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雑感記録(317)

【駄文の円環part12】


最近どうも様子がおかしい。

自分でも良く分からない。ただ「心の暗雲立ち込む」というような昔の映画のタイトルの一部分みたいな言葉で表現しておこう。体調が優れないのは、これはまあ梅雨のせいで、ここ数日やたらと日中眠い。仕事中に寝るなんて言語同断である。しかし、昨日はあまりの暇と静寂さにやられ思わずウトウトしてしまったものである。何故微睡む時間はあれ程までに心地が良いのだろうか。また古井由吉でも日中に読んで、そのままフッと微睡みたいものである。

何というか、やる気が出ない。自宅に帰っても本を読み始めると集中できない。映画ばかり見てしまう。あ、そうそう。昨日久々に『ハムナプトラ』シリーズを見たんだけどね、個人的に『インディ・ジョーンズ』よりも好きだなって思う。ずっと僕は映画を見ながら「アナクスナムン」が上手に言えなくて、イムホテップの「アナクスナムン」をシャドーイングしていたことはここだけの話である。

梅雨のせいで毎日毎日、寝不足である。

以前どこかの記録で書いたことがあるが、気圧の変化で僕は不眠になってしまう。そのメカニズムについて僕は全く以て知らない訳だが、お陰でこの時期はいつも体調が優れない。しかし、人間とは中々に恐ろしい生き物で、何年も同じような生活をしていると自然と順応してしまうものである。「ああ、またこの季節もやって来たな」という感じである。

慣れたくない物には必死に抗いたい訳だが、しかしどうも長年の癖とかそういったものは簡単には僕を放してはくれないらしい。僕はずっとそれと生きていかねばなるまい。面倒くさいなと改めて思う。仕方がないと言えば仕方がないことなのかもしれない訳だし、僕が常々記録で書いている言葉を使うならば「全力で抗う」ことが出来ないのである。

逃げ出したくなる瞬間というのがあってだね…。


最近また僕の中でAnalogfishブームが再燃している。

以前の記録、サンリオピューロランドへ行った日に友人とAnalogfishの話をして、そこから再び火がついた訳である。

何だか無性に聞きたくなる夜がある。そう。この「夜がある」って言う所が僕は個人的にミソだと思うの。ぶっちゃけ朝とか昼とかに聞くより、夜1人で窓を開けてタバコを吸いながら聞くのがめっちゃ良い。別に1人だから誰に見られることもないので格好つけても咎める人は居ない。せいぜい自分の中に居る他者だけである。僕はこの瞬間が好きで、ここ数日の夜はそうして過ごしている。

これは大分前に書いたAnalogfishの記録になる。

もう曲名からタイトルを拝借したんだけれども、この曲が僕は1番好きである。曲調が物凄く良いのだが、歌詞も物凄く良い。これを聞きながら夜の街を散歩すると泣ける。特に週末の夜、これを聞きながら散歩してみるのも良いだろう。僕は結構これをオススメしたい。

誰しも、格好つけたい日ぐらいはあるものさ…。


そう言えば、最近僕は職場のデスクを整理した。

今まではお昼休みに購入してきた本などをデスクに積みまくって積みまくって、デスクが古本で溢れていた訳だが、今では何もない。せいぜい1冊の本とティッシュのみが置かれている。何ともまあ殺風景なデスクになってしまったものだと我ながら少し悲しくなるものである。机を綺麗にすると僕は何だか落ち着かなくて困る。だから毎日ソワソワしてしまって、ざわつく。

僕は別に綺麗好きという訳ではない。ごちゃごちゃしていた方がむしろ落ち着くくらいである。自身の現在の部屋はこまめに掃除しているが、本は本棚や押し入れに入りきらずに、床に平積みの状態である。それも本当はどうにかしなきゃいけないんだろうが、何かそれはそれで嫌なんだよな…。本を眺めることもやっぱり好きなんだよな。

