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「自分軸で手に入れる最幸の生き方」

今が人生で一番楽しい!!

42歳の頃、私の人生はまさにどん底でした。

パワハラ。

ストレス過多。

適応障害。

うつの症状。

お先真っ暗、何度も人生を諦めかけました。

でも、今は最幸に楽しい。

誰でも実現できる「この楽しさ」をたくさんの方と共有したい。

ぜひ、最後まで読んでくださいね。



🟨今が人生で一番楽しい。

はっきり言います。

40代ど真ん中。

今が人生で一番楽しい。

それはなぜか?

「自分軸で生きている」からです。

▪️他人軸だった過去


今まで私は、ずっと他人軸で生きてきました。

社会の常識やまわりの目・意見ばかり気にしていました。

自分の本当の気持ちを人に伝えることが苦手でした。

でも今は、違います。

断言できます。

今が人生で一番楽しい。

▪️自分軸で生まれた変化


自分の気持ちを人に伝えることができる。

新しいことに挑戦している。

挑戦する人を素直に応援している。

そんな自分が大好き。

こんな気持ちになれた自分が最幸。

具体的に何が、どう変わったのか。

特に友人・健康・こころの面で、大きな変化がありました。

まわりは何も変わってないですよw

変わったのは、そう「自分の考え」。

なぜ私がこんなに変わったのか、お話しします。

🟨自己紹介

その前に、ひろてぃを紹介させてください。

▪️仕事


私は、メガバンクで働く会社員です。

新卒で入社して以来、主に企業向けの営業を中心に、20年以上同じ銀行で働いています。

海外も含めて、異動は7回経験しました。

10回も引っ越ししていますw

▪️趣味


私の趣味は推し活です。

私の推しは、THE YELLOW MONKEYと鴨頭嘉人さん。

THE YELLOW MONKEY、そうイエモン。

お茶じゃないよw

高校生の時に「FOUR SEASONS」というアルバムでイエモンを知り、衝撃を受けます。

「こんなにカッコよくて、セクシーな男性がいるのか!」

ボーカル吉井和哉さんの大ファンです。

もう30年近く、イエモン推しです。

再結成後のライブはほとんど行きました。

武道館、東京ドーム、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナ、名古屋ドーム。

イエモンの世界にどっぷりはまってます。

2024年4月 東京ドーム公演

そして、もう1人の推し。

日本一のYouTube講演家、鴨頭嘉人さん、そう鴨さん。

鴨さんは2年前、私が人生どん底の時にYouTubeで出会い、私の人生を変えるきっかけとなった恩人です。

鴨さんのセミナーで

ちなみに、イエモンの吉井さんと鴨さんには、ある共通点があります。

1966年生まれ、同い年なんです。

見た目は全然違うけどw

二人とも夢に向かって挑戦する姿が、セクシーでかっこいいです。

▪️友人


私にはとても素敵な仲間がいます。

みんな笑顔が最幸です。

新しいことに挑戦しています。

そして、挑戦している仲間を全力で応援します。

こんなに素晴らしい仲間に出会えて、私は本当に幸せです。

以前の私には、友人と言える仲間がいませんでした。

でも今は、はっきりと言えます。

最幸な仲間に出会えてうれしい。

出会ってくれてありがとう。

最幸な仲間

▪️健康


健康面は良好です。

今まで大きな病気や、けがをしたことはありません。

ただ40歳前半で、メンタルダウンを経験します。

適応障害と診断され、半年間休職しました。

自分はダメなやつだ、生きている意味なんてない。

どん底を経験しました。

でも今は、その経験があったからこそ、自分の人生は変わったと思います。

神さまが「このままだとマズいぞー。変わらないとヤバいよー」と教えてくれたと思っています。

🟨過去の自分と現在地

▪️過去の自分


以前の私は、自分にダメ出しばかりしていました。

「これができていない」

「あれもできていない」

「もっと頑張らねばならない」

これでは、自己肯定感も自己効力感も下がります。

自分に厳しく、自分が大嫌いでした。

だからまわりにも厳しく、優しくできませんでした。

▪️現在地


「全ての出来事が全て良くなるために起きている」

そう思います。

今は人生が最高に楽しい40代。

でも2年前までは、人生どん底でした。

ここで、ひろてぃの「今までの人生」を駆け足でご紹介します。

▪️子供時代


