生きるとは

皆が一度は疑問に思うだろう。広告のキャッチコピーで、幸せになるためだとか、美しくあるためとか色々なことが書かれているが、最近友達に面白い話をしてもらった。そもそも生きるという行為に幸せという状態はない。ただ自分の環境下で与えられるタスクをこなして、苦しむ。それこそが生きているということである。らしい。間違いではないなと思った。そもそも幸せは上振れだから、上振れだ状態があるなら下振れ、そしてなんともない状態が大半を占めているはずだからである。毎日幸せ(彼氏、夢が叶った、など)が続くなら、それが普通になり、むしろキツイことが今度は幸せになる。見ないな感じ。
上振れに期待して生きるくらいなら普段の苦しみを笑って生きていた方がいいと友達は言っていた。ジョーカーのような考え方だが、面白い。そもそも生きる意味なんてものはない。例えば、どんなに重要な人が死んでしまったとして、それでも直接的な害を与えられなければ私たちは死ぬことがないし、バイトだって勝手に飛んで辞めたところで違う奴を雇うか同僚が少し頑張るだけである。世の中気合を入れすぎても何もうまく行かない。逆に誰かいなくなってもなりたってしまう世界において不可欠存在になるために努力するのだろうか。それこそ生きるということなのだろうか。
天国地獄という概念を信じるならば、今苦しんでいれば天国に自動的に行けるということなのか。友達は教会に行ってるらしいのでそう考えてる気がしなくもない。こんなことを考えてると、一回真面目に宗教の勉強してみたくなる。いろんな入り方があるだろうが、生きることについて迷いそれぞれの考え方が合う宗教に入ったのだろう。
答えのない問いに対して答えを作る必要があるか?綺麗なようで適当な言葉でなんとなく答えを作ったところで何にもならないだろう。俺は心からこれだと思った答えが出たら、ここに編集して書こうと思う。

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