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おやさまたより

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私の信仰する天理教の二度にわたる修養科の体験をエッセイにしました。
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2023年4月の記事一覧

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私の天理教修養科ものがたり パート6

 私が20歳そこそこで天理教修養科に入った一回目の年は、教祖百年祭の三年千日お打ち出しの旬で本部神殿の東西礼拝場が完成した時期でもありました。
 甘露台は人間宿仕込みの目標(めど)でありますが、それを囲む神殿で最初に造られたのは大正3年に出来た北礼拝場でした。
 その後、昭和初期になって南礼拝場が出来たのですが、修養科に入学するのに同行してくれた私の所属する

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私の天理教修養科ものがたり  パート7

 修養科棟の教室は昔懐かしい雰囲気のする部屋でした。机も椅子も二人用の長いもので、特に椅子は畳表が敷いてあり休憩の時などは横になる人もいました。
 別席の時も同じ椅子で背凭れがないので、居眠りしてひっくり返りそうになることもありました。

 その教室に集まっている人も話に聞いていた通り、若い人もいれば年老いた人もいて雑多な夜間中学のような雰囲気でした。男女

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私の天理教修養科ものがたり  パート8

 修養科で最初に苦痛を感じたのはやはり朝の早いことでした。聞いてはいたしそれなりの覚悟はあったのですが、慣れない習慣にはしばらく戸惑いました。
 修養科の一日は洗顔などの支度と整えると朝の挨拶を済ませて、修養科生全員で列になって歩いて詰所から本部神殿に朝勤めに参拝することから始まりました。先頭の人が拍子木を叩くのに合わせてみ神楽歌を唱和して行きました。
 

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私の天理教修養科ものがたり パート9

 このエッセイを書いている今現在は、令和5年の4月18日ですが、おやさまの225回目のお誕生日です。

 おやさまが「かみのやしろ」になる以前に、亭主が手を付けた女中に毒殺されそうになったのを許し大事にしたことは先に紹介しましたが、その他にも近所で預かった乳飲み子が黒ボウソウという難病になった時に願掛けして自分の子供の命と引き換えに願いをかなえてもらったり、

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私の天理教修養科ものがたり パート10

 日にち薬と言います。また、郷に入っては郷に従えとも言います。いやいや入った修養科であっても周りの人と気心が知れ、事情に明るくなり始めると次第に毎日の波を楽しめるようにもなって来ました。
 それは初めて聞く天理の教えもそれなりに耳に入って来るようになったせいであったのかもしれません。

 ドストエフスキーの作品で神の存在に触れた私にしてみると、キリスト教の

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