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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり パート10


 日にち薬と言います。また、郷に入っては郷に従えとも言います。いやいや入った修養科であっても周りの人と気心が知れ、事情に明るくなり始めると次第に毎日の波を楽しめるようにもなって来ました。
 それは初めて聞く天理の教えもそれなりに耳に入って来るようになったせいであったのかもしれません。

 ドストエフスキーの作品で神の存在に触れた私にしてみると、キリスト教の方が格上に思えましたし、子供の頃から馴染んでいた仏教や神道の方が親しみはありましたが、それでも悩みの塊だった私の心の闇に差してくる光のようにも感じられていたのかもしれません。

 元来真面目な性格でしたし、好奇心も強く不思議な世界に対する興味は強かったと思います。精神世界という言葉やオカルトなどと云うジャンルにも関心は深かったのは確かです。自分とは何かという問いは、突き詰めれば突き詰めるほど深い迷宮に入っていきます。

 「因縁寄せて守護をする」と何度も聞きましたし、天理には来たいと思ってもこれる場所ではないというのも当初からよく聞かされました。そういわれると選ばれたような気にもなり、またどうしようもない深い闇を思って暗澹たる思いもしました。

 因縁とか業とかカルマというのは、全く同じものを指すのかどうかわかりませんでしたがおどろおどろしい印象のする言葉です。キリスト教の原罪というのも同じようなものなのかとその当時は感じていましたが、いずれにしても自分の無力を思い知らされ、それを克服しなければならないようで気が重くなりました。

 それでも、お道ではいい因縁もあれば悪い因縁もあると教えられ、その因縁も生まれてからの心使いだけでなく前生から持ち越した宿題のようなイメージで思えばいいというアドバイスも受けました。

 詰所の同期の人たちの中には少し道に外れたような人もいましたが、みんな気のいい仲間でした。一緒に生活するうちにお互いの身の上話などを練り合いと言ってクラスのホームルームの時間などで聞いたり、修養科か神殿掃除の行き帰りとか自由な時間に聞いたりしたりして打ち解けると、今まで人に話さなかった心の内側も開いていきました。

 ヤンチャな同年代の青年に比べ優等生とみられてはいましたが、その心根は殆ど双子のようでもあると親や妹などを困らせた話をすると、ちょい悪オヤジ風の人に「ヤサグレやなぁ」と言われたりしました。それを聞いてちょっと大人になったような気分にもなり、自分をもっと自由にしてもいいのだと安心もできました。

 4月に入った3期生に比べ6月から入った我々はそれぞれに少し複雑な人生行路を経て来た人が多かったようにも思いました。人は見た目では判断できないのだというのも思い知らされたりしましたが、それは自分も同様にそう思われていたんでしょう。

 修養科の重要な過程の一つは「ひのきしん」と呼ばれる実践でした。これは奉仕作業とほとんど同じ行為のように思われますが、天理ではそれが信仰の証となり、自分から率先して行為に現れるのが本物とされます。
 
 かしもの・かりものの理がよく心に収まるほどに、その感謝と報恩の気持ちが表現されるというのです。授業などでは神殿掃除もそうですが、草むしりとか修養科棟などの掃除や、食堂での片付けや食器洗い、お茶所という信者の憩いの場所になる施設での接待などもありました。詰所にあっても同様にひのきしんが日課に組み込まれてもいました。

 堅苦しい教室での授業より皆体を動かしてできるひのきしんを楽しんでいる面もありました。そこで仲間意識も強まりましたし、悩みを思い煩う暇もなくなったという面があったかもしれません。

 そうして、やがて私にとって忘れられない体験がやってきました。それは二期目に入った7月の暑い昼間だったと思います。修養科の授業を終えて帰るのに仲間と変えることもありましたが、一人で神殿で参拝していくことも増えてきました。それで、バカにもしていたお道に対する最初の洗礼を受けたのでした。

 それは、神殿と教祖殿や祖霊殿を結ぶ回廊を回っているときです。それまでも修養科生が自主的に回廊拭きをしている姿はよく目にしていました。仲間同士で声を掛け合ってしたり、一人で黙々と長い廊下をひざを痛めないようにクッションの入った膝当てをして、雑巾がけや廊下の隙間の埃を先の長い串のような棒で引き出したりするのでした。

 私はそれまで自主的に回廊拭きをしたことはなかったのですが、その時自分と同世代の青年が一心に雑巾がけをしている後姿を見て、雷に打たれたような気がしたのでした。神々しいというのか眩しいものを見る思いがしたのでした。それはとても言葉にできない感動で、それ以後の私の信仰の形造ったと言ってもいいかもしれません。

 その人は一期上の三期生でときどき顔を見ることがあったので余計にそんな思いになったのかもしれませんが、自分もそうありたいと感じました。誰に認められるわけでもなく、強制されるわけでもなくそれを実践する。

 それは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の三男アリョーシャが信仰を強固にするため、修道院を出て世俗に入っていくラストシーンにも似た感動でした。お道ではそれを「里の仙人」とか「なるほどの人」とか言うのはその後知ったことでしたが…


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