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掌編「くさったあかねちゃん」

 佐渡島あかねという女は、死の臭いのする女だ。というよりも、腐っている。
 いや、ネットスラングでいう所の腐るではなくて、本当に肉が酵素によって分解され、腐臭を放っているのだ。

 かといって、彼女が完全に死んでいるとするのは論外で、佐渡島はなぜだか腐りながらも、生きている。寡聞にして、肉が腐るという病気は聞いたことがないし、検索をかけた所、この世界にそういった病気は存在しない。

 さて、佐渡島あかねの件だ。彼女は重苦しい前髪をまつ毛の辺りまで伸ばした、猫背で眼鏡の文学少女(官能小説を読んでいるらしい。やっぱり腐っているのか?)と、もっぱらの噂である。見た目が脂ぎった甲虫に見えなくもないので、彼女がはじめ、腐臭を放っていた時も、周りの人間は、彼女が二三日お風呂に入っていなかったのだと思っていた。馬鹿な男子は、むしろその臭いがグッドとまで言っていたのだけれど、状況を確かめると、そんな馬鹿は一人も、そう一人も、いなくなった。

 まず、腐り始めたのは、彼女の右腕だった。左利きの彼女は右手で本を持ち、食事をしていることが多いのだけれど、その日、彼女は猫背のまま、一人で黙々とご飯を食べていた。
 本の貸し借りをする友人Aが、少し気になって、話を聞いてみると、何と、紫と緑のハイコントラストでグロテスクな右腕を、ご紹介され、事件が公になった。

 ……のだけれど、臭い以外、私たちも彼女自身も、佐渡島の身体が腐ることを原因として、何の苦労していない。
 佐渡島の身体は腐っても、前の通りに動くし(元々がどんくさいから、困るほどの運動もしない)自らの美醜に関心の薄い彼女は、身体が腐っていくことにも無頓着だ。

 ただ、やはり臭いは万人が頭を悩ませる問題であった。臭いがきつすぎて、同じ部屋に五分といられないのだ。

 よって、急遽、対策委員会が設けられた。私はその委員会の、一応は会長、ということになる。
 まず、臭い対策として、消臭剤の使用が検討された。特殊清掃業の商品も扱っている問屋の息子がおり、彼の伝手を使って、超強力消臭剤が、カンパによって、購入された。
 が、作戦は失敗。原因はやはり、臭いの原因を断ち切れないことにある。いくら臭いを取り払っても、おおもとの腐った身体から次々と臭気を発せられては、いたちごっこである。一方で、彼女の席を取り囲むように置かれた、魔法陣式、設置型消臭剤の結界は、有志によって継続中である。

 次に、腐った肉体の洗浄が行われた。手が空いている女子を集め、部室に備え付けられているシャワー室に佐渡島を連れ込み、抑えつけ、美容自慢の女子たちによる、シャンプー・ボディソープの波状攻撃を行った。
 しかし、結果は芳しくなく、腐臭と混じった芳香剤の臭いは、何人もの生徒たちをトイレ送りにした。

 最後に、遮断作戦が考案された。名前の通り、佐渡島の臭いを遮断し、隔離する作戦である。手始めに、彼女の身体をサランラップで巻いてみた。臭いは軽減されたものの、本人の関節が動かせないという主張を鑑みて、作戦は新たな発展を余儀なくされた。次に、ボディスーツタイプの肌着が提案され、それもまた一定の効果を得たものの、いまだ不十分。その不足を補うために、佐渡島に厚着をさせるという方法が考案され、両提案を同時に処理することによって、佐渡島臭い騒動は、一端の決着を見た、はずだった。

 佐渡島の腐敗具合は、日々進行を続けており、ある日、ついにそれは彼女の顔にまで現れてしまったのだった。
 当然、腐敗臭も強くなり、状況は振出しに戻ったかと思われたのだが……。

 お昼休憩の間、委員会が招集され、作戦会議が行われていた。その隣には、いつもの通り、佐渡島が座っており、至って、平穏な日常風景だったが、
「えへへ、こんな風にみんなが構ってくれるの、小学生の時以来だね」
 と、彼女が突然、呟いた。
 予想外の発言に、動きが止まる委員会の面々。照れくさそうに俯き、えへへ、と笑う佐渡島。もちろん、それだけなら事件というほどのことでもない。問題は、その翌日だった。

 次の日、登校してきた佐渡島の腐敗が、退行の気配を見せたのだ。耳元まで広がっていた腐乱が、顎の辺りまで引いていたのだ。
 佐渡島腐敗研究部は、いくつかの実験を重ね、今回の発見をこう説明付けた。
「佐渡島がよろこぶと、腐敗が改善する」
 こうして、状況は新たな局面を迎えたのだった。

「かよちゃんだけだったのにね」
 佐渡島、いや、あかねが言うのは、学校で話をするような仲の人間が、前よりも増えた、ということだった。腐敗臭騒動から、あかねは一躍クラスの中心になり、明るい表情を見せることも多くなった。

 友人としてはうれしい限り、と言いたいのだけど、私は複雑な気持ちだった。

「早く、臭くなくなるといいなぁ」
 そうじゃないんだよね、と私は一人、心の中で呟く。。
「私は、あかねの臭い、好きだけど……」
 えへへ、と顔を赤らめるあかねを見て、何だ、全然死んでないじゃん、と思ったのは内緒だ。
 私がこんなこと言うのは、委員会の会長で腐れ縁のよしみだと、あかねが思ってる限り、私は絶対、この誤解を解かない。

「私、あかねが死んでも、ずっと一緒にいるから」
 あかねは、えへへ、私も~、とうれしそうに言った。
 だからさ、今がそういう状況じゃないのかな?
 死んでも一緒にいるって、こういうことでしょ。

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