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連載:「視野を広げる新書」【第3回】『J・S・ミル』

2023年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?

★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

現在、毎月100冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの教養が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!

「許される自由」と「許されない自由」

近代の快楽主義すなわち「功利主義」の創始者として知られるのがイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムである。1789年、41歳のベンサムは『道徳および立法の諸原理序説』において、社会全体の「幸福」を個人の「快楽」の総計だとみなした。そして、一人より二人、二人より三人と、より多くの個人が、より多くの快楽を得ることのできる社会を目指すべきであり、その「最大多数の最大幸福」こそが、宗教的権威に代わる新しい道徳だと考えたのである。

功利主義に感銘を受け、ベンサムと出会った瞬間に意気投合したのが、25歳年下のジェームズ・ミルである。彼は靴職人の息子だが、少年期から非凡な能力を示し、それを見込んだジョン・スチュアート卿の援助のおかげでエジンバラ大学を卒業した。その後、東インド会社に勤務して大著『英領インド史』を上梓している。彼はベンサムと「哲学的急進派」という研究集団を創設した。

1806年5月20日、ジェームズは誕生した長男を「ジョン・スチュアート・ミル」と名付けた。この名前は恩人にあやかったものである。彼はベンサムと相談して、息子に英才教育を施すことにした。ミルが3歳になるとギリシャ語を教え、ヘロドトスの歴史書やプラトンの哲学書を読ませた。8歳になるとラテン語と数学と科学を教え、弟と妹の家庭教師も務めさせた。11歳のミルは、当時発行されたばかりの難解な『経済学と租税の原理』を読解できた。14歳から15歳にかけては、ベンサムの弟一家が暮らす南フランスで過ごした。

結果的に、ミルは一度も学校教育を受けず、あらゆる初等教育を父親とベンサムの関係者から受けた。「早熟の天才」ミルは、16歳で最初の論文を発表し、「功利主義者協会」という研究会を主宰した。父の跡を継いで東インド会社に就職し、オックスフォード大学やケンブリッジ大学から教授職を提供されたが断っている。下院議員として最初に婦人参政権を主張したことでも知られる。

本書の著者・関口正司氏は、ミルの人生を丹念に追跡しながら、彼の主要著書『自由論』(1859年)と『代議制統治論』(1861年)と『功利主義』(1861年)に焦点を当てて、その内容を分析する。とくに、ミルの思想がどのように現代の「自由」と「政治」と「幸福」に繋がるのかという視点が興味深い。

ミルが『自由論』で初めて明確に述べた権利が「自己決定権」である。これは①自己責任能力のある個人が、②自己の所有にある対象について、③他者に迷惑を掛けない限り、④たとえそれが自己に不利益をもたらすことであっても(愚行権)、⑤自由に決定することができる(自由原理)という権利である。ただし、この「自己決定権」は、どのような状況でも成立するわけではない。

たとえば、公的な討論をする際に何を発言しても自由とは認められない。ミルは「詭弁の使用」や「事実と論点の隠蔽」あるいは「議論の要点をはぐらかすこと」や「自分への反論を歪曲すること」を痛烈に批判する。また商取引の自由を認めるとはいえ、混ぜ物で商品の品質を下げるような行為も認められない。労働者を保護しない労働契約を規制や処罰の対象とみなすなど、むしろいかなるケースで無制限の自由が許されないかに対するミルの「先見の明」がよくわかる。

本書で最も驚かされたのは、自分は一度も義務教育を受けたことのないミルが、義務教育の必要性を説いていることである。ともすれば自分の子どもの教育をどうするかは親の自由だと思われがちだが、ミルは国家が国民に一定の教育水準を求めるのは当然であり、親がその義務を果たさなければ、国家による強制措置も許されると主張する。改めて「自由」の意味を考えさせられる!

本書のハイライト

あり余るほど多い権力濫用の実例を直視すれば、恣意的な支配を許さず自他の自由を確保するには、統治権力の統制への積極的な関与が欠かせないことは明らかである。この認識が、「自由な統治」という逆説にも聞こえるようなミルの言葉には込められている。重要なのは、自由の概念上の区別よりも、この言葉の意味を深く理解することである。あらためてミルの議論と向かい合う中で、筆者はそのことをつくづく得心したのである。


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