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過去を封印すると決めた夜

私の人生に多大なる悪影響を与えたふたりの人物。

ひとりは元旦那。

そしてもうひとりは実の兄である。

そんなふたりの衝撃的な事実が次々と判明し、この2ヶ月ほどの間、私の心はずっと穏やかではなかった。

今日は自分自身の心の整理をするためにも、その話を書きたいと思う。

離婚の原因

私は36歳の時に離婚をした。
子供は3人。
末っ子はまだ6歳だった。

理由は夫の身勝手な行動。

夫の浮気相手は同じ会社の部下。

一度目の浮気は平謝りだったが、二度目のそれは中身が全く違うものであった。

私が証拠を突き出した時、彼はあっさり認め、謝るどころか開き直り、そして耳を疑いたくなることを私に言い放った。

「浮気ではない、本気だ」

それでも私は相手にしなかった。

3人の子供達のため耐え抜く覚悟を決めた。

仮面夫婦として生きていくことに決めたのだ。

しかし、さらに私の沸点を超えてしまう出来事が発覚。

隠れて借金をしていたこと。
それを返済するため、生命保険を勝手に解約されたことだった。

もうこれは手の施しようがない。
このままだと絶対私も子供達も不幸になる。

そう思い、私はそこでようやく別れる決心をした。

弁護士を介さないといけなくなるほどの修羅場を乗り越え、なんとか子供達の親権と、夫と相手から慰謝料を、さらに末っ子が大学を卒業するまでの養育費を勝ち取った。

その見返りに、学校行事への参加、月に一度の子供達との面会を条件として提示。

子供達の父親は彼ひとり。
そのたったひとりの父親と親しくすることは子供達の権利でもあるので、弁護士から提案された時もそれを拒むことはしなかった。

子供達がイヤな想いをしないよう、離婚の原因もずっとずっと伏せていた。

だから子供達は父親と笑顔で会えていた。

子供達の父親として

財産分与で家族皆んなで住んでいた家は元旦那のものになり、隣に彼の両親も住んでいたため、私としては他所の土地へ行きたい気持ちはあったが、子供達を転校させるのがやっぱり可哀想で、同じA市内に家を借りて母と共に5人で住み始めた。

