変化

昔ドラマで見た俳優が死んだり、見てたYouTuberが結婚したり、好きだったサッカー選手が引退したり、俺たちは止まらない時の中に生きているなと感じることが多くなってきた今日この頃である。
変化を恐れない人間、逆に変化を恐れる人間といるがその違いはなんなのだろう。俺は前者側で、たとえば久しぶりに会った一重の女の子がぱっちり二重になったらどうしても突っ込みたくなってしまうし、裏でくすくす笑ってしまう、そんな人間だ。変化を嫌う俺は自己肯定感が低いから確実に楽しい過去の思い出に縋っていたいと前まで考えていたが、多分俺は自己肯定感が高い。というより自分の中の自分のイメージを他人にとやかく言われるのが大嫌いなんだと思う。たとえば女の子の話で行くと、鏡で毎日何回も顔をチェックする。それは現在できる最大限の手当を行うためだ。自分に自信がないから。側から見たら、というか俺は昔は自分の顔好きすぎるからやってんのかなーとか思ってたけど多分違う。自分に自信がないからこそ、100パーの自分を維持しないと心がもたないのだ。逆に俺はどうだろう。なんか痩せた?とかかっこよくなった?とかいっつも自問自答してる気がする。むしろ悪化してるまであるのに。
やってから後悔しろとはよく言ったものだが、世の中0→1にするのには大きなエネルギーを使う。俺はめんどくさがりだし、やる気なんもないし、変化を起こすことが嫌いなのかもしれない。だけど変なことをするのは大好き。なんでやねん。
世の中変化の連続である。もう少しでAIに仕事を奪われるとはよく言われるが、機械のスピード感と人間のスピード感って違うよなーって最近思う。あとお金もないし。人間同士でもそう。変化を厭わない人もいれば、環境に慣れるのに時間がかかる人もいる。大事なこともクソもないけど、多分この二つのタイプの違いは自分という存在を中から見てるから外から見てるかの違いなのかなーと最近思う。中から見てたら景色が変わるだけで違う場所に行っても自分でいられるが、外から自分を見てる人はたとえば高校→大学だったら教室の感じとか、学校に行く道とか、そういう景色の中にいた自分が変わるわけだから自分という存在がよくわからなくなる。つまんなそうな人生送ってる人は大抵外から自分を見てる気がする。当たり障りなく生きる術があるからかな。でもこの分類だと変化を厭わない人とそれの違いがそこまで変わらないことに気づく。今。中からだったら別に変化を嫌がらないのは当然として、外から自分を見てる人は周りに合わせるために常に変化をし続ける必要がある。結局人間は変化をしなければ生き残れないのかもしれない。ダメなのは自分を形成するのに役に立っているものまで変化させてしまうからなのかもしれない。俺は自分の大事な部分を押さえつつ変化を楽しめる人間になりたい。

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