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連載:「新書こそが教養!」【第93回】『ゲノムの子』

2020年10月1日より、「note光文社新書」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?

★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、哲学者・高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

現在、毎月200冊以上の「新書」が発行されているが、玉石混交の「新刊」の中から、何を選べばよいのか? どれがおもしろいのか? どの新書を読めば、しっかりと自分の頭で考えて自力で判断するだけの「教養」が身に付くのか? 厳選に厳選を重ねて紹介していくつもりである。乞うご期待!

「生命倫理」の意味が問われている

1978年7月25日、世界最初の「試験管ベビー」が誕生した。妻の卵管異常による不妊治療の最終手段として、医師が顕微鏡上で夫の精子と妻の卵子を受精させた後、妻の子宮内に直接注入し、無事に女児を出産したのである。両親に命名を頼まれた医師は、誕生したルイーズ・ブラウンに「世界中の人々と喜びを分かち合う」という意味で「Joy(喜び)」というミドルネームを与えた。現在の彼女は、ブリストル郵便局に勤務し、2人の息子を儲けている。

この「体外受精技術」を確立したケンブリッジ大学名誉教授ロバート・エドワーズは、その業績により2010年にノーベル医学生理学賞を受賞した。その後、彼の技術によって誕生した体外受精児は、世界で700万人から800万人に達するといわれる。この技術は、不妊治療に飛躍的な進歩をもたらす一方で、かつて誰も想定しなかった新たな「生命倫理」の問題を生じさせている。

1988年、イタリアで、離婚経験のある48歳の女性が再婚した。彼女は、新たな夫との間に子供が欲しかったが、子宮障害によって出産は不可能だった。そこで彼女は、前の夫との間に生まれた当時20歳の実娘に「代理出産」を頼んだ。彼女は、自分の卵子と新しい夫の精子を体外受精させ、この受精卵を自分の実娘に移植して代理出産させたわけである。この実娘は、遺伝上は「自分の異父兄弟(姉妹)」を出産したことになる(拙著『哲学ディベート』参照)。

その後イタリアでは、夫が凍結保存していた亡き妻の卵子と自分の精子を体外受精させて、この受精卵を自分の実妹に移植して、代理出産させた事例も明らかになった。この実妹は、遺伝上は「自分の(亡き兄嫁の)甥(姪)」を出産したことになる。これらの事例は、カトリック教徒の多いイタリアで「神を冒涜する行為」とみなされ、強い批判を浴びた。今ではイタリアや多くのヨーロッパ諸国が「非配偶者間の卵子提供」と「代理出産」を禁止している。

本書の著者・石原理氏は1954年生まれ。群馬大学医学部卒業後、東京大学医学部助手、埼玉医科大学医学部産科婦人科教授などを経て、現在は女子栄養大学教授。専門は生殖内分泌学・生殖医療。著書に『生殖革命』(ちくま新書)や『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)などがある。

さて、「神の領域」に近づく生殖医療の第1段階が「体外受精」であれば、第2段階は「受精卵」段階における治療と遺伝子操作だろう。かつての「遺伝子組み換え」は植物や家畜に応用されてきたが、複雑なヒトゲノムは編集できなかった。ところが、2012年に「クリスパー・キャス9」と呼ばれる精度が高く安価で、しかも効率のよいゲノム編集ツールが登場して、状況が大きく変わった。この編集ツールを開発したジェニファー・ダウドナとエマニュエル・シャルパンティエは、2020年にノーベル医学生理学賞を受賞している。

本書で最も驚かされたのは、ヒト胚研究を「HFE法」で規制するイギリスに比べて、日本には「クローン規制法」以外に法規制がなく、厚生労働省や日本産科婦人科学会の指針に基づく自己規制に放任されている実態である。ゲノム編集によって、遺伝性疾患の出生前治療が可能になると同時に、瞳の色や髪の質、身長や運動能力、知能や記憶力、肥満や生活習慣病に罹りにくい体質までも生み出せる。「生命倫理」の根本的な審議を急ぐべきではないか?

本書のハイライト

生と死をめぐるさまざまな意見や見解を戦わせる時、「生命倫理」という言葉が、切り札であるスペードのエースや免罪符のように使用されることがわが国でもある。これに、私はしばしば違和感を持ってきた。なぜなら、「生命倫理」についての、わが国における位置付けは、欧米諸国のような宗教的、哲学的な背景の裏付けを伴った(人間を超越する「何か」を想定した上での価値観や理論体系の中における)用いられ方ではないように思えるからである。(p. 176)

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