父は会社員、母は地方公務員、ごく普通の家庭で育ちました。

平日は両親が仕事なので、私はおばあちゃんに育ててもらいました。

めちゃくちゃ、おばあちゃん子です。

おばあちゃんの手料理はおいしかった。

▪️学生時代


小学校、中学校と普通の公立学校に入学しました。

運動も勉強も得意でした。

小学校では少年野球クラブに入って、4番キャッチャー、キャプテンもやりました。

コントロールが悪く、ピッチャーはやらせてもらえませんでしたw

書道も習いました。

おかげで今でも、字はきれいな方だと思います。

中学校では卓球部に入りました。

野球部は全員丸坊主になるルールで、それが嫌で野球は辞めました。

勉強は常に学年トップの成績でした。

高校は地元の公立進学校へ入学。

中学、高校と本当に勉強ばかりしていました。

机が友達かよっていうぐらいw

そして国立大学に現役合格。

今振り返ると、偏差値でしか判断していなかったですね。

自分が何をしたいかではなく、偏差値で判断して合格できる学校を目標にしていました。

他人軸でした。

大学では経済学部だったこともあり、銀行に就職しました。

当時は超氷河期。

内定を1つもらうのがやっと。

自分がやりたいことがよくわからず、経済→銀行という安易な考えで、最初に内定をもらったメガバンクに入社しました。

会社もブランドで選択していました。

▪️社会人になって


銀行では、主に企業向けの営業を20年以上やっています。

お客様である企業の社長とお会いして、お話しすることはとても学びになります。

私個人では会うことができない社長と、銀行という肩書を利用して会うことができ、学ぶことができます。

その社長の人生論、経営論などを教えてもらえます。

これは銀行で働いて良かったことです。

仕事はハードでした。

残業月80時間、休日出勤、接待ゴルフは当たり前。

転勤も7回経験しました。

初めての東京転勤、その後、銀座のど真ん中で働くこともありました。

田舎者の私は、「銀座で働けるなんてかっこいい。やっとここまで来れた!」と本気で思いました。

海外赴任で4年間、中国でも働きました。

そして40歳で、メガバンクの副部長に昇格します。

順調な人生でした。

「頑張れば報われる。」

「今はつらくても我慢して努力すれば、良い結果が待っている。」

そう信じていました。

でも現実は、違いました。

コロナが始まった2020年。

ここから私の人生が狂い始めます。

▪️42歳でメンタルダウン


コロナが始まるとほぼ同時に、異動の辞令。

40歳でメガバンクの副部長に昇格します。

子供の学校の関係で、初めて単身赴任です。

昇格はうれしい。

でも、家族と離れて生活するのは寂しい。

しかもコロナ禍で移動が制限されました。

家族に会いたい、でも会えない。

私も家族も「一人で頑張らないといけない」というストレスで、こころに余裕がなくなっていきました。

そんな中、新しい上司がやってきます。

この上司が私の人生をどん底に突き落とす、超絶パワハラ上司でしたw

パワハラ上司から毎日毎日、罵詈雑言で人格否定されます。

「お前は馬鹿だ」

「お前はクズだ」

「お前のせいで俺は早く帰れない」

延々と続きます。

1時間ならまだ短い方。酷いときは3時間。

パワハラ上司は座っていますが、こっちは立ったまま。

同僚に聞こえる状態で、延々と罵声を浴びせられる毎日。

「もう限界だ、、、」

話なんて聞いていません。

「早くこの時間が過ぎればいいのに。」

意識をシャットダウンします。

どちらかというと、ストレス耐性がある方だと思っていました。

でも毎日毎日この状態が続くと、こころも体もボロボロになっていきます。

寝ているときも途中で目が覚め、疲れが全くとれません。

「もう会社に行きたくない。」

朝が来るのが怖い。

でも休めない。

通勤電車を待つ駅で、何度も飛び込んでしまいたい気持ちになりました。

そんなある日の早朝、妻から電話の着信。

「何かあったのかも」

不安が過ります。

「子供が学校に行きたくない、と言って起きてこない。どうしたらいいの!?」

頭が真っ白になりました。

「え、どういうこと。なんで学校に行きたくないの?」

「わからない。布団を被って起きてこない。」

子供の不登校が始まります。

何もかもタイミングが最悪でした。

コロナ禍で単身赴任となり、妻と子供も精神的な負担が大きかったのです。

結果的に妻もこころを壊し、子供は不登校になります。

「こんな大事な時に、家族がバラバラで生活している意味は何だ。」

悩みました。

