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雑感記録(269)

【僕の恩人2】


昨日、仕事の関係で1日出張だった。とはいえ、別に僕は大した仕事をした訳ではない。フラッと立ち寄るお客に商品の説明をして、ちょこちょこっと対応してというぐらいだ。だが、そのちょこっとでも自分の出来なさというか、先輩の姿を見ながら心の中で打ちひしがれていた。やはり「好き」というだけでは相手を説得することは不可能だと痛感した。そんな1日だった。

それで、夜に打ち上げということで飲み会があった。

僕はあまり飲み会という席が好きではない。こういう場合の飲み会はとかく話を聞くのに一所懸命になってしまう。だから僕は只管「うんうん」と首を縦に振りながら話を聞く。昨日はあまり酔えなかった。というよりも酔おうとしなかったというのが正しいだろう。2時間の飲み食べ放題を愉しんだ。

帰り、皆で駅に向かっている途中、僕のスマホに突然電話が掛かって来る。誰だろうと思ったら、大学の友人からだった。この友人は僕の記録で頻繁に出てきている「あの」友人である。ちょうど先輩たちと別れたタイミングで電車に乗るところだったので後でかけ直すことにして僕は電車に乗り込む。

適度に酒が入っているので気持ちよくなりながら、電車の中で読書をしつつ過去に思いを馳せる。


一篇

 一篇の詩を書いてしまうと世界はそこで終わる
 それはいまガタンと閉まった戸の音が
 もう二度と繰り返されないのと同じくらいどうでもいいことだが

 詩を書いていると信じる者たちはそこに独特な現実を見い出す
 日常と紙一重の慎重に選ばれた現実
 言葉だけかと言えばそうも言えない
 ある人には美しくある人には訳のわからない魂の
 言い難い混乱と秩序

 一篇の詩は他の一篇とつながり
 その一篇がまた誰かの書いた一篇とつながり
 詩もひとつの世界をかたちづくっているが
 それはたとえば観客で溢れた野球場とどう違うのだろうか

 法や契約や物語の散文を一方に載せ
 詩を他方に載せた天秤があるとすると
 それがどちらにも傾かず時にかすかに時に激しく揺れながら
 どうにか平衡を保っていることが望ましいとぼくは思うが
 もっと過激な考えの者もいるかもしれない

 一篇の詩を書く度に終わる世界に繁る木にも果実は実る
 その味わいはぼくらをここから追放するのかそれとも
 ぼくらをここに囲いこんでしまうのか
 絶滅しかけた珍しい動物みたいに

谷川俊太郎「一遍」『世間知ラズ』
(思潮社 1993年)P.58,59

彼と出会ったのは大学入学式の時だった。

思い返せば、物凄く恥ずかしい出会いだった。入学式の時に会場に入る時に隣に居て話しかけたのがキッカケだ。何だか僕はよく分からないけれど、「舐められちゃいけねえ」と思って昔のヤンチャエピソードを語る訳だが、あの話を彼はどう聞いていたのだろう。いずれにしろ、これを書いている僕は赤面しており、火照っているというのは紛れもない事実であるということだけは断っておきたい。

しかし、自分でも不思議だなと思う訳だ。入学式、僕は髪の毛を赤く染め、皆のスーツは無難な黒なのに1人グレーだった訳だ。今となってはだが、大分攻めたことしてたなとこれまた赤面ものである。穴があったら入りたい。それぐらい僕にとって彼との出会いは衝撃だった。何と言うか、真面目な文学部性とヤバイ奴みたいな並びだったのだから…。

入学式初日、これも今思い返すと凄いなと思うのだけれども、僕の下宿先に連れ込んだ。何でそういう流れになったかは未だに思い出せないのだが、いずれにしろ出会って初日に僕の部屋に連れ込むのだから。でも、それはある意味で「こいつなら何されてもいいや」と心を許していたのかもしれない。だからそう思えさせる彼は人たらしの才能がある。多分。

