プログラミング教育 ようやく見えてきた

 とある方に,私(と私を含めた何名かの先生たち)なりのプログラミング教育についてお話する機会を得た。自分なりに,それなりの量をインプットし,授業のプランという形でアウトプット(その1)し,その概要や意図を話すという形でアウトプット(その2)し,然るべきタイミングで授業の形でアウトプット(その3)する。その過程を経ることでようやく私の身体に,プログラミング教育が質量と温度をもった「実体」として降りてきている。
 おぼろげな感覚だが,降りてきている,ような気がしている。いや全くそれは降りてきてないですよ,と言われても,私としては降りてきている感覚だけはあるので,結論は急ぐまい。

 授業という複雑な構造をもった営みの中で,何を発生させ,何に到達するのか。結局プログラミング教育が私たちに語りかけているのはそういうことだったのではないだろうか。ゲーム作りじゃない,コーディングじゃない,ロボットを制御することでもない。

「あなたの授業は,子どもたちに何を残しましたか」

 残酷なことだなあと思う。PCに詳しい,PCを自作したことがある,コードが書ける,HTML知ってます。そういうことじゃないんだよ,ということだったのだ。文科省はずっとそう言っていたけど,私たちは心のどこかで耳を塞いで目を閉じてきたんじゃないのか。思考の枠内からそれを締め出して,Scratchをインストールして,ネットで「scratch 多角形」と検索したんじゃないのか。

 明らかに潮目は変わってきているが,それをこのタイミングで具体化していけるのか,アウトプットしていけるのか。どうやったって,霧の中にいる。それは辞令を受け取り,公務員としての宣誓をしたあの日からずっとそうなのだけど。