【前編】メルボルンで私がバリスタになるまでのすべて
バリスタって響き、なんかかっこいいですよね。
今回はオーストラリアのメルボルンで私がバリスタになるまでを書いてみたいと思います。ちなみに私は第一線で働く輝かしいキラキラ系のバリスタではなく割と辛気臭い系ですがいちサンプルとして参考にしていただければ幸いです。コーヒー関連の単語が入ったりしていますが、なるべくバリスタ以外の方にもわかっていただけるように書いたので、伝わると嬉しいです・・・!
1. バリスタになろうと思ったきっかけ
私は以前から海外に行きたい!と思っていました。ただ、目的ははっきりしていなくて、英語が使いたいからそういう環境に行きたいとだけ思っていました。海外にある程度長期間行くならワーキングホリデーが一番簡単な方法だと思ったので、ワーキングホリデーがしやすそうな国であるオーストラリアに行くと決めていました。その時点ではまだ都市は決めてはいませんでした。
日本にいる間にワーホリに向けての貯金を増やす目的で個人経営のスペシャルティーコーヒーを扱う意識高い洒落乙系なカフェ兼レストランで働き始めたのが2017年6月でした。そこで働きだしたのはオーストラリアと関連があるわけではなく、どうせ働くなら自分の好きなテイストの場所で、という単純な私の趣味でした。
私が働いていたカフェはオーナー夫婦のみで回していて、部外者は私だけでした。しかし私はオーナーとの反りが合わず、抑うつ状態になってしまい、わずか1ヶ月で辞めてしまいました。ただ、バリスタとして成長する上でのお店の環境はとてもよく、メルボルンのカフェでもよく使われているLa MarzoccoというエスプレッソマシンとMazzerというグラインダーを使っていました。オーナーにコーヒーの作り方、マシンの使い方、ミルクのスチームの仕方などを教わり、休憩中にお店のミルクを使ってラテを2杯まで練習用で作っていいよと言われ、今思うと本当に神な環境だったんですが、ド初心者の私は何をどう頑張っていいかもわからないし、スチームワンド(蒸気が出る超絶熱い棒)が怖すぎて自主練という名の雰囲気強制練習がとても億劫でした。正直始めたてで右も左もわからず練習に楽しさを見出せない段階だったので1秒でも長く休憩したい・・・と思っていました。
これが初めて作ったラテ。オーナーの手助けがあったのでそこまでひどくありません。
細胞分裂中のカエルの卵的なのが出来ました。
これが辞める直前に日本で最後に作ったラテ。
結果的には秒で辞めてしまった私ですが、続けられていたらそれなりのレベルのスキルは身について、メルボルンでも即戦力になれていたんじゃないかなと思います。そのカフェで以前バリスタ兼スタッフとして働いていた人もメルボルンでバリスタ修行のワーホリに行っているという話をオーナーから聞いて、メルボルンでコーヒーを仕事にすることに興味が湧いたのがその時でした。
ワーホリの準備中、行く都市を考えていた私はせっかく海外に行くなら目的が必要だと思い、最終的にバリスタとしてメルボルンで仕事を得ることを第一目標に決めました。メルボルンに決めた理由はコーヒー以外にもありますが、今回は割愛します。
2. 渡豪してから最初にしたこと
元々1年ほどカフェで働いて貯金を増やしてから渡豪する予定だった私は、1ヶ月で退職し、貯金もそんなにない、精神的な気力もない八方塞がりな状態でした。が、海外に行きたいと口で言い続けて結構な歳月が建っていたので今しかないと、勢いで渡豪しました。日本にいる間にしたことは語学学校の1ヶ月のバリスタコースと2週間分のホステルの予約だけでした。実際にコースが始まったものの、やることは基本的にマシンに触って練習を繰り返すのみ。あとはコーヒー関連の動画(ほぼYouTube)を観たり、ちょっとした接客英語を座学でやるのみでした。語学学校のバリスタコースは毎日やることが同じでも期間が長いから高いしコスパはそんなによくないと思いますが、私の行っていた学校は卒業後も豆と牛乳を持ち込めばマシンを使って自主練が可能だったので、私はそれを活用してほぼ毎日学校に通っていました。短絡的ですがラテアートが一番わかりやすくアピール出来るポイントだと私は思っていたので、自主練ではラテアートの上達を目標にしていました。
ハウスメイトにペニスと呼ばれたロゼッタ
初めて挑戦してみたスワン。ずんぐりむっくりでかわいいね♡
少しずつ形になってきました
コースには実際に現場で無償で働くプログラムが組み込まれていたので、私も場末のカフェに割り振られて実際にそこで働きました。本当は2週間の予定だったものの引越しとか環境が大きく変わったストレスとかでいっぱいいっぱいだったので1週間に短縮しました。私がやっていたのはただの雑用で、正直もっと自主的にコーヒーを作らせて欲しいって言った方がよかったなと今になって思います。そこで働いていたバリスタが優しくて多少はコーヒーを作らせてはもらえましたが、初めてお客さんに出すコーヒーを作った時は私なんかが作ったコーヒーをお客さんに出していいのか・・・!?と本気で思ってあたふたしました。自信がなさすぎたんですよね。