末っ子の次女はよく元旦那と買い物へ出掛け、真ん中の息子は男同士ということもあり、よく連絡を取り合っていた。

月日が経ち、長女が結婚。

真ん中の息子が自分の式には父親も呼びたいと話し、長女はその意見を尊重し、自分も父親を招待した。

長女とバージンロードを歩き、私の隣で新婦の両親として肩を並べた。

そしてしばらくして長男が結婚。

新郎の父親として参列し、式の最後には挨拶もした。

ふたりに式に呼んで貰ったことを彼は心から喜んでいた。

そりゃそうだ。

それもこれも、私のおかげだと思って欲しかった。

一度も父親の悪口を言ってこなかった私のおかげだと。

衝撃の事実

長女にはふたりの子が、そして長男にはひとりの子が誕生。

末っ子の次女は、長女の近くで彼氏と暮らすようになった。

長男は勤務先が近いこともあり同じA市内に家を買った。

別れて18年。

元旦那は海外赴任しており、しばらく日本には居なかった。

私は心を患い退職。
昨年、娘達の住むB市に高齢の母と共に引っ越してきた。

息子家族だけがA市に残った形となった。

息子のお嫁ちゃんが2人目を妊娠し、つわりがひどく、私が孫の面倒や家事を手伝うため、息子の家に通うようになった。

その息子がある日突然、私にこんな事を言ってきた。

「○月△日、こっちには来ないほうがいいかも」

理由を聞くと、どうやら元旦那が日本に帰ってきているらしく、住んでいた家もリフォームし、その日引越し作業をするため息子の家の駐車場を貸してほしいと言ってると。

しかも再婚していて、相手も一緒らしいからと。

鉢合わせするかも知れないから、来ない方が良いと息子が私に教えてくれたのだ。

更なる衝撃

どうやら息子は元旦那が再婚していたことは前々から知っていて、その相手にも会ったことがあり、お嫁ちゃんや孫もチラッとだけだが会わせたこともあったらしい。

そのことを私には言いにくかったらしく、今回鉢合わせしないよう気を遣って打ち明けてくれたのだった。

私は息子に思わず聞いた。

「相手は幾つぐらいの人だった?」

「親父と同じか、ちょっと若いぐらいかなー。同じ会社の人らしいよ」

その一言で私は『もしかして…』とピンときてしまった。

「ねぇ、お母さんの離婚した理由って薄々気付いてるよね?」

「んー気付いてるよ」

「もしかしたらその人、その時の相手かも…」

息子は『まさかー』と言いながらも、元旦那に確認。

すると私の勘が当たり、あっさり『そうです』と認めたという。

別れた夫が実は20年近くも前に発覚した浮気相手と未だに続いていたということが、ここにきて判明したのだ。

ショックと憤り

離婚後、元旦那も含め、家族旅行に出かけたことがあった。

それまでろくに旅行にも連れて行ってあげられなかったので、子供達に楽しい思い出を作ってあげたかったからだ。

金銭的にも余裕がなかったので、半分出してもらうのを条件に一緒にTDLに行ったのだ。

部屋は家族部屋。
子供達が寝静まった夜。

よっぽど嬉しかったのだろう。
彼はひとり晩酌を始めたが、そこまで気を許していなかった私は、子供達の横で寝たふりをしていた。

するとお酒の入った彼は、ちんたらちんたら謝罪の言葉を私に話しかけてきた。

「皆んなで旅行できて嬉しいよ。誘ってくれて感謝している。オレは後悔してるんだよ。本当に悪かったと思ってる…。あの頃に戻りたいよ…」

あの言葉は全部嘘だったんですか?

私はあの時のあの言葉で、ほんの少しだけど救われたんだよ。

あれだけ傷付けられて、子供は置いていけ、お前ひとりで出て行けと言われ、ボロボロになりながら、弁護士さんに涙ながらに訴え助けてもらい、やっとのことで離婚できて、それでも傷付いた心はボロボロのままだった。

