石田道行

信越境のブナの森を主な撮影フィールドに「森に学んだ自然観」を発信する写真家です。印刷媒…

石田道行

信越境のブナの森を主な撮影フィールドに「森に学んだ自然観」を発信する写真家です。印刷媒体に依らず自己で作品を完結させ全国各地で個展を開催。その過程で学んだノウハウから安曇野で写真工房 道を開設し、作品展の企画プロデュースからプリント、額縁製作など作品づくりのサポートをしています。

最近の記事

山スキーの話

このところスキーで冬の森撮影に出かけてる。山スキーといえばカッコいいが、実はほとんど滑れない😅子供の頃はもちろん、信州に移住してからの20年もスキー場にさえ行ったことがなかったオッサンが林間を、しかも荷物背負ってスイスイと滑れるわけがなく、もっぱらスノーシュー替わりに歩くだけです。 もともと滑りを楽しむためじゃなく、冬の森撮影が目的なので安全に降りて来れたら良しとしており、たまに雪のコンディションが良ければ林道をゆっくり滑るだけでも歩きよりはずっと楽ちん! ところがこの頃

    • 表現すること、映画と写真展の話

      映画マニアでもないボクのつまらないゴジラ論にお付き合いいただきありがとうございます。なんで映画の話?て、思ったかな。 ずっと個展活動を続けてきて、そして写真工房 道として個展開催のサポートをしてきて思う大切なこと。 多くの評価を得ることよりも、 まずは自己満足! 自分の価値観で発信することがなにより大事で、展示作業を終えてまず初めに自分自身が観賞者として「いい展示だ!」って思えたら半分は成功!それが個展活動を続けてきたボクの考え方。その上で多くの共感をいただければ最高の

      • ボクのゴジラ論part3

        前回に続いてまたゴジラの話。 これで終わりになると思います😅 2000年代になるとアメリカ版のゴジラも登場しCGを駆使した迫力満点の映像が作られますが…ティラノサウルスのような俊敏な動きで人を襲うのはちょっと違うなぁって😩 人の存在など意に介さずただ移動するだけで、台風や竜巻と同じく存在そのものが自然災害、それがゴジラなんです。だから口から吐く熱線も好きじゃない。 しばらくゴジラ映画から遠ざかってたそんな時、日本でも本格的なCGを駆使したゴジラ作品が作られることを知った

        • ボクのゴジラ論 part2

          日本アカデミー賞に続き本場のアカデミー賞でも視覚効果賞受賞! おめでとうございます㊗️ 受賞はさておき、前回に続いてボクのゴジラ論を書きます。 終戦からたった9年後に核の象徴として誕生したゴジラ。加えて昭和29年は自衛隊設立の年、そしてアメリカによる度重なる水爆実験で日本のマグロ漁船の第五福竜丸が被曝し半年後に乗組員が亡くなるという大事件があった年です。 原爆以来またも日本人が核の犠牲となったことで大きなニュースになったようです。しかし当時はGHQによる統治から自治を

        山スキーの話

          ボクのゴジラ論

          東日本大地震から13年! ゴジラ-1.0が日本アカデミー賞8冠! 作品づくりやPC作業の息抜きによく映画を観ます。と言ってもアマゾンプライムですが…そんなボクが三度も映画館に行ったのがゴジラ-1.0 秋に初めて観た時は感動してfbに絶賛のコメントを書きました。何回観てもいい!入替制じゃなければたぶん一日中見てるな😅 こんなことは小学6年の冬に観た「燃えよドラゴン」以来で、何がそんなによかったのか?いつか書こうとゴジラ-1.0についての評価記事を意図的に見ないようにしてた

          ボクのゴジラ論

          植物は凄い!

          こんにちは。 前回の投稿からずいぶん経ったけど、今回も植物の話で、やっぱり当たり前の話ですが… 植物はその葉や実を食べさせることで昆虫や鳥を集めます。昆虫が土中を動き回ると樹の周りの土は耕され、そのフンも死骸もみな土の養分となります。鳥に食べられた種は糞に混じって拡散し、そこで発芽し、クマなど大型獣の毛に付いて遠くに運ばれるものもあります。もちろん動物のフンも死骸も全て土に還り森の養分となります。 光合成で成長する植物は生きるために他の命を必要としない。と前回書いたけど…

          植物は凄い!

          植物は偉い!

          何とも幼稚なタイトルですが… 他に浮かばなかったので😅大事なことなのに当たり前すぎて考えたことないかも。だから書いてみます。 人も含めて生き物はみな他の生き物の命を食って生きている。でも植物は違う。光合成により成長する植物は、この地球に元々ある大地と水と、あとは地球外から届く無限のエネルギーの太陽光で大きく育ち、生きるために他の命を必要としない。おまけに食べられることで他の生き物の糧となり、大きく成長した森は生き物たちに木影や棲家を提供する。 植物がなければ昆虫も、草食動

          植物は偉い!