それで、一緒に大学から少し離れた所にあるラーメンを一緒に食べに行った。今ではそのお店は無いのが悔やまれる。この日に行ったことがキッカケで僕はそこのラーメン屋の常連になった。マスターとも仲良くなって、替え玉を無料でサービスしてくれたり、バイト帰りの夜遅い時間に行くとおつまみをサービスしてくれたりもした。何だか懐かしいな…。

その日から今の今までずっと付き合っている。年数にすればおよそ…もう10年にもなる。僕が18歳の時に出会って、今年で僕は28歳になる訳だから…。そう考えると歳月が過ぎるのは早いなと思う。これが良いことか悪いことかは置いておくとして。

ただ、確実に言えることは、これまたこっぱずかしくて面と向かって言えないのだけれども、「出会えて良かった」というその一言ですら足りない程、僕は彼にお世話になっている。


正直に言うと、今のこういう文学的傾向というか、今でもこうして芸術に携わっていられるのは偏に、彼と過ごした大学生活が根底にある。これは過言でも何でもなく、事実以外の何物でもない。言ってしまえば、僕の思想的中核を作り上げた重要な存在である。

大学1年生の頃はクラスが被ることがなく、基本的には第2外国語のクラスの奴らとつるんでいた印象だ。ちょこちょこ会っていたりはしたが、実際「最近どうよ」とか「クラスどうよ」みたいな話で、この時期はあまり一緒に何かをしたという記憶が僕にはあまりない。それこそ、僕は毎日図書館生活をしていたので、どちらかというとその頃の記憶が強い。

大学2年生になってから頻繁に居る様になったと思う。僕等の大学では1年次の成績で2年次に自身の希望するコースに行くことになる。それで僕は日本語日本文学コースを選択し、彼も同様に日本語日本文学コースを選択した。コース共通の必修科目については彼と僕ともう1人、仲の良い友人と3人で受けていた。そのもう1人の友人も中々ユニークで最高に面白い。最近全然会っていないので久々に会いたいのだが…。元気にしてくれているといいのだが…。

だから基本的には3人でいつも行動を共にしていた。大学2年の後半ぐらいにもう1人、これまた最高に面白い友人が加わって僕を含め4人で大概過ごしていた。大学の学食で1年間ずっと大富豪をやったのは良い思い出だ…。毎回毎回、僕が負け続け1人多額を支払っていた訳だが…。そのお金で皆で高級焼肉を卒業祝いに食べに行ったのは今でも忘れがたき想い出の1つである。

とはいえ、いつも4人で過ごしてきた訳だが、振返ってみるとその中でもとりわけかなりの時間を過ごしていたのはその彼だった。単純に、僕とその彼がサークルに所属していなかったということが大きいだろう。僕は別に何をするでもなく、本当に暇をしていた。今と変わらぬ生活を送っていた。バイトをして、暇な日は神保町に行き、図書館に行き…。一方で彼はバンド活動をしていたから忙しかった。だが、何だか一緒に居る時間が他の2人に比べて多かったような気がする。

彼はいつも色々な所へ連れて行ってくれた。

神保町を教えてくれたのも彼だし、美術館なども教えてくれたのは彼だし…。文化的なことのその殆どを僕に教えてくれたのは紛れもない彼だった。人生で初めてのライブに連れて行ってくれたのも彼だし。そう考えると僕に様々な世界を教えてくれたのは彼だったんだなと、これには本当に頭が上がらない思いである。有難いことである。


先に僕は彼が僕の思想的中核を作り上げてくれたうちの重要な1人であると書いた。これには紛れもない理由がある。

僕はここで「読む」→「書く」→「対話」→「読む」→…という円環構造の重要性について書いた。正しくこの円環を構成してくれたからである。思い返せば、彼とは頻繁にカフェに赴き本や芸術などについて「ああでもない」「こうでもない」と様々に自分たちの考えていることをのべつ幕なしにお互いに言い合い「なるほどね」とか自分が陥っている「矛盾」について知ることが出来る機会だった。それが僕にとっては非常に良かった。

