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掌編 「お互い様のカーディガン」

「へっちょ」
 空っぽの体育館に音を響かせたあと、茜は咄嗟に口元を抑えた。
 文化祭実行委員の面々が、不思議そうな顔をして、茜の方に振り返る。口々に、え、今の……? 何、なんかあった? と疑問を呟いた。
 茜は身を小さく縮こめて、すみません、と肩を落とした。
 実行委員たちは、音の主が茜だったことを知ると安心したようで、元の通り、委員長を中心に集まって、再び会議を始めた。
 茜が顔を真っ赤に染めて、委員会の輪の中からはみ出していると、中央にいた一人の男子、めぐるが委員たちの渦から飛び出してきた。
「風邪、引いた?」
 同じクラスとはいえ、茜とめぐるが直接話すことは多くなかった。大抵、めぐるはクラスの中心にいて、引っ込み思案な茜とは、物理的にも、心理的にも距離が遠かった。
「ぁ……大丈夫」
「顔、赤いけど」
「うん、すぐ収まるから」
 茜は、めぐると目も合わせられずにいた。相変わらず、顔を赤くして、俯きながら、めぐると話している。くしゃみを聞かれたのが恥ずかしい、というのももちろんあったが、それ以上に、茜は、めぐるに話しかけられたことにどぎまぎしていた。
 引っ込み思案で人見知りの茜が、文化祭の実行委員などに立候補したのも、めぐるが理由だったからだ。
「収まるまで、これ使ってなよ」
 茜の肩に、ふわりとカーディガンがかけられた。知らない匂いが茜を包んで、彼女は小動物のように、びくっと身体をこわばらせた。
 見ると、めぐるは詰襟の制服のボタンをかけ直している。
「さ、寒くない?」
「全然、平気」
 ありがとう、茜がそう言おうと口を開きかけた時にはもう、めぐるは委員会の中心に戻っていた。
 茜はさっきよりも顔を赤くしながら、カーディガンに袖を通した。が、茜に何か考えがあったわけではない。洋服はしっかり着なくちゃいけない、と幼いころから教えられたとおりに、そう考えただけだ。
 茜は、余った袖をぎゅっと握り、その大きさに少し驚いた。腕をぴんと伸ばしてみて、たるんだカーディガンの袖をたくし上げる。すると、柔軟剤の匂いに混じって、めぐるの香りがふわりと一瞬、ただよった。
「へっちょ」
 めぐるがくしゃみをした。
「何だ、めぐる。風邪か~?」
 仲の良い先輩にからかわれ、めぐるが苦笑いを返す。
「全然、平気ですよ。体育館って、ちょっと埃っぽいじゃないですか」
 茜は、さっきとは別の理由で顔が赤くなっていくのを感じた。委員会の面々が、めぐるを気遣って、体育館の仕事を早く終わらせようと動き出す。
「めぐるくん」
 茜は動き出した集団の中から、めぐるに声をかけ、引き留めた。
「何?」
「あ、あの、さっき言いそびれて」
 茜は、汗が吹き出しそうなくらい、身体が熱くなるのを感じた。
「カーディガン、ありがとう」
 言うと、お腹の底からふわーっと恥ずかしい気持ちが湧いてきて、茜は逃げ出したくなった。目を合わせて、言うつもりだったのも、いつの間にか俯いてしまっている。目頭がほわっと熱を持ち、今度は涙が出そうだった。
「こっちこそ、ありがとう」
 予想外の言葉に、茜はえっと呟いた。
「余計なお世話じゃなくて、ホント良かった。ありがとう」
 結局、茜は、めぐるの照れ笑いから目を逸らし、うん、と小さく呟くのだった。

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