だからあの謝罪の言葉を聞いた時が、ようやく少しずつでも許していこうと思えた瞬間だったのだ。

あれもつい口から出た〝出任せ〟であったとしたなら、私の記憶からあなたという存在を抹消したい。
その時本気でそう思った。

過去を全て子供達に伝えた

そしてとうとうこの〝note〟の存在を子供達に伝える時がきた。

そもそもこの〝note〟を始めるきっかけが〝自伝〟を書きたいという想いだった。

過去に何があったのか、私がどんな人生を送ってきたのかを、自身が乳がんになり〝死〟を意識し始めた時に、子供達に知っておいて欲しいと思ったのだ。

自伝は書き終えていたが、なかなか子供達に打ち明ける機会もなくそのままにしていた私。

しかしこの事が分かった今がその時だと思い、3人に私の〝note〟を読んでもらった。

元旦那と何があったのか、どんな思いをして離婚を決めたのか、全てそこには書かれてある。

子供達はそれぞれ薄々気付いてはいたかも知れないが、きっとその内容は想像以上にひどいものだったと思う。

そして両親が別れる理由となったその浮気相手に、平気でお嫁ちゃんや孫にも会わせていた父親の神経に、息子は『信じられない』と言った。

何も打ち明けないまま仲良くしようとしている神経がおかしいし、普通にニコニコと接していたふたりが怖いと。

そう思うのも当然だ。

少なくとも子供達はその相手の存在によって人生を狂わされたのだから。

片親という現実に、良いことなんてひとつもなかったと思う。

次女の怒りが収まらない

私の自伝を読み、そしてその浮気相手と父親が再婚をしたという事実に一番憤りを感じていたのが末っ子の次女だった。

3人の中で一番元旦那が可愛がっていたと思うのがこの娘。

別れてからも一緒に買い物へ行ったりして、文句を言いながらもそれなりに親子として仲良くしていたように思う。

しかし、その相手とずっと繋がっていたとなれば話が変わる。

次女は私に言った。
ふたりに謝ってもらうと。
そうしないと気が収まらないと。

そんなことをしても次女が傷付くだけのような気がして、私はやめるよう言ったが、娘はそうしないと一生後悔すると言った。

でもこれだけは忘れないでと私は次女に言った。
あんな父親だけど、お母さんは慰謝料を貰ったし養育費もずっと払ってもらえていた。
だからこそこれまで生活が出来ていたのも事実。
父親はそれが償いであると思っているかも知れない。
償いはもう十分にしたと。
そう言われるかも知れない。
それに、もしかしたら相手も逆ギレしてお母さんの悪口を言うかも知れない。
それでもあなたは耐えられるの?

