プログラミング教育って必修化されたの?
最近,ようやく気がついたのは「プログラミング教育は言ったもの勝ちになっている」ということ。これが,最初から「言ったもの勝ちだった」のか,「言ったもの勝ちの状況になってきた」のかは分からない。分からないけど,そうなっているんだろうな,と感じる。これはもう,とてつもなくまずい状況だ。
言ったもの勝ち,ということは,声がデカい人が勝つ。声がデカい人は,勝ち続けたいので声がどんどんデカくなる。その結果,言葉にいろいろなものが付加されていき,形を変え,最終的に「そんな事言ってたっけ?」というところまで行ってしまうことが往々にしてある。声のデカさというのは,単純な音量だけでなく「どれだけ刺激的なフレーズで捲し立てられるか」「どれだけ斬新な言い回しで人を引きつけられるか」なので,多少の虚飾が入り混じるものだ。「話を盛る」というやつだ。
教育界で,あることを喧伝したい時に使える刺激的なフレーズ,つまりデカい声は何か。それは「必修化」だ。なので方々で「プログラミング教育必修化ですよ」と言われている。必修化されたわけじゃないのに,だ。
ここ最近必修化された物としては「生活科」「総合的な学習の時間」「外国語活動」などがある。変わり種として「特別の教科 道徳」なんてのもある。これらの共通点は「時間割に載っている」「場合によっては文科省の検定を受けた教科書が使われる」「評価があって通知票に項目が起こされている」だ。もし小学生のお子さんがいる,という方は,我が子の通う学校の時間割とお子さんの教科書群を見てほしい。時間割に「プログラミング」「情報」「コンピュータ」みたいな時間が載っているかどうか。「プログラミングの教科書」があるかどうか。今年度の通知票に「プログラミング」の項目があって,担任の先生が何か書いているか。
「プログラミング教育必修化」なんて誰も言っていない。文部科学省は「令和2年度から始まりますよ」「導入しますよ」「実施していきましょう」とは言っている。でも「必修化」とは言っていない。誰かが耳目を集めたいがために,必修化と言ってしまったのだ。新しい教科ができたわけでもない,教科書があるわけでもない,評価項目として起こされていない「プログラミング教育」。しかし,真に恐ろしいのは現役教員の多くが「必修化された」と考えている,受け止めていること。
人は信じたいものを信じる。「必修化されたプログラミング教育」という,実体のない亡霊を求めている。闇深い未踏の森に分け入ってお宝を探すよりかは,亡霊の見せる幻覚に身を委ねてしまう方が,遥かに楽だから。