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人規十七則

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人規十七則 徳を尊ぶ・道を得る・己を修める・心を正す・意を誠にする・知を致す・物を格める・家を斉える・善を行う・仁を成す・天に仕える・私を除く・義を楽しむ・恥を知る・命を立つる・… もっと読む
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人規十七則

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十七、人を治める

一、民衆の共通性として、定収入のあるものは恒心、すなわち落ち着いた善心を持っているが、定収入がないと、恒心がなくなる。もし恒心がなければ、勝手なこと不正なこと、何でもするようになる。そしてそのために罪に陥るや、待っていたとばかり刑に処する。これでは前もって網を張っておいて、かかるのを待っているようなものである。仁者が君主の地位にあるならば、このような政治はできるはずがない。

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十六、礼を尽くす

一、君主が臣下を自分の手足のようにいたわり扱うと、臣下は君主を自分の腹や心のように大切に思う。君主が臣下を飼い犬や馬のように考えて礼敬の心がなければ、臣下も恩義を感じず君主を路傍の人のように思う。また、君主が臣下を土やあくた同然に扱えば、臣下も君主を仇やかたきのように憎みみる。

二、どんなことにも拘泥することなく、心は澄んだ鏡の面のごとくで、あらゆるものに順応する。道をもって

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十五、命を立つる

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一、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではない。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬がある。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。五十歳、百歳にもおのずから四季がある。十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことである。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、

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十四、恥を知る

一、罪は身の上の問題であり、恥は心の上の問題である。身の上の問題の罪は軽く、心の上の問題の恥は重い。自分の畑を放り出して他人の畑の草取りをしたり、自分の欠点は棚に上げて他人の欠点を非難する態度を、「罪」とするのである。それに対し、恥というものは我が心のなかにあるもので、地位と収入を与えられていながら、道義を世に実行することができないならば、まことに恥ずかしいことであって、これが「

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十三、義を楽しむ

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一、人間がはじめてこの世界に生み出された当初から、すでに誰もが平等に仁・義・礼・智といった本性を与えられていた。

ニ、不義不善を恥じ憎む羞悪の心がないのは人ではない。羞悪の心は義の萌芽である。

三、「仁・義・礼・智」は『孟子』で強調される四徳である。朱子はそれを天の理として分け与えられた絶対善としての「性」と考え、その具体的な実現が惻隠(あわれみ)・羞悪(はじ

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十二、私を除く

一、どんなことにも拘泥することなく、心は澄んだ鏡の面のごとくで、あらゆるものに順応する。道をもって交わろうとするならば、その道をよろこんで交わり、礼をもって接しようとするならば、その礼をよろこんで接する。昨日、道や礼がなかったとしても、今日、あるならば、その道や礼をよろこび、昨日の無道や無礼をとがめることなく、明日、無道や無礼をしむけないかと予測することもない。公平弘大の態度であ

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十一、天に仕える

一、天は本来、心を持っていないものであるから、民の心をその心としている。天みずから視たり聴いたりする働きがあるのでなく、民の視たり聴いたりしたことを、みずからのそれとしている。そして人は、天地の気を受けて体とし、天地の理を受けて心としており、これが人の心をそのまま天の心とするということなのである。

ニ、聡明と叡智を備えて、自分の本性を十分に発揮することができれば、天はその人に

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二、道を得る

一、身を修めるには正しい道によるべきである。
朝に正しい真実の道が聞けたら、その晩に死んでもよい。

ニ、天の命令によって、人が先天的に具えるものを性すなわち生まれつきという。人それぞれ天性の自然に従い行うべき道がある。これがすなわち道である。

三、道というものは、いつでもどこにでもあるもので、ほんのしばらくの間も人から離れることのないものである。離れるようなものは、真の道ではな

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一、徳を尊ぶ

一、人の身は、その本質を天からいただいたものである。

二、徳を心のうちに具えている人もあれば、学習してわきまえる人もあり、刻苦精励してはじめてわきまえる人もある。

三、平凡で恒常的な日常の徳を実行すれば、輝かしい徳を身につけて輝かせることができる。
内なる己自身(意念)に徳ができると人の身体もその潤いをうける。

四、人間は仁徳の中に身を置くのがよい。それは誰でもできる。仁の徳

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三、己を修める

一、志を立てて修行につとめるのは、あたかも樹を植えるようなものである。根を生やす段階では、ひたすら土をかけ水を注いでやるだけでよく、枝や葉、花や実のことに思いをはせる必要はない。現実にありもしないものに思いをはせたところで、なんの益もないのである。ただ当面の栽培の努力さえ怠らなければ、枝や葉も、そして花も実も自然についてくる。

二、根源があるものは、流れ去ってもまた流れてきて、

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四、心を正す

一、後悔したことが、いつまでも心に引っかかり、とらわれていたのでは、良知が曇らされ修行の妨げとなる。また、変化する情勢に柔軟に対応することができない。

二、我が身に腹の立つことがあると身の正常を保つことができず、恐れおののくことがあると身の正しさを保つことができず、楽しい好きごころがあると身の正しさを保つことができず、悲しい心配事があると身の正しさを保つことができない。つまり心が

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五、意を誠にする

一、何事でも広く学んで知識を広め、詳しく綿密に質問し、慎重に我が身について考え、明確に分析して判断し、丁寧に行き届いた実行をする。それが誠を実現しようとつとめる人のすることである。

二、誠とは天の働きとしての究極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。誠が身についた人は、努力しなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成

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六、知を致す

一、学んでいないことがあれば、十分になるまで学び、質問していないことがあれば、問いただして理解し、よく考えていないことがあれば、思索して納得し、分析していないことがあれば、分析して明確にし、実行していないことがあれば、十分に行き届くまで実行する。

二、広く詳しく知識を得ても、その眼目を把握しないと、臨機応変な処置がとれない。学問というものは、博識から入り、眼目を把握してその知識を

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七、物を格める

一、我が身の生まれつきの徳性を発揮するとともに、後天的な学習につとめ、広大なところをおし究めるとともに、精緻なところを十分明らかにし、高く光明に満ちたところを追求するとともに、日常的な中庸を守り、前に学んだことを復習するとともに、新しい知識を求め、重厚な誠実を養いながら、礼のきまりを尊重する。

二、広く詳しく知識を得ても、その眼目を把握しないと、臨機応変な処置がとれない。博識か

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