でも、実際掃除する時は一苦労で、平積みされている本を動かすのは骨が折れる。床を拭く拭かない以前の問題として、本を動かして「ああ、今日も仕事したわ!」と休憩を挟み、一服した後、「いや、まだ床拭いてないじゃん!」と気づき床とお見合いしながら雑巾で拭く。毎週日曜は掃除をする日と決めているので朝起きて速攻、本と闘っているのである。それならば古本買うなよ…という話なのかもしれないが、それは違う。

僕だって欲を言えば、新刊で買いたいものである。そりゃそうだろ。綺麗な状態で本を読みたいでしょう。僕だってそうだ。ただ、哀しいことに読みたいその殆どの本が絶版か再販していないという現状がある。そうするともはや新刊ではなくて、古本に行くのは当然の帰結でしょう。古本は安くていい。そして何より、レアものが結構眠っていたりする。一種の冒険でもある。

だが、当たりがあればハズレもある。

未だにこの書込みだらけの『中野重治全集』をどうしようかと考えあぐねて、半年もどうやら経ってしまったらしい。いやあ、年月が過ぎていくのは早いね。ホントに。


久々にコカコーラを飲んだ。

暑い夜だった。並んで散歩して、僕は汗だくになりながら歩いた。途中喉が渇いたのでコンビニに入る訳だが、リュックに入っていたコカコーラを忘れていた。「でも、暑いから他の買おう」と思ってそのまま別の飲み物をレジに持って行く。そのまましばらく歩き、飲み干してしまった。そこで僕は温くなったコカコーラを飲むことにした。

そういえば、買ったなと思い出してゴクリと喉を黒い液体が通り過ぎてゆくのが分かる。温いコーラは美味しくない。キンキンに冷えてやがらないと美味しくない。ああ、キンキンに冷えたビールが飲みたい。そんなことを1人帰りながら思っていた。そんな日があった。

『コカコーラ・レッスン』はコカコーラの缶を巡っての詩か散文かよく分からない文章である訳だが、こういうのはやはり好きだなと思う。一部抜粋した記録はこちらの記録を参照されたい。

蒸し暑い夜だったけど、素敵な夜だったことは間違いが無いということだけここに書き記しておこう。


スマホというのはどうも厄介である。

というよりも、僕はシンプルにスマホ依存症なので、頻繁にスマホをチェックしてしまう癖がある。何にもないのに。どうせ僕に連絡よこす人なんて、AmazonかLINE占いぐらいである。いちいち気にしたって何のこともないのに、どうも目が行ってしまう。僕は掌で踊らされているのではないか。誰の掌かはさっぱり分からないけれども。そんな気がしている。

それで思い出したけど、「スマホ依存症だから本が読めねえんだろ」と思わずツッコミ、野球選手も驚きの速球でぶん投げた本のことが思い出される。お陰で『花束みたいな恋をした』を見てみようかなと思ったけれども、何かそれはそれで癪に障るので見ないことにした。人の気概を損ねる本もまた素晴らしいものであると感心する。

まあ、もう別に語りはしまい。が、逆にこの人が他にどんな本を書いているのか興味が湧いた。そういう意味では、この作者はやり手なのかもしれない。本が好きってだけで文芸評論家になれちゃう時代って、いいなぁ…。そうだとしたら僕は一生文芸評論家にならなくていいや。僕、よく感じるけど、好きなことだけじゃ語れない何かってあると思うよ。

こういう書き方をすると、「お前は何様だ」と言われるだろうが、僕は堂々と「第3者様だ。舐めるな。」と言うだろう。僕は思うけれども、関係ない第3者的な人間が存在しないからどんどん内輪になっちゃううんじゃないのかなとも思う。まあ、どうでも良い話である。ただ、僕は文学などが低位に見られるのは納得が出来ない。それは一応、これでも、少し齧っていた人間であるから。

少なくともこの著作だけ見るのなら、僕は昨今の文芸評論に期待しない。


さて、読みかけの本がいっぱいある。明日から3連休である。天気もどうやら優れないらしいので、家で籠って読書をしようと思ったが、そういえば冷蔵庫の中、すっからかんだった。そしてスーツを取りに行かねば。あの凄い態度の悪いお店で嫌なんだけど、仕方がない。

今週もお疲れ様でした。

よしなに。

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