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#掌編小説

掌編 「忘れ貝」

掌編 「忘れ貝」

 白い玉砂利の川床を狸の死体が埋め尽くしている。川の水は赤く染まり、帯のようにたなびいて、川下へ流れていた。その景色は、自然と夕闇を背負っている。阿波狸合戦の風景である。
 とある座談会にリモートで参加させていただいた折りのことだった。会の後半、電波状況の悪かった私の画面では動画が止まっていた。どうにか聞こえていた音声もぶつ切りとなり、これは再接続しなければ仕方ないだろうと、接続を切ろうとしたとき

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掌編 「毒々しい金魚」

掌編 「毒々しい金魚」

 どん、と花火の音がして、ゆっくりと下りてきた緑の火花が落っこちた。お腹の底へ響く音がもう一度、どんと鳴ると、ガラスに入った氷がからんと高い音を立てて、崩れた。透明で、小さな氷山みたいな形をした氷の中に、今度は紫の火が灯って、サイダーみたいにぱちぱち弾けた。
 ベランダへ落ちた花火の尻尾は、きらきらと風が泣くような声を出して、燃え尽きた。カーテンレールからぶら下がった、ハンガーには金魚柄の浴衣がか

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掌編 「知的パラサイト」

掌編 「知的パラサイト」

 それは、人類滅亡の合図だったのかもしれない。
 ある日、あらゆる固定・携帯電話、スマートフォンに、世界同時に着信があった。発信元は不明。ただ、例外なしに、全人類へ着信が入った。
 着信に出た人々は、ことごとく発狂した。運よく、電話に出られなかったか、あるいは、電話を取るのに遅れた人たちは、発狂し、暴徒と化した彼らの姿を見ることになった。
 彼らは、口の端に泡を吹き、唐突に傍らにいる人間を襲った。

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掌編 「ビルを喰うビルの街」

掌編 「ビルを喰うビルの街」

「このビルは、築何年でしたか?」
 半袖のワイシャツを着た、クールビズルックの若者が、後ろを歩く腰の曲がった管理人へ振り向き、尋ねた。
 髪の薄い老人は、わずかに白髪の残った頭を掻き、あー、と歯切れ悪く、言い淀んだ。それを見て、若者はすぐに付け加える。
「今、いる場所は、築何年のビルです?」
 古ぼけたビルの通路は、かび臭い空気に満ちていた。ぼろぼろの内装は剥げかけており、指で触ると、荒い石の粒が

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掌編 「お互い様のカーディガン」

掌編 「お互い様のカーディガン」

「へっちょ」
 空っぽの体育館に音を響かせたあと、茜は咄嗟に口元を抑えた。
 文化祭実行委員の面々が、不思議そうな顔をして、茜の方に振り返る。口々に、え、今の……? 何、なんかあった? と疑問を呟いた。
 茜は身を小さく縮こめて、すみません、と肩を落とした。
 実行委員たちは、音の主が茜だったことを知ると安心したようで、元の通り、委員長を中心に集まって、再び会議を始めた。
 茜が顔を真っ赤に染めて

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掌編 「こわれちゃった」

掌編 「こわれちゃった」

 在原がマンションの中へ入った時、既に事は済んでいた。
「茜さん、またですか」
 ワンルームのその部屋の、廊下には、点々と赤い血の跡が続き、廊下と部屋を隔てる扉のちょうど境の場所で、一人の男が倒れていた。
 在原は土足のまま、部屋に上がり、スーツの内ポケットから、ビニールカバーを取り出して、靴にかぶせるように履かせた。
「茜さん?」
 灯りの点いた部屋の方へ、彼は歩いていく。死におおせた男の死体を

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掌編 「少女のはじまり」

掌編 「少女のはじまり」

 山田さんと小川さんは付き合っている。
 朝練に向かう途中、教室に忘れたシューズを取りに行った時のことだった。
 物静かな、空気が丸ごと凍ってしまったような、冬の朝の教室で、二人はまじまじと互いのことを見つめていた。
 彼女たちの吐く息が白く凍えて、朝日にきらきらと反射した。薄曇りの朝、雪が降るんじゃないかっていうくらい寒くて、触ると壊れてしまう、氷のガラスのような雰囲気だった。
 二人は、廊下を

