さらばプログラミング教育

 遅かれ早かれこんな日が来るような気がしたが,思っていた以上に早かった。楽観的というか楽天的なので,こんな日が来ることにとても新鮮に驚いてしまう。どでかい衝撃を受けてしまう。ちょっと悲しくなってしまう。あんなに鳴り物入りで始まったはずなのに。たくさんの人と予算が動いたのに。そういう私の個人的な悔恨とは別の場所で,今もプログラミング教育(以下「プロ教」)は動き続けているのだろうけど,一生懸命に動かしている人がいるのだろうけど(プログラミング的には「走っている」でいいのかな)私は勝手に,自分の中でケリをつけようとしている。まこと身勝手ではございますが,と私はステージの真ん中にscratchをインストールしたパソコンと,MESHのブロックを優しく置くのである。大丈夫,ちゃんとあとで回収するからね。

 「潮目,変わりましたよね」会う人会う人にそう言っている気がする。プロ教からGIGAへ。scratchからChrombookへ。あるいはiPadや天板拡張くん。もしくは充電保管庫。
 GIGAへの転換。潮流の変化。それは「広いWhat」から「狭いHow」への変換と見ている。何の力を伸ばしていくべきかという「広いWhat」から,これってどう使うのという「狭いHow」への変換。GIGAの最初期であることを差し引いても,この流れがこのままもうしばらく続くようであれば,少しまずいなあ,いやめっちゃまずいなあ,と思っている。GIGAもプロ教も,根っこは同じ「広いWhat」のはずだから。そんな先っちょの方で小手先をこねこねしてても仕方ないのだが,残念ながら潮流はそうなっている。限りなく個人的な肌感覚だが,そうなってしまっている。誰もが明確な答えを欲しがっている。明確で矮小な答えを。「電源ボタンを押すと端末の電源が入ります」というレベルの。

 敏感でいなきゃいけない。私たちはちゃんと「広いWhat」を,そして「広いHow」を見ているのかな,と。私は私なりに「広いWhat」でプロ教を見据えてきたつもりだし,それをみんなに伝える準備もしていたつもりである。他ならぬ私がそう言っているんだから,それはそうで間違いないんだけど。でも,ずうっと沖の岩礁に座礁して,プロ教マエダ丸はボエっとしている。ちゃんと母港に戻らなきゃな,と思う。

 こんなことを言っているけど,私はこの1年ちょっと,とても楽しく幸せで面白い時間を過ごしたと思っている。プロ教というどでかい壁を眺め,突っつき,登ろうとしたり殴って拳を痛めたりした。私に支払われる給与の幾ばくかはこのプロ教推進のためにあった。そう思うと自身の存在が少し,北海道の,オホーツク(ロシアじゃない方)の学校教育に根を下ろして染み入っていったような気がするから。同時に,プロ教って何ですか,という質問に対して,何某かの答えを返せる自分になれたから。多分ね。