連載:「視野を広げる新書」【第26回】『ダーウィンの呪い』
2023年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。
現在、毎月100冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの教養が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!
進化論の3つの「呪い」
一般に「科学」の最大の特徴は時間的な「更新性」である。科学者は、最新データに基づいて研究を進め、最先端の科学理論は常に更新されている。パソコンのソフトが不具合を修正しながらバージョンアップしていくように、科学理論も日々刻々とバージョンアップを遂げていると考えればわかりやすいだろう。
したがって、過去の科学理論は、現代科学においては意味をなさないことが多い。たとえば、現代の宇宙物理学を理解するために最も適切な方法は、宇宙望遠鏡の観測データを含むような理論に基づく最新版のテキストで学ぶことである。科学史上の業績として振り返る場合を除けば、プトレマイオスの天動説やユークリッドの『原論』などに遡さかのぼって、出発点から研究を始める必要はない。
科学以外の学問分野では、このような更新性は、ほとんど見られない。たとえば芸術分野を考えてみると、時間的に「新しい」ことが理由で作品が高く評価されることはない。モダン・ジャズがモーツアルトよりも優れた音楽であるとは限らないし、ピカソがゴッホよりも優れた絵画だと断定できるわけでもない。芸術作品そのものの評価は、時間的前後とは無関係に行われるのが普通である。
哲学者カール・ポパーの「進化論的科学論」によれば、環境に適応できない生物が自然淘汰されるのと同じように、古い科学理論は観測や実験データによって排除されなければならない。今日の科学における諸概念も時間の経過とともに古くなっていく。科学の世界では、常に最新バージョンが求められているわけである。科学者の仕事は、問題を解決するために仮説を立て、その仮説を批判的にテストすることによって誤りを排除し、その過程で生じる新たな問題に取り組むことである。ポパーは、この「批判的思考」の実践によって、科学が真理へ接近していくと考えた。「新しい」科学は「古い」科学よりも多くの批判に耐えうるものであり、その意味で科学は「進化」するとみなされるのである。
さて、科学哲学の世界では「進化論的」という言葉をよく目にする。ポパーの進化論的科学論をはじめ「進化論的認識論」「進化論的社会論」「進化論的倫理学」など、「進化論的アプローチ」は何年かおきに流行する人気の手法である。しかし、クーンやファイヤアーベントが批判したように、現実の科学はポパーの進化論的科学論が規定するほど理想的に「進化」してきたわけではない(科学論の変遷は拙著『理性の限界』(講談社現代新書)をご参照いただきたい)。
そもそも「生物が自然淘汰されるように」という言葉は「比喩表現」である点に注意が必要である。この種の表現は、文科省の「教育進化のための改革ビジョン」や企業の「進化に適応できない会社は淘汰される」などでも、お馴染みである。本書の著者・千ち葉ば聡さとし氏によれば、その背後にあるのは、①「進歩せよ」を意味する「進化せよ」、②「生き残りたければ、努力して闘いに勝て」を指す「生存闘争と適者生存」、③「これは自然の事実から導かれた人間社会も支配する規範だから、絶対に正しい」を示す「ダーウィンが言ったから」である。
本書で最も驚かされたのは、千葉氏がその3つを「進化の呪い」「闘争の呪い」「ダーウィンの呪い」という過激な言葉で名付けている点である。進化の呪いは「優生学」と結びついてきた。優秀な競走馬を生み出すように、優秀な男女に子どもを産ませ、優秀でなければ断種するというナチス・ドイツの発想は、実はプラトンにまで遡ることができる。「闘争の呪い」は、誰にも文句を言わせずに学生や社員を競わせるのに便利である。「ダーウィンが言ったから」は、どんな主張にも謎の説得力を持たせられる。本書は、膨大な原典文献から「呪い」の歴史的真実に迫り、人類の未来を見渡そうとする。すばらしい労作である!
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