名前

俺は本当にタツヤなのだろうか。あだ名とか、究極本名だって人が勝手に名付けたものであって、俺という存在はもっとふさわしい名前があるのではないかと高校一年の時考えていたのを同級生のインスタを見て思い出した。今思えば本当に高一が考えている内容ではなくて笑ってしまう。この後に何を書いたかというと、なんかそれはクラスの翔太くんも同じだし、あかりちゃんも同じであって、みんなそれぞれもっとふさわしい名前があるはずだけどそれに気づかないままそれぞれの名前という名のきいぐるみを履いて人生を送っているみたいなこと書いた気がする。しかし言葉の力とは恐ろしいもので、もし仮にあなたがゴミとかネガティブなあだ名をつけられたらあなたはその日からクラス、コミュニティのカーストがぐんと下がること間違いなしだろう。吐くという言葉からマイナスを取ると叶うという感じになるように言葉には偶然とは片付けられない謎の法則がある。
例えば、勇太くんが勇気を持ってるわけでもないし、あかりちゃんが明るいわけではない。むしろ名前に縛られて生きている人間もいるわけで、そんな奴らが生きやすいような考え方があるのかなとか思うけど未だ見つけられないし、自分で名前と違う名前をつけても、名前が二つある人間になってそれこそ精神が崩壊しそうだから怖いし、なんか難しい。

名前が勇気を押す話でも書けばいいのか?

俺は勇輝。が、人と話すとすぐに緊張して言葉が詰まってつれに馬鹿にされる。これまでの人生だって大多数が歩むような人生を選択してきたし、親はたくさんの人生の方向性を示してくれたけど、それを選ぶ勇気は俺にはなかった。新しい味のジースは必ず弟に飲ませてから飲むし、嫌な思いをしたくないからいっつもちょいこわのいじめっこポジションのやつの金魚の糞をしている。そんな俺だが、先月の日曜日。大学でよくつるむグループの女の子が俺を買い物に誘った。もしデートと言われて誘われてたら断っていたが、日曜暇?と聞かれ外堀を埋められてからのお誘いを断ることができなかった。女の子とのデートなんて、中学2年ぶりでワクワクするが、自分に自信のない俺が女の子とデートして幻滅しないだろうか。そんな心配は杞憂に終わり、彼女の立てた完璧なプランによって最高の日曜日になった。帰り際、彼女が、
なんでつまらなさそうな顔してあの人たちと連んでるの?と聞かれた。
答えられない。いじめられる側になるのが嫌だからとは。言葉に詰まっていると、彼女が俺の顔を覗く。彼女の顔は俺のタイプ。だけど、遊んでそうだし、俺に釣り合うわけがない。こんな可愛い人と関われただけ幸せな人生だ。と考えていると、ユウキくん、ユウキくん!と彼女が俺を呼ぶ。しばらく、俺って高校の時似てるからってつけられたLとしか言われてなかったな、そう思った。勇輝。親は勇気を持って、輝く人間になれるように名付けたらしい。それが金魚の糞。情けない。もうどうでもいいか。
可愛い。好き。
女の子との1日デートでショートした俺の脳内回路が吐き出した言葉は二人の会話を凍り付かせた。数秒後我に帰った俺は冷や汗がどっと出た。彼女は顔を真っ赤っかにして俯いていた。やばい、なんとかしないと、と思っているうちに彼女から、
まじ?嬉しい。
そう帰ってきた時俺はまた数秒間理解ができなかった。
その後、お互いをいいなと思い始めた時期などを話し合い、ウキウキになって解散した。お母さん、ありがとう。そして、後日正式に付き合いだした頃俺がいたグループから離れろと言われた。高校からの付き合いで簡単じゃないだろうが、俺は勇輝。男を見せる。


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