキーを飲むためでもなくて,プログラミング教育の最前線を観るためだったのだが,さてはてこの1年で何ができたのやら。ちゃんと整理しておかないとな,という感じである。現場レベルの1年間と,行政・研究の場から見た1年間にギャップがあるのだろうけど,それがどれだけのものなのか。

 小学校段階でのプログラミング教育の本丸はどこだったか。「的思考」だったんだろうけども,そもそも今年度のスタートからのすっ転び具合といったら,私個人としては落胆を隠すことができないほどだった。
 計画通りの授業実践の積み上げや,できるはずだったあれこれが,コロナ禍の中へと消えていく。学校が再開すれば,それらは思っていた以上に早いペースで取り戻すことができたが,多くの人の関心はプログラミング教育からポストコロナの教育へと移っていた。本来だったら近隣の学校に出向いてプログラミング教育のあれこれを話すはずだったのに,結局今年度は1校からの依頼しかなかったのだから。
 散々言われた「的思考」とはなんだったのか。それらを説明する機会があまりにも少なかった。それが残念なのである。

 本丸には到達できたのか。今年度,TTという立場でこれを検証するのが非常に難しかった。本来であれば,もっといろいろな学校に出向いて授業を何本か見て,いろいろ知見を蓄積できたのだろうなと思うけど,それがかなわない1年間であった。自校の実践だけで判断するなら,一定の成果は得られたのではないかと考えている。何名かの同僚が「やはり教科の学びを第1のターゲットにすること」「既習事項や生活経験」「ICTの使い所」といったキーワードに理解を示してくれたから。
 先生が意識する,授業が変わっていく,児童が変わっていく。そういうサイクルが発生すれば,私がこの立場でいたことに,少しは意味が出てくるだろうから。