どの道後悔はすると思う。
でもこのまま会わないほうが絶対後悔する。
次女の気持ちは固かった。

それから次女が父親にLINEで連絡。
案の定、そんなことしてなんの意味があるのかと断られ、それでも次女は諦めなかった。

そしてしばらく返事が返ってこない中、ある日着信拒否をされていることに次女が気付き、彼女の怒りが沸点を超えてしまった。

そう、昔の私のように。

親子の縁が切れた日

「もうこうなったら突撃するしかない」

そう言う次女に『行くならオレが一緒に行くよ』と息子が言ってくれた。

息子もまた、しっかりけじめをつけたいと話した。

娘と息子は、かつて家族で住んでいた家にふたりで向かった。

私は最寄りの駅まで着いて行き、駅前のカフェで待つことにした。

心配で心配で仕方なかった。
戦場に子供達を送り出す気分。
何かあれば私も乗り込んでいく覚悟でいた。

元旦那、浮気相手でもある現在の奥さん、息子、次女。4人で話をした。

結果、謝罪の意思は全く伝わらなかったらしい。

父親は終始ヘラヘラとした態度、相手もよく分からないことを口にしていたと。

「『私は面と向かって一度も謝ってもらったことがない』母がそう言っていたけど、そうなんですか?」

「え〜そうだったかなぁ」

元旦那にしても、その相手にしても、それは遠い遠い過去の話。

記憶にも残っていないということだ。

泣きじゃくる妹の代わりに、息子はかなり父親に向かってきつい言葉を投げかけてくれたらしい。

自分も騙されていた身であるのだから仕方ない。

でも、話にならなかったという。

「親子の縁を切らせてもらいます。もちろん結婚式にも呼びません。さようなら」

娘は言いたい事を全部言ってきたと、私に話してくれた。

10個上の兄は親不孝者

ここからは私の兄の話を。

私には10歳上の兄、6歳上の姉がいた。

兄は高校在学中に不登校を繰り返し、家出。
行方知らずに。

ふっと帰ってきたかと思えば結婚したと言い、彼女のお腹の中には子供もいた。

しかし仕事が長続きしない兄はその頃から母を頼るように。

それから父親が病気になり、働けない体になった。

代わりに母親が朝から夜中まで働き、生計を立てていた。

そんな状況でも兄は母からお金をむしり取っていった。
私や姉の知らないところで。

姉が19で結婚し家を出てからは、私は常にひとりだった。

そして父親が他界。

その頃も兄はまた行方知らずの状態で、父の葬式にも出ることはなかった。

息子にお金を渡す母親

それから兄は妻に愛想を尽かされ、離婚し子供も手放すことに。

それでも改心せず、相変わらず仕事も長続きせず、母親に頼ることを続けた。

いい大人が母親のスネをかじる。
そんな兄のことが理解できず、またそれに応える母のことも理解できなかった。

自分も社会人として働くようになり、見かねた私は母を諭すようになった。

どんどんエスカレートしていき、このままではいけないと思い、一度兄を家に呼んで泣きながら『もうやめてほしい』と訴えたこともあった。

「妹の分際でなにを偉そうに」

そう上から言われたのを今でもしっかり覚えている。

一円たりとも家にお金を入れなかった兄。
母親から借りるという名目で、全て奪い取っていた兄。

私は給料から毎月生活費を入れ、ボーナスでは母に旅行までプレゼントし、成人式の振袖も自腹で買った。

そんな私は偉くないのか?
少なくともあなたよりかは偉いだろうよ。

しかしそれからも母は私に隠れてコソコソお金を兄に渡していたのだ。
借金をしてまで。

名字が変わった兄

私の中で兄はもはや兄ではなかった。

しかし母からすればどんな兄でも息子だった。

兄は闇金から借金を繰り返すようになり、保証人に母の名前を書き、うちにも取り立てが来るようになった。

そんな中、兄が再婚したという話を母から聞いた。

借金取りから逃げるため、婿養子に入り名前を変えたと。

悪知恵だけは働く人だった。

相手は13も歳上らしい。

その頃私は結婚し、子供も生まれており、自分の生活でいっぱいいっぱいだった。

母親がその間兄とどれだけお金のやり取りをしていたか分からないが、口では『親子の縁を切った』と言っていても、実際は切れていないことは私は知っていた。

姉が他界

兄とは音沙汰のないまま月日が経ち、仲の良かった姉に乳がんがみつかり、8年の闘病生活を続けるも良くならず他界した。

姉の葬式にひょっこり現れた兄。

その時たまたま羽振りが良かったのか、名刺をここぞとばかりに『亡くなった○○の兄です』と周りに振りまいていた兄。

涙も見せずむしろ生き生きしているようなその姿が私には無性に滑稽に映り、なんで大嫌いな兄が生きていて、大好きだった姉が死ななくてはいけなかったのかと、神様を恨んだのを覚えている。

姉の死を受け入れることが出来ず、ずっと泣いていた私は、その日のことをあまり覚えていない。

兄と交わした言葉があったのかも。
どのくらい兄がそこに居たのかも。

しかし、その時兄が名刺を配っていた姿だけが目に焼き付いて今でも離れない。

兄と顔を合わせたのは、後にも先にもそれが最後だった。

勝手に死ぬな

姉が亡くなってから今年で13年。

母の携帯電話に知らない番号からの着信があったのが先月のこと。

90にもなった高齢の母に、登録していない番号からかかってきても絶対に出ないでと教えていた。

するとその日、留守電にメッセージが入り、母がトイレに行ってる間に何気なく聞くと、どうやら兄の奥さんらしき人からだった。

「肺癌で治療してましたが、亡くなりました。妹さんとお話がしたいと思い、連絡させていただきました」

亡くなった?兄が?

驚きはしたが、それ以上にその後私を襲ったのは、その奥さんが私と話しをしたいと言うその目的に対する不安だった。

もしかしてお金をまた請求される?
その不安が一番大きかった。

しかし私はその時ワクチンを打ったばかり。
とても折り返すことは出来る状況ではなく、結局モヤモヤしたまま副反応でしばらく寝込み、まだ微熱があったが気になり過ぎてその後連絡。

