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人規十七則

十五、命を立つる

人規十七則

一、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではない。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬がある。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。五十歳、百歳にもおのずから四季がある。十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことである。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。

二、そもそも、人間は天地の心であって、天地万物はもともと我と一体である。好悪の心を共通にし、自分と同じように他人を見、我が家と同じように国を見、はては天地万物を自分と一体のものとみなす。この基本をおさえていれば、あえて努力をしなくても、天下はおのずからよく治まる。天下の人の心は、すべて自分の心である。世に容れられなくても不満をいだかず、天を楽しみ命を知る者が、どんな境遇におかれても悠々と対処でき、道もあまねく行われるのである。

三、世間では誰も「私が今十年早く生まれていたならば、この仕事を成し遂げたであろう、この技術を身につけていたであろう」というが、悔いても仕方がない繰り言である。悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術を試すべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。「思い立ったが吉日」である。

四、内面的な良心の安らかな満足を外に発して、何らかの意味において世のため、人のために自己を献ずる。内面的には自ら靖んじ、これを発しては世のため人のために尽くす。これがなくては人間ではない。

五、人間は皆職業を持っている。職業に二つの意味があり、一つは、生活を営む手段とすることである。これは誰しも免れない条件ではあるが、それだけでは尊い意味はない。職業の大切なことは、職業である仕事を通じて何らかの意味において世のため、人のためになるということである。これがあることで職業は神聖であるということができる。これによって進歩がある。


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