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【後編】メルボルンで私がバリスタになるまでのすべて
前編がまだの方はこちらからどうぞ!
2軒目:裏路地にある遊び心のあるカフェ
一時帰国後、私はすぐに仕事を探し始めました。帰国前に仕事を失っていた私は急いでいたので、今回は効率を考えてレジュメを配るのではなくオンラインで探しました。ラッキーなことに探し始めてすぐに仕事が決まりました。
2軒目は家から自転車で15分ほどのところの裏通りにある倉庫をリノベーションした隠れ家的なカフェでした。そこは私の好きなIndustry Beansというスペシャルティコーヒーの豆を扱っていて、決まった時はすごく嬉しかったのを覚えています。余談ですがこのIndustry Beansの本家で1年後くらいに悲願のバリスタのトライアルを受けることになるのですが、あえなく散る結果となります・・・。
私がバリスタとしてしっかりと成長出来たのはここで基礎を磨いたからだと思います。オールラウンダー(all rounder)と呼ばれる、バリスタだけでなくウェイターの仕事(一般的にfloorと呼ばれています)のいろはを覚えたのもここが初めてでした。
当時のマネージャーは私より1歳年下で、ニュージーランドからメルボルンへ3ヶ月前に引越してきたばかりでした。彼は人懐っこくてお客さんとすぐに仲良くなれるので、そういう部分は尊敬していたものの、いわゆる田舎のヤンキーのようなタイプで、良くも悪くも適当なことが多く、締めの作業時にはいつも大声で歌っていました。ここのFOH(カフェで接客するスタッフ)はオージーかキウイ(ニュージーランド人)しかいなかったのでザ・海外な感じが面白くて最初は楽しかったです。
トロトロ動いていてフロアの仕事も慣れていなくてちゃんと出来なかった私は途中からマネージャーに冷たく扱われていました。ちなみに私はフロアをやりだして初めての週末に、注文を通し忘れてお客さんにコーヒー1杯で45分待たせた挙句、怒らせて帰らせてしまうというやらかしをしました。
マネージャーはストレス耐性が低く、特に忙しい週末には八つ当たりが多かったです。私が入って2ヶ月後にオーナーと揉めて辞めていきましたが、辞めることを知ってからは密かにXデーまでをカウントしていたのはここだけの話。後日談として、このマネージャーとは偶然次に働くカフェで再会し、謝罪を受け、ハグして和解しました。人生isビューティフォー。
ここでも出来るだけラテアートに集中したかった私は、エスプレッソを抽出するポジションよりもミルクをスチームするポジションになるべくいようとしました。が、皆考えることは同じ。私より少し先にバリスタポジションで入ったオージーの女の子がいつも気付くとミルクポジションにいました。悔しくて結構無理にコーヒーを作ろうとしていたらスタッフの一人から嫌われました。まぁ当然ですね。上達したくて必死でした。
ラテアートもダイナミックに進化
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