どうすればいい。

パワハラ上司に家族の状況を説明しました。

「家から通える勤務地に変えてほしい」

嘆願しました。

でもパワハラ上司から返ってきた言葉に、耳を疑いました。

「お前の家族が悪い。大したことない。異動なんてふざけるな。」

私を支えていた何かが、崩れ落ちる音がしました。

次の日から私は、休職しました。

そして家族のもとへ帰ります。

ここから長い暗いトンネルの日々が続きます。

42歳、厄年ど真ん中、適応障害と診断されます。

▪️何もできない日々


自分の気持ちを感じることができない状態でした。

うれしい、楽しい、悲しい、嫌だ、あらゆる感情を抑え込んでいました。

感情がない状態。

寝ることしかできませんでした。

やっと寝れる。1日中寝ていました。

家にいても何もできていない自分に凹みました。

「家族のためと思って頑張ってきたけど、本当に家族は幸せだったのだろうか。」

「自分ってなんだろう。」

「何のために生きているんだろう。」

同じような考えがグルグルグルグル巡って、答えも出ません。

ただ涙が出るだけでした。

休職してから最初の2カ月は、あまり記憶がありません。

3カ月目頃から、少しずつ日常の生活ができるようになりました。

朝起きる。

カーテンを開けて太陽の光を浴びる。

朝ご飯を食べる。

体調が良ければ、少し散歩する。

お昼はたまに、妻とランチする。

子供が産まれてから、妻と二人でランチしたことなんてなかったですw

洗濯物を畳むとか、簡単な家事を少しやる。

YouTubeを見る。

毎日毎日、こんな状況。

良くなっているか分からず、復職できるのかも不安で、何かに怯える毎日でした。

▪️運命の出会い


そんなある日、YouTubeを見ていました。

突然スマホの画面に、スキンヘッドの怪しいおじさんが現れます。

「誰だこれ?」

強烈で気になりました。

とりあえず見てみよう。

当時「人間関係」「コミュニケーション」というワードで、検索していました。

彼の動画を見終わったとき、私は泣いていました。

涙を止めることができませんでした。

嗚咽です。

自分のことを認めてもらった気がしました。

生きていてもいいんだと思えました。

彼に出会えたことは、私の運命の出会いだと思います。

彼は鴨頭嘉人さん、そう鴨さんです。

日本一のYouTube講演家です。

鴨さんの動画を見て、どれだけ元気を貰ったことか。

どれだけ救われたことか。

もう動画では我慢できない。

鴨さんにリアルに会って学びたい。

その思いが溢れ出し、鴨さんの講座を申し込みます。

そう、コミュニケーションの学校に入学します。

🟨学ぶことで変わる

▪️コミュニケーションの学校


全5回、毎月1回、午前11時から午後6時まで、鴨さんから直接学ぶ講座です。

名前の通り、コミュニケーションの技術を学べると思っていました。

でも全然違いますw

技術も学んだけど、それは講座全体に対して10%ぐらいの内容です。

では何を学んだのか。

それは「優しさ」についてです。

ひたすら「優しさとは何か」について学びました。

鴨さん曰く

「自分のことを優しいと思っている人は、優しい人になれない。」

そんなことを意識して、今まで生きたことありますかw

頭をハンマーで叩かれた思いです。

そう、無意識だったのです。

初回の授業で鴨さんが、最初に伝えた言葉。

「おめでとう」

「あなたは変わりました。変わるために学びに出会って、入学したのだと思う。みなさんは自分で選んだ。私は入学して変わる。それを自分で選んだ。だから変われる。」

もう私は、泣いていました。

人間関係の問題は情報不足が全て。

それを解決するために、優しさを意識してコミュニケーションをとる。

聴き方、伝え方、在り方。

在り方ってなにw

結局はどんな技術を学んでも、その土台となるマインドが整っていなければ、崩れてしまう。

建物と一緒です。

どんなに立派な建物でも、基礎が手抜き工事だったら崩れてしまう。

そう、マインドが一番大事。

そのマインドは「日常どう在るか」が大事なんです。

「そんなこと言われても、何をやったらいいねん。」

それを解決するのが、毎日の宿題です。

宿題ってなにw

この宿題がすごい。

宿題をやることで、生徒が変わっていきます。

私も含めてw

▪️宿題


どんな宿題か。

それは「笑顔の自撮り」。

スマホで自分の笑顔の写真を撮って、Facebookの限定グループに投稿します。

「マジか。笑顔の自撮りって、、、」

自分の笑顔、見たことありますか?