自身の考えていることを形にならなくとも、「対話」することで形にしていく。その作業の面白さが僕には堪らなく居心地が良かった。それで今、これを書きながら1つ思い出したことがある。

彼と僕と先の友人の1人と卒論を図書館のグループ学習室で行っていた時のことだ。その時に友人が「ここからどういう論で展開していった方が良いのか」ということについて相談された。僕はその時まだ卒論自体は終っていなかった。彼もである。だが、皆でホワイトボードを使って書き出して「ああでもない」「こうでもない」と2時間ぐらいだったか、議論し合った。あの時間は物凄く面白かった。

冷静に振り返ってみて、そういう経験が大学の時の殆どを占めていたような気がしなくもない。自分で考えて、「こう思う」「ああ思う」というのをぶつけても友人たちが「いやさ…」と言って返してくれる機会が多くあった訳で、それが僕の思想的な中核にある。それにだ、言ってしまえば僕という存在が、確固たる存在が出来上がったのは大学時代なのだから、彼らのお陰で今の自分が居る訳なのだ。

だが、その「対話」の殆どの部分を担っていたのはやはり彼だった。

些か変な言い方になるが、ちゃんとしたレスポンスがいつも返って来るのでこちらとしても有難かった。大抵、面倒な話や込み入った話だと人はまともに答えることを避けてしまいがちだが、そういったことを真正面からぶつけても話せる相手だったということだ。


飛ぶ

 きみが眼ざめるとき
 どんな夢を見る?
 青いライオンに追いかけられて
 地の果てまで?
 それとも死んだ男と抱きあって
 金色のウイスキーを飲みながら漂流する?

 朝 二日酔の電話のベルが鳴る
 きみは鉛の腕をのばす
 ああ 怖い夢なんか見ていなかったのだ
 青いライオンも
 金色のウイスキーも

 きみが眼ざめたとき
 きみのなかではじめて眠りにつくものが
 夢に見るだけ
 ぼくにはうまく云えないけれど
 人生のある一瞬には
 地平線も水平線も見えない
 夢だってあるのだ

田村隆一「飛ぶ」『腐敗性物質』
(講談社文芸文庫 1997年)P.153,154

どうやら僕は電車の中で眠ってしまい、目覚めた頃には降りなければならない駅を出発し始めていた。窓から駅名を見て悟る。だが、次の駅で降りても帰れないことは無いので、次の駅で降りることにした。

そこからしばらく音楽を聞きながら歩いていたのだが、途中で「あ、やべ!電話!」と思い出し彼に電話を掛ける。

神田川沿いを歩きながら電話をする。電話の内容はいたってシンプル。オススメの本があるから教えたかったとのことだ。しかし、本当に有難い。こうして良い作品があれば共有してくれることはこの上ない幸せだ。それこそ僕は過去の記録で書いているけれども、最近の作品は殆ど読まない。いつも最近の本の情報を与えてくれるのは彼だ。

それでこれをオススメされたので、電話後すぐにAmazonで購入した。先にも書いたが、彼の良いと思った作品は僕にとって絶大な信頼がある。まず以てそれでハズレたことがない。これから読むのが愉しみである。

電話を終え、僕はコンビニに立ち寄り酒を買った。

偶然に(という訳ではないが)彼と通っていた大学の傍まで来ていた。夜、酒を片手に大学時代に歩いていた道を歩く。何だか懐かしくて懐かしくて堪らなくなった。最近、本当に歳を取ったからなのだろうか、涙もろくなってしまって良くない。

独り酒を片手に泣きながら帰った。

この曲を贈りたい。

ベケット渡したいから近々ぜひに。

よしなに。

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