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掌編 「知的パラサイト」

 それは、人類滅亡の合図だったのかもしれない。
 ある日、あらゆる固定・携帯電話、スマートフォンに、世界同時に着信があった。発信元は不明。ただ、例外なしに、全人類へ着信が入った。
 着信に出た人々は、ことごとく発狂した。運よく、電話に出られなかったか、あるいは、電話を取るのに遅れた人たちは、発狂し、暴徒と化した彼らの姿を見ることになった。
 彼らは、口の端に泡を吹き、唐突に傍らにいる人間を襲った。それは、さながらゾンビ映画のような光景であり、まさに、その比喩の通りの惨状を作り出した。
 全世界的に発生した、民衆の暴徒化は、初め、軍事目的のために開発された人工知能の暴走である、などと解釈され、すなわち、この現象はある種の軍事行動とされた。この時点で、既に、電波を用い、人を操る技術の存在を確信していた、政府関係者の慧眼には感服する。
 着信から一時間、各国の政府は軍隊の派遣を決定し、、暴徒の鎮圧に臨むことになった。
 しかし、人類への攻撃に至った何者かは、軍隊の連絡網にまで侵入し、各地には、治安維持部隊とは名ばかりの、武装化暴徒集団が取り残されることになった。
 幸い、暴徒と化した彼らには共喰いの習性があることが判明し、残存する人類は、逃げる、隠れる、やり過ごすことで、ひとまず彼らの数を減らすことに専念した。
 着信から二週間後、全面的核戦争を想定し、作られたシェルターからはい出した人間たちは、恐るべき光景を目にすることになる。
 何と、彼らは発狂状態から立ち直り、以前と変わらない、社会的生活を再開していたのだった。
 発狂鎮静後の世界では、着信に端を発した事件ということから、発狂の感染性が疑われ、彼らは隔離されることとなった。が、不可解なことに彼らは一切抵抗することなく、隔離施設へ収容された。いや、むしろ、自らすすんで入っていったと言っても過言ではない。
 さて、事態が一旦、落ち着いたことで、今回の事件の原因と発生源、また発狂者たちが、回復したことへの議論が闘わされることになった。
 当時を知る者は、それらの仮説にカンブリア爆発に匹敵するほどの多様性が、存在したことを認めるだろう。
 あるものは荒唐無稽であり、根拠となる定理が新しい発見を無視した、古すぎるもの、また想像力に富んだ、ファンタジーなど、多難であったことは間違いないが、それでも、人類という知性は、ある一つの結論めいたものを提出することができた。
 その仮説はこうだ。
 あの日、着信によって、電話を取った人間はまさに「感染」した。それは、知性を媒介とする、寄生生物に、だ。発狂者や或いはその周囲にいた人物から、あの瞬間、音または言葉に近いものが発せられていた、ということが確認されている。この仮説からは、その音声が寄生生物の以前の宿主である、と類推が成り立つ。多くの証言をまとめると、その声は、鳥のハミングのように聞こえたという。ともかく、着信とそこに流れた音声が、人間が理性を喪失し、発狂する端緒であったことは間違いない。
 だが、それがどこからやってきて、どこへ消えたのか、という説明にはなっていない。事実、その寄生生物は、嵐のように現れ消えて行ったのだから。
 となると、やはり冒頭で説明したように、、社会をかく乱させる目的で、人間を暴徒化させるウィルスが、AIによって開発されたと考えるのが、不安が少ない。もちろん、アマゾンの奥地から未知のウィルスが現代社会に持ち込まれたと考える方が安心するというのなら、そちらでも構わない。どうせ、人類には検証できない事柄なのだから。
 そして、もう一つ。発狂した人間が、どうして、元の状態に戻れたのか、という疑問が残っている。
 それについて、興味深い見解を紹介しよう。ある生物学者が提唱した仮説だ。
 曰く、寄生生物は知性を媒介したが、それは所謂、中間宿主というもので、それはある目的を果たすため、つまり最終宿主へ寄生するための踏み台に過ぎなかった、というのだ。では、最終宿主とは?
 ここで話は少し横道にそれるが、着信以降、世界のインターネット上でやりとりされるテキストの量が、同じ月の前年比で40パーセントの増加を記録した。巷では、誰もが通話を怖がった影響からの増加だと説明されているが、それは実態とは少し違う。
 確かに、全体のテキストの交換量は増えたが、その内訳を見てみると、不思議なことに気が付く。入力されるテキストのほとんどが、ある限定的なグループによるものなのだ。そのグループについて、よく調べると、彼らはいずれも元発狂者であった。
 恐らく、これが結論になるだろう。知性を媒介とした寄生生物の最終宿主は、言語であった。
 ネット上のミームの汚染は激しく、日常的であるために、それらが果たして、寄生生物による影響なのか、ということははかり知ることができない。
 また、言語生命体というものが存在するのかも、いまだ定かではなく、着信そのものが、人類の見た夢だという可能性もなくはない。
 発狂した人間たちが元に戻ったのだから、存在するかも分からない言語に寄生する、寄生生物について考えるのは馬鹿げている、と考える人も少なくないだろう。
 だが、奴らの感染経路を考えた時、決して楽観してもいられなくなる。これは唯物論と唯名論の議論ではないが、しかし思考と言語はどちらが先と言えるだろうか。当然、二つは不可分で、議論は鶏と卵的になる。思考は言語を糧に前進し、言語は思考を礎に地歩を固め、互いは循環し合う。
 では、もう一度、発狂者が発狂から回復に至るまでを復讐しよう。
 まず、彼らは謎の音波(音声か言語か)によって、知性に寄生される。知性を失った人類は発狂し、ゾンビ状態となる。後に、ゾンビ状態は解除され、寄生生物は人間の知性から、言語に宿主を変えるのだが、さて、この抜け殻となった人間の内側で、どのような変革も行われていないなどと考えられるだろうか?
 また、奴らの寄生先である言語を出力するのは、相変わらず、元発狂者たちである以上、そこには必然的に、奴らの影響が表れる。
 彼らの思考は、本当に彼ら自身によるものだと、誰が断言できるというのだろう。
 そして、この文章を書いている私自身も、ミームの汚染を受けていないという保証はない。もちろん、これを読んでいるあなたも。

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