兄の奥さんとは、顔も知らないし話したことさえなかった。

もう77歳にもなっているその奥さんは、割と元気そうな声で兄の死に至るまでの経緯をひたすら話し続けた。

お金を請求されることもなく、厄介な相談事もされず、ただお話したかった、連絡をくださり嬉しかったと話し、電話を切った。

話すこと1時間。

その電話で、兄は最後の最後まで最低な男だったことが判明した。

収入はほぼ無し。
奥さんの年金で生活していたという。
家で暴れることもしょっちゅう。
時には暴力もあったという。

改心なんて出来るわけがなかった。

昔からずっと何かにつけて人のせいにしていたと。

母親からお金を奪っていたのも、『渡す母親が悪い』と常日頃言っていたという。

私は妙に納得がいった。
そりゃそうだよね。

自分が少しでも悪いと思っていたら、一度でもお金を持って謝りに来るはずだった。

結局兄は64まで生きてきて、一度たりとも母や私に謝罪の言葉を言わず勝手に死んでいったのだ。

母の反応

そして昨日、その事実を母に伝えた。

見届け人として次女に家に来てもらい、先に嫌な事を伝え、その後に敬老の日のプレゼントを渡そうとふたりで決めていた。

母の反応は意外なものだった。

兄が亡くなったと伝えると、手を叩いて喜んだのだ。

そしてその後涙した。

それが悲しみからくるものなのか、悔しさからくるものなのかは分からない。

しかし口から出た言葉は、兄に対するこれまでの文句や愚痴ばかりだった。

私は兄の奥さんとの電話を終えた後、ひたすら話された内容を忘れないようメモに全て書き写していた。

私が聞いたこと全て母に伝えたかった。

それが使命だと思ったから。

娘と息子に先立たれた90の母。
私も同じ母親として、それがどんなに辛いことかは分かっているつもりだ。

3人の中で残ったのはとうとう私だけ。

いや、姉が亡くなった時点で私だけという意識は強かったが、真正面から兄の死を受けて、つくづく私だけという想いが沸々と湧いてきている。

私としては、なんの謝罪もなく何勝手に死んでんの?!と憤りを覚えるが、母はどうなんだろうか。

同じ気持ちかも知れないが、手を叩いて喜んだその裏側には、もしかしたら私には無いとてつもない悲しみがあるのかも知れない。

側にいる女の存在

最後まで謝罪の言葉を言わなかったふたり。

元旦那と実の兄。

ふたりの共通点はなにかを考えてみた。

それは〝すぐ側で甘やかしている女〟だ。

そんな女が側に居なければ、もしもひとりぼっちで生きていれば、もっと最悪などん底の人生が待っていたのかも知れない。

ひょっとすると、その時に自分の過ちに気付いたかも知れない。

甘やかされるから調子に乗る。

それがふたりの共通点だ。

かつて愛人だった元旦那の妻は、ここにきてようやく妻の座についたという。

世間体を気にする元旦那の両親が、養育費を払い終わるまで籍を入れることは許さなかったらしい。

長い海外赴任の間も日本で帰りをひとり待ち、これまで独身を貫き、子供を諦め、ひとりの男の側にただひたすら居た女。

そして大した仕事も出来ず、お金もないのに色んなものを勝手に買い漁り借金まみれになり、暴力もふるう最低男の兄。
そんな男と30年も縁を切らなかった兄嫁。

ある人はそんな彼女たちを『健気で立派だ』と言うかも知れない。

でも私にはそんな彼女たちを理解することは全くもって不可能だ。

人を騙し悲しませた先に幸せなど存在しない。

あってたまるものか。

あるのはそれなりの報いである。

良いことをすれば良いことが。
悪いことをすればそれなりのしっぺ返しが。

そう私は信じている。

さいごに

この記事を書き始めるまで、気持ちの部分で随分時間がかかったが、ようやく書き終えることができ一安心している。

私はこの記事をUPすることにより、これまでのふたりへの想いを封印しようと思う。

忘れることは不可能だが、これで一旦過去を封印し、未来へ向かって進みたいと思っている。

そういう意味でも、このふたりのことは書き残したいと思った。

72回にも及ぶ自伝は全て消した。

子供達全員に読んでもらえたので、もう残しておく必要はない。

思い残すことはない、と言うべきか。

これでひとつ、いやふたつ区切りがついた。

長い長い呪縛から解き放たれた気分だ。

結婚式に父親が居ないとなった途端、次女が私に再婚をほのめかしてきた。

バージンロードをひとりで歩くのは寂しすぎると言うのだ。

間に合うのか、私?!

いやいやそんな簡単なことではないと笑いながらも、プチダイエットを始めた私。

娘のためにではなく、誰でもない自分のために。

明るい未来に向かって少しずつ進んで行きたい。

人生はまだまだ続く!

私は絶対今よりも幸せになってみせる!!




長い長い文章を、最後までお読みいただき有難うございました♪

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)

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