タツヤ

貰った優しさを振り撒く。

タツヤ

貰った優しさを振り撒く。

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無力

人間それぞれ違う前提を持っている。例えば1日に2回風呂に入るのが普通の人もいるし、1日6食が最低限のボディビルダーもいる。そんな前提の違いは笑いに出るという意見をネットのどこかで拾った。なんだやねんというお笑いの決まり文句があるように、人はちょっとした価値観の違いを笑いにする。俺の周りでも試験に落ちることをネタにしてやばーとかうっすい会話を広げる奴らがいる。それも試験は基本受かると言う前提があるからである。まあ試験に落ちる前提な俺もどうかと思うが。最近面白いなと思うのが、人間

    • アントラーズ2024前半戦レビュー

      鹿島アントラーズ。俺たちの誇りである。新興集団ヴィッセル神戸に衝撃の敗戦から早一年と少し。前年度Jリーグ王者神戸へのリベンジと国立決戦にてACL準優勝、2年前のチャンピオン横浜F・マリノスに圧巻の逆転勝利。そして首位町田ゼルビアに勝ち点で並んだ。まだシーズンは長いが、ここ数年で最も強さを感じるチームになった。そんな鹿島アントラーズは何が変わったのか。主なポイントは3つ。柴崎岳キャプテン、選手の入れ替え、新しい風である。 柴崎岳キャプテンは大きな存在だ。シーズン前の怪我により戦

      • いろんなものがリアルタイムでわかる今、一向に解き明かされないものがある。死についてである。研究してはいるのだろうけど、そもそも死んだ人が帰ってきたというのが約2000年前のイエスキリストしかいないのだから研究しようがない。何なら神の子だし,人間に当てはまらない可能性が高い。では死ぬとは何なのだろうか。旅立ちとか、いろんな言い方することが多いけど、最近救いの手のような気がしてきた。別に俺が今死にたいわけではないけど、今あるめんどくさいこととか死んだら全部やらなくていいと考えると

        • 名前

          俺は本当にタツヤなのだろうか。あだ名とか、究極本名だって人が勝手に名付けたものであって、俺という存在はもっとふさわしい名前があるのではないかと高校一年の時考えていたのを同級生のインスタを見て思い出した。今思えば本当に高一が考えている内容ではなくて笑ってしまう。この後に何を書いたかというと、なんかそれはクラスの翔太くんも同じだし、あかりちゃんも同じであって、みんなそれぞれもっとふさわしい名前があるはずだけどそれに気づかないままそれぞれの名前という名のきいぐるみを履いて人生を送っ

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          変化

          昔ドラマで見た俳優が死んだり、見てたYouTuberが結婚したり、好きだったサッカー選手が引退したり、俺たちは止まらない時の中に生きているなと感じることが多くなってきた今日この頃である。 変化を恐れない人間、逆に変化を恐れる人間といるがその違いはなんなのだろう。俺は前者側で、たとえば久しぶりに会った一重の女の子がぱっちり二重になったらどうしても突っ込みたくなってしまうし、裏でくすくす笑ってしまう、そんな人間だ。変化を嫌う俺は自己肯定感が低いから確実に楽しい過去の思い出に縋って

          うんこ奮闘記②

          あれは高校三年生の初夏。学校から帰る夜のことだった。俺の学校では主に2通りの帰宅方法がある。バスと徒歩である。徒歩は2.5kmで勾配が結構きついが、バスの運賃を俺の母はくれなかったし、タツヤの家庭ではお小遣い制度がなく、イベントのたびに支給のため、バス代に割り振ることもできなかった。そのためどんなに天候がきつい日でもタツヤは基本歩いて最寄り駅まで往復していた。そんなある日。午後五時ごろから八時まで集中して自習をし、同じクラスの友達とヘロヘロになって帰った時に事件が起きる。校門

          うんこ奮闘記②

          大人

          最近のガキは本当にすごい。プチプラで大学生よりおしゃれしている中高生の多いこと。俺が中高生の時なんかジャージと制服とパジャマ以外の服がなかったからたまに友達と遊ぼうとかなると親が服を俺に貸すレベルで服を持っていなかった。昔と違って大人が何をしているのかがSNSとかで見えやすい時代になった今、人生という名のビデオが早送りで流れている感覚が俺の中にある。昔なら、小学生は公園とか人の家で遊んで、中学生で寄り道を覚えて、高校で友達だけで少し遠出してみたいな道筋があったが、今ではこの過

          私の娘は重度の先天性疾患である。10年前は特別支援学校に通えて、色んな思い出を残した。授業参観だったり、修学旅行だったり。病院と家しか知らない娘が初めて遊園地に足を入れた時の彼女のあの目の輝きを忘れない。私自身、娘の病気を知ってからそういった「普通」なんて味わうことはないと思っていたから本当に幸せだった。そんな彼女ももう22歳。普通なら就職をしている時期である。未だ世間一般的な22歳と比べている時点で、私自身まだ昔封印したと思っていた感情を捨てきれていないのが丸見えであると考

