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無下にされたら無力感を抱くのは当然って話~気づいて!~

これは、私が成人して世の中的には十分「大人」だと認められるような年齢で起こった出来事です。ひどい絶望感に陥ったその出来事から思ったことを、今日は綴りたいと思います。子どもに対する親からの反応が、子どもの感覚、感情の育成や自己理解、自己受容にどれだけ大事か、ということを実感するお話です。心理学の領域では、親子関係が大事だと色々な角度から言われていますが、これは私が実際に実感していることです。子どもの立場から感じる、「自分が求めた反応を親からもらえない子どもが、どれだけ苦しむか」を知って参考にしてもらえたらなと思います。なお、子ども側の性格や考え方、状況など色々な要素によっては、全然違った受け止めをすることもありますので、あくまでも私の場合の話です。その気持ち分かる、という人が1人でもいてくれたらなと思います。

私が一人暮らしをしている部屋に父母が遊びに来た時のことです。私の外出中に母が料理をしてくれていたのは良かったんですが、帰宅してみると、私のお気に入りだった木製のスプーンが折れてたんです(それなりに値段もして、それでもデザインがとても気に入ったので思い切って購入したスプーンでした)。折れているスプーンを見てショックでしたが、折れてしまったものは仕方ない。何で折れたか知りたいと思い、「何で折れたの?」と尋ねました。母はその時、何と言ったと思いますか?

「まあ、いいわ」

の一言でした。え??え~っ??

私が「いいわ、じゃなくて、何で折れたん?」と聞き出そうとしても照れ笑い?(多分、自分の失態を隠したかった)をしながら「まあ、いいわ」を繰り返すばかり。結局、理由は教えてくれず終いでした。悪気なくです。
言っておくと、母は別にひどい言葉(例えば「お前なんか〇〇だ」とか「うるさい」とか)を子どもに投げかける人ではなく、表面上は穏やかな人です。でもこの時私は、「ああ、まただ・・・」と絶望の淵に落とされたのでした。

何を大げさな、と言われるかもしれません。でも、私にとっては子どもの頃から繰り返されてきた反応です。この「まあ、いいわ」って、ひどいと思いませんか?子どもが大事にしていたものを壊してしまったんですよ。せめて「ごめんね、大事なスプーンを折ってしまって」という謝りの言葉があってもいいですよね(でも、その時の私には「謝って欲しい」という発想すら浮かばなかった)。それに、私の大事なものが何でこんなことになってしまったのか、その経緯を知る権利が私にはあると思うんです(その権利にも、その時点では気づかなかったんですが)。経緯を聞いて納得するのか、腹が立つのか分かりませんが、何でそんなことになったのかすら教えてもらえない隔靴搔痒感。当時の私は、「謝って欲しい」「理由、経緯を教えて欲しい」という要求がことごとく踏みにじられ、母から無下にされた、という思いでいっぱいでした。

そして、こんな感じに「何を言っても自分の思った反応がもらえない」ことが子どもの頃から繰り返されると、「私は、自分の感情・感覚・要求を叶えてもらう・受け止めてもらうような価値のない人間なんだ」という感覚が根付いてしまうんですよね。恐ろしい・・・。

このスプーン事件の時、私は母に対して、「謝ってよ」とも「せめてちゃんと説明してよ」とも言えませんでした。そうです。私は自分で自分の要求を大事なものとして守ることができなかったんです。そこには、無力感があるだけ。謝ってもらうことも、理由を教えてもらうこともなく、この件はうやむやのまま幕を閉じたのでした。

こんな昔の小さな事件、ほじくり返して何になる?もう大人なんだから、そんな小さいこと言ってないで、自分で何とかしなさいよ。って言われることも十分分かっています。もちろん、私自身、自己分析したり、周りの人間関係に助けられたり、色々な体験、経験を通して、少しずつその無力感から脱してきて、ある程度自分の親子関係を客観的に見たり、良い距離感でつきあえるようになりました。(すごい努力と時間が必要でしたが)

この話は、母を責めたくて書いているんではありません。そうではなく、親がほぼ自分にとっての全世界である小さな子どもにとって(子どもの心の土台ができる時期に)、親が自分の感情、感覚、要求をちゃんと聞き取って反応を返してくれることが、いかに大事なのかを「子どもの側」にいる人に伝えたいんです。一番身近で信頼すべき立場の親が、自分(子ども)の感情、感覚、要求を受け止めて反応を返してくれないと、子どもは無力感に苦しみます。そして、無力感を感じる自分はダメな存在なんだと感じます。それが、成人になっても続いてしまうことだってあるんです。

もし、そんな事態に陥っている人がいたら、「そんなことされ続けたら、苦しんで当然なんだよ、無力感を感じるのは自然なことだよ」と伝えたい。何でかって?こうやって育ってきた子ども(大人になっていても)は、「私の要求なんて聞いてもらえなくて当然」という感覚が根付いていて、そう思っていることにすら気づかず過ごしてしまうことがあるからです。そうなるともう、負のループです。

誰でも自分の感情、感覚、要求をちゃんと受け止めてもらう権利、反応をもらう権利があるんです!無力感を感じていることにすら気づいていない人には、気づいて欲しい。気づくのはつらいかもしれませんが、まずはそこが大切なスタートライン。大人になった自分がそれに気づいて、自分の感情、感覚、要求は「これでいいんだ」と当たり前のものとして受け入れて欲しいんです。そして、自分以外の人から自分の感情、感覚、欲求を受け止めてもらい、反応を返してもらうのは、正当な権利だと気づいてその権利をしっかり使って欲しいと思います。

私は、「いつまでもそんなこと言ってないで。大人なんだから、自分で何とかしなさい」という立場からではなく、子どもの側のこの苦しみを忘れない立場で、この苦しみを知っている側に片足をつっこんで、そうした苦しみから立ち上がろうとしている人たちを応援したいと思っています。ちょっと抽象的な文章になってしまいましたが、今後も具体的エピソードを交えながら語れたらと思います。

おわり





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