変化の激しい時代をどう生きるか?
先日、久しぶりに長男と話をしていると「AI」の話題に。
長男がAIに興味を持ったらしく、1時間近く話し込んでしまいました。
弊社は営業活動にAIを活用・導入するセミナーやコンサルティングも行っていますので、私にとっては得意分野です。
長男曰く、AIの世界はとにかく進歩が凄まじく、1年前と様相はまったく違うと力説していました。私もまったくその通りだと強く実感しています。
極端なことを言うと、1ヶ月前のことが通用しないこともあります。これがAIの世界です。
そして、それだけ変化の激しい時代だということです。
このような時代は、どのように生きたらいいのか難しいかもしれませんが、私は毎日ワクワクしています。
「今日はどのような変化があるのだろうか?」
「明日は新しいテクノロジーが登場するのだろうか?」
考えただけで命が喜んでしまいます。
1900年頃、ニューヨークは多くの馬車が走っていました。しかし、自動車の登場で、10年も経たないうちにニューヨークは様変わりしました。馬車が姿を消し、自動車ばかりになったのです。数千台の馬車を運用していた会社があったとしても、新しいテクノロジーである自動車には敵いませんでした。つまり、下剋上が起こったのです。
今まで無名だった自動車メーカーが、今まで主流だった多くの馬車を廃業に追い込んだのです。実は、生成AIが登場してからというもの、世界の様相は1900年頃のニューヨークによく似ています。
古い価値観と新しい価値観が入り乱れています。しかし、勝負ははっきりしています。新しい価値観がどんどん進歩・発展して、仕事のやり方も、生活も、人生も変えていきます。
そうなると、難しいのが「生き方」です。
言い換えれば、どう人生を過ごしたら幸せになれるのかです。
これだけ社会環境の変化が激しい時代は、長期的な計画を立てても意味をなさない可能性が高いでしょう。かといって、計画なき人生は不安でしかたありません。道標のない旅のようなものです。
では、どう生きたらいいのでしょうか?
私は安定とは無縁の人生を送ってきました。
どちらかと言えば、「行き当たりばったり」「その日暮らし」「宵越しの金は持たない」など、とにかく自由に生きてきました。青臭いかもしれませんが、今を全力で生きてきました。
そもそも、計画を実行するための目標を達成する行動におもしろさを感じなかったということもあります。かなり苦痛でした。ですから、若い頃は社会不適合者でした。気がつくと何が起こるかわからない方向に進んでいるので、大変危険な人間です。おもしろおかしく書いていますが、大よそこのような人間です。
音楽にたとえれば、譜面を忠実に演奏するクラシックは大の苦手で、自由気ままに表現できるジャズが性に合っています。事実、本気でジャズギタリストを目指していた時期がありました。
計画を優先させるのではなく、偶然を受け入れて楽しむ人生は悪くはありませんが、昭和や平成の安定している時代にはそのような生き方をしている人は稀有でした。変人です。しかし、今はジャズ的な生き方をしなければ、自分の可能性やまだ見ぬ才能を開花させるのが難しいと実感しています。
人生は自分でコントロールできそうでできません。自らの目標に向かって邁進するということは、それ以外のことを切り捨てるということです。そして、一番大きな問題は目標以上のことは起こりませんし、それ以外のことを切り捨ててきたので想定外のことも起こりません。