私はありませんでしたw

最初の自撮り。

当時は必死に笑っているつもりだったけど、今見ると全然笑えてませんw

何回も何回も撮りなおして、やっと1枚の自撮りを投稿します。

1時間もかかりましたw

他の生徒の投稿を見ると

「みんな素敵な笑顔やん。それに比べて自分の笑顔、いけてない。」

他者比較して凹みます。

でもね、

「素敵な笑顔ですね」「いいねー!」

仲間がコメントをくれます。

それがめちゃくちゃうれしい。

私も他の人の笑顔に、コメントします。

「いい笑顔ですね」「すてき!」

そう、承認の循環・承認空間です。

誰も否定しません。

そう、自分自身を否定しているのは「自分」でした。

鴨さんの教え

「比較はしてもいい。でも他者比ではなく当者比で。」

1年前・1カ月前・1週間前・昨日、以前の自分と比べて、これができるようになったと比較するのはいいこと。

でも凹むのはダメダメw

私はこの笑顔の自撮りを続けて1年。

1日も欠かさず毎日続けています。

もう笑顔がデフォルトです。

昔の写真を見たら、びっくり。

全然笑えてないw

自分で言うのもなんですが、今は

「自分の笑顔最幸!」

そう思います。

私のスマホには、笑顔の自撮りが1,000枚以上ありますw

▪️最幸の仲間


そしてなにより良かったのは、最幸の仲間に出会えたこと。

これは一生の宝もの。

生徒は約80名。

性別や年齢、住む場所もバラバラ。

ただ一つ共通していること。

それは、「変わりたい」。

人間関係でつらい。

自分のことを認められない。

自分は笑ってはいけない。

そう思っている人もいました。

そんな人が毎日の自撮りで、変わっていきます。

半年後に卒業するとき、みんな本当に変わりました。

みんな笑顔です。

出会ってくれてありがとう。

みんな大好きだよ。

▪️変化


コミュニケーションの学校に入って学んだこと。

卒業したから、はい終わり。

いやいや、そんなことはありません。

今も現場で、日常で学び続けています。

学びに出会う前の私は、他人軸でした。

社会の常識や周りの目・意見を気にして、自分がありませんでした。

自分の人生のハンドルを他人に握らせて、他人の敷いたレールを走っていました。

そんな自分のことが嫌いでした。

自分に対して厳しかったので、まわりにも優しくできませんでした。

そして行きついたところは、、、

他人のせいにして誹謗中傷して、変わるのが怖くて、人生諦めたこわい顔のおっさんでした。

でも学びの世界に出会って、お金と時間を学びに自己投資して、本当に変わったと思います。

生きていることが楽しくなりました。

自分に〇をつけるようになりました。

「今日も頑張った。」

「やろうと思っただけで〇」

「生きているだけで〇」

どんな自分も認めるようになりました。

自分のことが好きになりました。

こころに余裕ができました。

すると、まわりにも優しくできるようになりました。

素直に人を応援できるようになりました。

まわりは何も変わっていません。

変わったのは、そう「自分」。

今まで変えられないもの、相手を必死に変えようとしていました。

でも変えられるのは、「自分」だけなんです。

自分が変わると、見える世界が変わります。

世界は厳しいと思っていましたが、「本当は優しい」のです。

イラっとするときもありますよw

でもそれって、チャンスなんです。

「なぜイラっとするの?なぜそう思うの?」

日常が練習問題で溢れています。

自分の気持ちに気付けるチャンスなんです!

こう思えるようになったのは、「自分軸」になったからです。

42歳でメンタルダウンして休職、家族崩壊の危機、子供も不登校。

もう人生終わったと思いました。

でも今は、こう思います。

「全ての出来事が全て良くなるために起きている。」

どん底の時は正直つらかったですw

でも今は

「よくがんばったね!」

自分を褒めています。

🟨世界一「わかりやすい」自分軸のつくり方

そして私は、決断しました!

「世界一わかりやすい自分軸のつくり方」で世界を変える!


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