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酒井政秋
2016年7月28日 17:54
原発事故後、対話を通して自分たちは絶望を受け入れるという心の整理とその場を創る器を2012年~2014年まで作ってきた。何度も何度も集まっては、自分の今の心をその場に出して、いろんな角度からその心を多角的に見て、感じてきた。
2016年7月28日 17:47
2011年3月11日、私が住んでいた飯舘村に放射性物質という絶望が降り注いだ。 その時は「生活地帯が放射性物質により汚染され、初期被ばくを浴びた。そして住んでいた土地を離れざるを得ない避難。」 形の見える絶望だった。