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掌編「一人ぼっちのレインコート」

掌編「一人ぼっちのレインコート」

 夜、雨音をかき消して、固定電話が鳴っていた。じりり、というコールが十、二十と重なって、部屋の天井にまで広がった音の響きは、雪のように降り積もり、フローリングの床を白く染めた。
 一センチほど積もったコール音には、猫の足跡があり、その足跡の数から、随分、長い間、コールが鳴り響いていたことが分かる。そして、電話台の脇には、幼い人の足跡がはっきりと刻まれ、彼女が一度、受話器を取りに来て、引き返した様子

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掌編「くさったあかねちゃん」

掌編「くさったあかねちゃん」

 佐渡島あかねという女は、死の臭いのする女だ。というよりも、腐っている。
 いや、ネットスラングでいう所の腐るではなくて、本当に肉が酵素によって分解され、腐臭を放っているのだ。

 かといって、彼女が完全に死んでいるとするのは論外で、佐渡島はなぜだか腐りながらも、生きている。寡聞にして、肉が腐るという病気は聞いたことがないし、検索をかけた所、この世界にそういった病気は存在しない。

 さて、佐渡島

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短編 「水の記憶」

短編 「水の記憶」



「結界ごと斬れる業物ってある?」
 と半年ぶりに顔を見せた妹は、口にした。
「それ、大業物だからね」
 店の商品を物色していた彼女は、淡々とこちらを向いた。
「あるの?」
 ない訳ないでしょう、と思ったが口にはしなかった。第一、千年から続く我が家の蔵に何があって、何がないのか、帳簿係の私ですら把握していないのだ。ひょっとして神代の刀が出てきても不思議じゃない。
「何に使うの?」
「うーん、仕

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掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

 私はあなたが望むように、あなたの不幸せという幸福を祈る。不幸せである限り、絶対の幸福に包まれると信じるあなたの、少し不真面目な幸福論を。
 きっと、そんなあなたの幸せ、いえ、不幸せを叶えてあげられるのは、私だけでしょう? そう考えることは、私にとって、どんなに慰めになるか分からない。
 ニーチェを引用し、人生はどれほど空虚なものかと嘆く時の、あなたのうれしそうな顔や、神は死んだ、と高らかに歌い上

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掌編 「橘 甘夏」

掌編 「橘 甘夏」

 甘夏は偽名である。彼女は何かと名乗る用のある時は、必ずこの名前を使った。元々詮索嫌いで、人と深い関係を苦手とする、どこか暗い女性だった。軽妙な口振りで、誰とでも親しく話す割に、二度、三度と会うにつれて、疎遠になっていくことが多かった。
 特に同性とはいい関係を築くことができず、最近はもっぱら男性と一緒にいる。一人で家にいると不安になると公言してはばからず、空いたスケジュールには何かと理由を付けて

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掌編 「白猫の家」

掌編 「白猫の家」

 猫を飼うには広すぎると思った。
 顔も知らない父が死んで、ぼくの元に鍵が一つ、送られてきた。都内のワンルームのアパートの鍵だった。母が亡くなって以来、天涯孤独と思っていた僕は、それは当然、驚いた。生活に困っていなければ、その鍵を受け取ることもなかっただろう。

 部屋にはベッドの他、何も置いていなかった。まるで空き部屋のように静かで、けれど、人の香りがしない分、清潔だった。壁紙は気付くか気付かな

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掌編 「落ちて、ブルー」

掌編 「落ちて、ブルー」

 世界はくっきりと二つに分かれた。群青と水色。ぼくは群青へ向かって、真っ直ぐに落ちていく。ここには鳥もいなければ、雲もない。器のように群青が世界を支え、水色はベールのように世界を包む。ぼくらは各々、世界へ投げ出され、自由気ままに落下する。あるのは、この身体だけ。翼のように両手を広げても、ぼくらは飛べない。
 大きな水色が、ぼくらを抱えてる。群青がそれとは気付かない内に、ゆっくりと近付く。

 ぼく

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