          式辞の最初に使えそうな季節の表現を考えられるだけ考える 春夏編

          春長かった冬にも終わりの兆しが見えはじめ、道路の端に咲くたんぽぽに春の訪れを感じる季節となりました。 長かった冬にも終わりの兆しが見え始め、外を出るとほのかに感じる梅の花の香りに心を踊らせる季節がやってきました。 三寒四温とはまさにこのことで、凍てつく寒さと穏やかな陽気の繰り返しに苦労しつつも、新たな人生の始まりに心躍らせる日々がやってきました。 外で見られる今にも咲かんとする花の蕾の命の力強さに新しく訪れる季節の美しさを感じる今日この頃であります 私たちを祝福するか

          式辞の最初に使えそうな季節の表現を考えられるだけ考える 春夏編

          水族館

          俺はしょうた。水族館で働く28歳の独身だ。地方の小さな水族館に勤めてはや2年になる。釣りが好きな親の影響で色々な魚を見ていくうちにこの世界にのめり込んでしまった。危なかったがなんとか大学の海洋学部を卒業し、水産会社の研究員として働き出したものの何か違和感を感じ、というかそもそも勉強好きじゃ無い俺がずっと研究なんて無理で、たまたま応募が出ていた地元から少し離れた水族館に募集がかかっていたので応募したところ海洋学部の肩書きが強かったのか無事に合格、今に至る。ここの仕事は楽しい。俺

          次に流行りそうなSNS

          bereal の快進撃も落ち着きが見られる今日この頃、次に流行るSNSについて考察していきたいと思う。その前にまずは流行、ブームを起こしたSNSの流れを読み解く。 facebook このゲームチェンジャーの誕生によりSNSという概念が世の中に誕生したと考えられる。自分の生活の一部を切り取り載せて共有するという新たな概念こそ、SNS時代を読み解くヒントになるのではないかと思う。しかし、このゲームチェンジャーからまた新たなSNSが生まれるのであった。 twitter fa

          次に流行りそうなSNS

          ウンコ奮闘記

          あれは高校2年の秋。学園祭の日であった。いつもは一緒に行く友達がいたのだが、その日は学園祭準備があると早く行っていた。俺はマセガキだったので、学園祭などくだらないといつも通り遅刻ギリギリの時間帯に学校に歩いて向かっていた。何事もない。ただ学園祭があるだけ。この時はそう思っていた。 駅から学校まで行く間のトイレ、つまりウンコスポットは3つある。セブン、すき家、セブンである。つまり、登校中に催しても大抵の場合駆け込んでセーフとなる。しかし、その日は土曜日。そして俺はある重要な点

          ウンコ奮闘記

          鹿島アントラーズの方向性

          ついに7位転落である。今日こそはと意気込んで挑んだ川崎フロンターレ戦。3-0の大敗。岩政アントラーズの限界を感じ続けてはいたが、それが顕著に現れた試合でもある。基礎技術の低さ、一人一人の試合に対する姿勢、戦術。何もかも、毎年タイトルを狙うチームではなかった。今回は鹿島アントラーズは今後どのように進んでいくべきなのか。素人なりの考察をしていきたいと思う。 監督 個人的にはもう見たくない。無駄に大口を叩く割には中身のないサッカー。10試合に一回やりたいプレーを見ることができる

          鹿島アントラーズの方向性

          生きるとは

          皆が一度は疑問に思うだろう。広告のキャッチコピーで、幸せになるためだとか、美しくあるためとか色々なことが書かれているが、最近友達に面白い話をしてもらった。そもそも生きるという行為に幸せという状態はない。ただ自分の環境下で与えられるタスクをこなして、苦しむ。それこそが生きているということである。らしい。間違いではないなと思った。そもそも幸せは上振れだから、上振れだ状態があるなら下振れ、そしてなんともない状態が大半を占めているはずだからである。毎日幸せ(彼氏、夢が叶った、など)が

          生きるとは

          距離感

          世の中は微妙な距離感で成立している。例えば、友達の定義なんて言える人間は未だいないし、最近話題の年齢自認とか、多様性とかもそうである。自分が良かれと思った行動ですら、他人からしたらただの迷惑になることもある。なんてめんどくさい。しかもこの距離感を一人一人掴まないと親交を深められない。簡単なようで簡単じゃないゲームを我々は生きている。ただ、世の中の大半の人はこの距離感の把握をそれぞれの立場で完璧にこなしている。中学生なら休日にプリクラを撮ったり、高校生なら定期的な遠出や部活、大

          平等

          知り合いが亡くなった。というか塾の生徒が。水難事故だという。決して接点が多いとは言えないが、最近は塾でよく担当していたし、辞める気ではいるがもし辞めるのが面倒になって、来年もバイトを続けていたらたくさん受け持っていたことだろう。実に悲しいし、涙も少し出そうになるが、恥ずかしがり屋な俺のメンタルがそれを許さない。そんなことはさておき、その子の将来などうなっていたんだろうか。YouTubeやってたかもしれないし、立派な社会の歯車になっていたかもしれない。そんな希望を持った人間が水