          何の矛盾もない場所、それが森

          災害を生み出しては防災や復興を叫び、病人を作り出しては薬を売る…この国のあらゆるところに蔓延るマッチポンプの構造。利害関係にある専門家のウソに御用学者がお墨付きを与えメディアが拡散するパターンはすべてに共通で、思考停止した国民を騙すのはテレビがあれば簡単です。ここ数年の騒動で気づいた方も多いはず。目に見えない放射能やウイルスと違い、森は誰にでも見えるし答えは明らか。見ればわかるってことです。 昭和の拡大林業による原生林伐採こそが、医療や健康はもちろん農業、災害、そして一極集

          何の矛盾もない場所、それが森

          森の写真展で伝えたいこと

          こんにちは。 これは写真展のタイトルでもあり、個展での一貫したテーマです。そして前回書いたことはみんな知ってるし、誰もが森は大切だという。 でも現実は… 今日は ”伝えたいこと” というより気づいて欲しいことかな 自然の循環を断つことで経済の循環が生まれる。 水源涵養も災害防止の役割も、元々の原生林が当たり前にやっていたことです。貯水や砂防のダム、治水治山、森林整備…すべて自然が普通にやっていたことに人間が取って代わっただけで、それを仕事と呼ぶことで雇用をつくり経済が

          森の写真展で伝えたいこと

          森の写真展のこと

          こんにちは。前回紹介した2008年の写真展のこと、その経緯を書いてみます。 信州に移住したのは1997年。その頃開催されたCOP3で「京都議定書」が採択され、その頃から地球温暖化という言葉を頻繁に聞くようになった気がします。そして2000年5月に不思議な偶然に導かれるようにブナの森と出逢い、撮影が始まった。この不思議な偶然によりボクは森の虜となり、その後の写真人生が始まるのですが、それはいずれ書くことにして先へ進みます。 温室効果ガス対策として森林が注目されると「人が関わ

          森の写真展のこと

          ぜんぶつながってる!

          2008年に安曇野のギャラリーで開催した個展での写真と文章を再編集しました。 水源涵養林 成熟した森では、寿命を終えた大木が倒れて出来た空間(ギャップという)に周囲の木が枝を伸ばし空間を塞ぎます。そして雪ではなく雨が降る季節になると一斉に芽吹いた葉が空を覆い隠すようにその隙間を埋め林冠と呼ばれる森の屋根を形成します。葉が受けた雨は枝から枝を伝い、集められた雨は樹幹流と呼ばれる流れとなって根元の雪を溶かしながら地表に染み込み、根を伝って地中深くに届けられます。何年も何十年も

          ぜんぶつながってる!

          かつてブナは…

          年末にnoteを始めて、2回目の投稿は新年おめでとう!㊗️で始まる予定だったのに…その後は施設に入った母親と寝たきりのもう一人の母を見舞いに兵庫県の実家へ。新年も10日を過ぎ次第に明らかになる地震被害や、ボクの周りにも明るい話題はなく例年以上に沈んだ正月でしたが、そんな年頃なんですねー。いつまでも沈んでられないし安曇野に戻って今日から再スタートです。 それにしても初投稿の写真がなぜ美ヶ原だったのかと、やっぱり初投稿はプロフィール通り本筋の森の写真だったよなって…後で思ったけ

          かつてブナは…

          波乱の幕開け

          新年が明けました。 例年以上にあまりにもつまらない年末のテレビ番組に、何かが終わったことを感じながら静かな元日を過ごしていたら… 夕方になって急に騒がしくなりました。 今後のTV報道を考えると、根性曲がりのボクとしては言いたいこともあるけど… 今は見舞いの言葉しかありません。 文字通り波乱の幕開けとなった2024年 いま原因不明の体調不良に苦しんでる人がボクの周りにも何人もいます。これから本格的な寒さを迎えるにあたり本気で体調管理してください。被災したみなさんの心労から

          波乱の幕開け

          写真を作品として完結する

          土曜日に美ヶ原て撮影した写真を工房在庫のフレームで仕上がりをシミュレーションしてみました。写真を作品として飾る!ずっとそれを提唱してきたボクの想いと写真工房 道の仕事をプロフィールの意味で最初の投稿に書いてみます。 「なーんだ、写真かー…」「絵だったら欲しいけど…」ずっと写真展を続けてきてそんな言葉を何度も浴びてきた。なんで?と思う。暖房の効いた暖かい部屋でコーヒーを飲みながら空想で描ける絵画に対し、その瞬間に居合わせなければ存在しない写真は、まさに偶然と人の叡智が産んだ結

          写真を作品として完結する