涙出るほど感謝している

一昨年の入院中、アウトカムは決して良いものだったとは言えない。

その意見は、今でも変わらない。

ただ、ガッツリ寝たきりで完全介護かつ、咀嚼にも嚥下にも、その他全ての動作が人より長い時間を要した自分でも、完食できるように食事介助をしてくれた。

それに止まらず、持ち込み食まで食べさせてくれた。

しかも、仰臥位で食べるなどというのは誤嚥リスクが有るから、と断る所だってあっただろう。時間がかかるからと、経管栄養を勧めた施設だってあったかもしれない。

それなのに、食べさせてくれた。

清拭の時、息できてないと気がついて、体動を直ぐにせずに待ってくれた。

正直、こっちも慣れても恥ずかしい。尿器を当ててくれたから、導尿せずに済んだ。自分で拭けなくとも、感染しないように丁寧に拭いてくれた。

モニターが頻脈で鳴っていると、直ぐに駆けつけてくれた。

点滴のアラーム音などにも配慮してくれた。

ぶっちゃけ、ここまで深く理解を示して、様々な配慮をしてくれたのは...... もはや、上手く感情を言葉にすらできない。

けど、ありがたすぎて涙は溢れてくる。

ぶっちゃけ、治療も再発して一ヶ月後に初めて寛解導入療法に踏み切った後は、色々頑張ってくれたとも思う。ま、うーん...... 色々はやってくれている。

現在のDPC下においては、かなり手厚かったのだろう。タイミングが違えば、もしかしたら全く違う結果だったかもとすら思う。

色々と思うところもあるが、運が悪かっただけだと思いたい。まぁ、全てひっくるめて人生だからね。タイミングだって、神様が決めていたとしたら、天命だよね。

とりあえずは、ここれまでにとどめておこうか。

ま、何があるか分からないし、今この瞬間に感謝しよう。

そして、

今を大切に生きよう!



















































もっとこうしていれば、ということもあるし、逆にもう再発した時点で早期回復など望まず一、二年休職を決意していれば、あそこまで回復を望まずに......

いや、けど......

傍目で身体診察でSpO2低下するから、診察できていなかったけど...... ただ、外見だけでどんな評価だったか知らないけど、あのままの状況が続いていたら、多分感染症で他の患者達のように死んでたよね?

正直、神がかり的に手厚い看護だったから、あそこまで感染せずにいられたのだと思う。

小さい合併症はちょくちょくあっても、どれも一大事には繋がらなかった。それも、飲水も手伝ってくれ、必ず入室時新しい手袋をはめ、至る所に気を配ってくれた献身的な看護のおかげだと思っている。

医師らも、現在の保険システムの元では法外なほど手厚い治療を試みてくれてはいたのだろう。

同時に、私は多分人工呼吸器装着時のPTSDがあるだろう。当時も手厚くて、非常に真心溢れる看護と医療だった。

それでも、肉体的には死と隣り合わせだ。「朽ちていった命」という本がある。東海地方で起きた原発事故により、致死的被曝をした職員の肉体が生きているうちに腐敗し始め、崩れていった様子が克明に描かれている。

ある意味、私の身体も死のうとしている中、決死の医療と看護で命を繋ぎ止めた上、回復までしたのだ。

どんなに素晴らしい対応であったとしても、肉体的な苦痛が大なり小なりのトラウマにならない方が異常なくらいだろう。

病名によっては、そのトラウマはあって当然なものとして扱われる。

そういう意味で、医師らは私のPTSDの被害者でもあるかもしれない。

多分、DPCでできないとか、今は〇〇で忙しくて、手が回らないとか...... 誠意を持って対応しているけれども、これが自分たちのできる最善かつ限界だと表現してくれたら、捉え方が違ったかもしれない。

最初から、「え、なんでこんな適当なの」とか、「理解できないの?」、と思う状況じゃなければ...... こちらの気分も違ったかもしれない。

「悪くなったら対応します。レスピに乗ったら対応しないわけにいかないでしょ?」と言われて、レスピレーターに乗るまで対応しないつもり? なんてLazyで治療意欲を欠如した医師なのだろう? と呆れなければ......

逆に、「悪くなったら考えます」というのが「分かりません。でも、分からないって言えないっ性格です」という意味だと知っていれば、捉え方が違ったかもしれない。

「たられば」など、考えるだけ時間の無駄だ。

医師らも、手を抜いてやろうと考えていたのではないだろう。精一杯やってあのアウトカムだった。

コミュニケーションもおそらくは、噛み合っていなかった。

というか、最初から「免疫治療をせずに、対症療法だけしても、悪化の谷が深くなり回復までの時間が長くなるだけです。だから、再発早期に治療するのが肝です。」というのをどう言い換えても、帰ってくるのは「維持療法継続」だった。

この時、私はそれ以上意思疎通や説得を諦めてしまった。外来主治医の方が、きっと会話が通じる。

退院して治療した方がいい。

その時間がある。

外来でできる治療で回復の余地がある。

どれも、私の判断ミスかもしれない。

同じ内容でも、言い方によって感じ方は違う。

物腰柔らかな口調と言葉選びができなかった自分にも非がある。

そもそも、患者が人としての権利があって当然だと思っていたのも間違いだったのかもしれない。治療を受けて早期回復を望む権利があるなどと思っていたこと自体も間違いだったのかもしれない。

同時に、患者も人として丁寧に接してもらっている。何か異常がある場合には、それを伝えることを放棄するのも間違っている。

そもそも......

いや、神がかり的に手厚い対応に涙することもあるし、自分にも見直すべき点があると思う。

医師らもシステムに手脚を縛られ、口に竹筒を突っ込まれて、水に沈められたようなシステムの中で、自分たちにできる最大限の医療を提供しようともがいているのだろうか?

皆が必死で精一杯。

提出書類を整理していると、色々思い出す。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。